大切な人との関係が終わっていくのを、悲しむことも、怖がることもない
はじめて出会った人と少し言葉を交わしただけで「この人とは気が合いそうだ」と直感的に思えることがある。
そして、「相手もきっとそう思っている」という、確信に近いものを感じとれる瞬間がある。
毎年冬になると彼のことを思い出すから、僕は今もこの街から出られないんだろう。
これまでも数え切れないほどの相手が僕の前にあらわれ、立ち止まり、少しのあいだ同じ時間を過ごしては、多くの場合、なんとなく連絡をとり合わなくなり、そのまま過ぎ去っていった。
それは別々の方向を目指して走る道がある時期に偶然重なりあったように。そんな出会いはこれからもきっとあるだろうし、それらはきっと僕にとって必要な出会いなんだろう。
どの出会いを振り返ってみても、やはりそう思う。
大学を卒業してあてもなく上京してきた頃、西荻窪の駅近くにあるセブンイレブンで夜勤のアルバイトしていた。
シフトは日・月の週二回。
何歳か年上に見えるその相手は日曜の深夜2時ごろに決まってアメリカン・スピリットを買いに来た。
少し癖のある髪を真ん中で分けて、いつも紺色の古着のモッズコートに穴の空いたLevi'sの501、VANSの黒いオールドスクールを履いていた彼はいつも酔っ払っていて、形式的なお礼を言う僕に機嫌よく「ありがと〜」と手を振りながら出て行った。
1ヶ月ほどそのやりとりが続いたあと、彼が初めてレジで話しかけてきた。
「店員さん、いくつなの?」
「23になったところです。最近上京してきて。」
「そうなんだ、今度飲みに行こうよ。」
言われるがままに空いてる日を伝えると、いつも通り彼は「ありがと〜」と手を振りながら出て行った。
次の日の月曜日、日付が変わる頃に彼がやってきた。月曜日に彼が来たのはそれが初めてだった。
「明日はどうかな?」
この夜勤のあと、火曜日は寝ないでそのまま販売のアルバイトに行くことになっていた。
普段なら断っている誘いだけど、「この人とは気が合いそうだ」その直感を信じて会うことにした。
「戎(えびす)の南口、店の前のテーブルで飲んでるから。」
約束の時間に店の近くに行くと、彼はサッポロの赤星を1本飲み終わるところで、僕が席に着くなりコップに残りを全てついでくれた。今日はいつものモッズコートの下に、ずいぶん洗濯を繰り返したであろう白いシャツを着ていた。
その夜に何を話したのかはよく覚えていない。とにかく僕たちは意気投合し、朝が来てもお酒を飲み続けた。
思い出せる限りでも、2代目の若い主人が営む台湾料理屋、彼の知り合いがやっているという鉄板料理屋、雑居ビルの何階かにあるダーツバー、地下のワインバー。そして最後に行った一軒が、昭和の空気のまま時間だけが経って今にも崩れてしまいそうなビルの地下、ピンクのネオンサインをくぐり抜けた先にあるカレーうどんが名物のスナックだった。
彼はこの街のことをなんでも知っていた。そしてこの街では皆彼のことを知っていた。
それから週に一度くらい会ってお酒を飲むようになった。彼の友人を紹介してもらったり、お金のない僕が行けるような良心的な飲み屋を教えてくれたり、僕の中では勝手に兄のような存在になっていた。
数ヶ月経ったある晩、彼のよく飲んでいるワインバーに彼の友人と行くと、カウンターでマスターと彼が向かい合って話していた。いつも目もとが緩みきった表情をしている彼がその時は、入ってくる僕たちに目もくれず真剣な眼差しでマスターと話していた。
「あ、そうか、今日だったか。」
彼と一番仲の良かった友人が思い出したように言った。
「今日は奥のテーブルに座ろう。」
カウンターからちょうど死角になるテーブルを囲んで、彼が気づかないよう静かに席についた。
10分もしないうちに女性が入ってきた。
背丈は160cmくらい、黒いピーコートに白いニット、カーキ色のロングスカート。冬が終わる頃なのに少し焼けた肌、華奢なゴールドのブレスレットが肌によくなじんでいた。
「オーストラリアに1年間留学に行ってたんだよ、あの子。」
友人がこうささやいているうちに彼女はカウンターにいる彼の隣に座った。
「ずっとあいつ、あの子のこと好きだったんだよ。」
彼はクリーニングに出してそのまま持ってきたような白いシャツに、穴の空いていない比較的きれいな501、見たことのない革靴を履いていた。
2人がなかなか帰らないせいで僕たちまで店から出られず、解散して家に着く頃にはすっかり深夜になっていた。
それから彼と連絡を取ることはめっきりなくなってしまった。思い返すと、僕から彼に連絡をしたことはこの付き合いのあいだ一度もなかったのだ。彼はいつも人を誘い、人に囲まれ、くだらないことで笑いながら毎晩お酒を飲んでいた。
馴染みの店で聞くには、彼は彼女と結婚するために仕事を変えたらしい。彼はその年、32歳になるところだった。
交わっていた道が終わって、だんだんと別の方向へと離れていくという実感が湧いていた。その頃、グループの1人であった彼の弟は西荻窪から調布へ引っ越していった。
僕はいつしか自分で見つけた店に行くようになり、彼が教えてくれた店に行くことはなくなっていった。全てが彼を通してつながっていたから、彼がいなくなると同時にいろんな物事の絡まりがほどけ落ちていくようだった。
「寂しかったか」と聞かれればもちろん寂しかっただろう。
でも、それでいいんだ。と、きっとその時も思っていたし、今も変わらずそう思う。
始まるべき関係、続いていくべき関係、終わっていくべき関係。それぞれ良いも悪いもなく存在して、僕たちはそれにむやみやたらと逆らうべきじゃない。
それは道の途中で確かに必要なことだったと、紆余曲折する僕はそれを受け入れて、また新しい人と出会うだろう。それを僕はやめるべきではないと思う。誰とも出会うことがないのは、道を進んでいない何よりの証拠である。
でも。住み始めてから今年で5年になる西荻窪から僕が出られないのは、どこかの居酒屋でふと彼を見かける日がくるような気がするからだ。
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