祈りをかたちにする人たち。


ものをつくる人というのは、たくさんいる。この時期は東京のいたるところで行われている展示会に足を運んで、ものをつくる人から話をうかがいます。

ものをつくって生活をするしか選択肢のなかった人や・あらゆる可能性のなかからものをつくることを選んだ人、もしくは自分が身につけたいと思うものをつくる人・売れそうなものを考えてつくる人、いろんな考えがあってけっしてかんたんなことではない「何かを生み出す」という行為をたくさんの人がおこなっている。


僕がかかわるような、比較的ちいさい規模でものをつくっている人たちから生み出されるものは、ほとんど祈りに近い。そして、その祈りが強いものであるほど、それらはいろんな意味をふくんで「筋の通ったもの」になる。


先日「osakentaro」のデザイナーであるオサさんとお話したときに「僕はクオリティーって縫製や素材のことじゃなく、思考や情報の量であると考えています。」とおっしゃっていたのが、オサさんがつくられているものと見比べて、とても筋が通っていた。オサさんの口から語られるべき言葉だなぁ、と感心してしまった。


単純に「たくさん売ること」を目的にしているのなら、いくらでも方法はあります。それで、世の中のほとんどの洋服というのは、そういうものです。それも十二分にすてきなんですが、僕は、そんな「祈り」を洋服というかたちにしている人たちを紹介したい。たんに寒さや身を守るための洋服ではなくて、祈り・哲学・文化...、そんなことを洋服というかたちにしている人たち、もしくはそんな洋服に、人が触れる機会を増やしたいと思って、こんな仕事をしています。それは人と人をつなぐことであって、ワッシャーのようなことです。


今日もこれから展示会をまわることにしているので、こんなおもしろみのないことを書いてしまいました。Of the Shopというお店をやっているので、ぜひそんな洋服をみに来てくださいね。


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続きはありませんが、今夜も美味しいビールが飲めるように、よろしければ投げ銭をお願いします。

 

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