照れ隠しをやめる。


人や自分を心からほめる、それもちゃんと言葉にして。というのは日本人にとって案外むずかしいことなのかもしれない。「察してほしい」だとか謙遜、それに身内をほめることで「しらける」文化が、少なくともこの国には根強い。

すごく仕事をがんばっている友人が、「意識が高いと思われるのがいやだ」と言っていた。自分にとって当たり前に仕事をこなしているだけの様子がまわりの人にはそう見えてしまうらしい。そして、前向きなことよりも会社の愚痴を言ったり、誰かの悪口を言ったほうが話が盛りあがるという。

たしかに、世の中すべての人が仕事を楽しんでいるわけではないと思うし、自分の働いている会社に不満のある人は少なからずいるだろう。でも、そういう人たちに合わせてネガティブな言葉を言い続けていると、いつのまにか自分まで本当にそう思っていると勘違いしてしまう。心というのはそれくらいぶれやすいものだとも思う。


人をほめ慣れてない人や、逆にほめられ慣れてない人も多い。心ではほめたいと思っているのに、照れ隠しで相手をけなしてしまったり、思ってもいないことを口走ってしまう。ほめられ慣れてない人も謙遜したり、はぐらかしたりしてしまって「ありがとう」の一言が言えなかったり。そうして伝わらなかった思いはどこにいくわけでもなく、ふわふわと漂って、しまいにはなくなってしまう。

せっかく相手に喜んでもらえるようなことがあったのに、それをまっすぐ伝えられないのはすごくもったいない。とはいえ、そう言う自分はできているのかと聞かれると、自戒をこめてこの文章を書いています、と答えるしかないのが恥ずかしい。価値観の根っこに染みついてしまっていることだからこそ、意識して変えていかないといけないのです。

だから、今日はちゃんと言葉にしてみよう、自分の気持ちに照れ隠しをせずに、人や自分をほめてあげよう。「ああ、言えなかった」がなくなれば、もっとおたがいに思いやりのある環境がつくれると、そう思います。

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