koi*i

1990/いつかの気持ちを思い出すための言葉たち

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1990/いつかの気持ちを思い出すための言葉たち

最近の記事

夫がお菓子をつくった

先日、突然夫がチーズケーキを作ると言い出した。 少し前から「チーズケーキが食べたい、作ってほしい」と訴えていた彼を私はスルーしていた。 そんなに食べたかったのだろうか。 ケーキ屋さんに買いに行ってもいいよ、と声をかけたが自分で作ると言って聞かない。つまり、食べたいというより暇だったのだと思う。 やると決めたら早く行動に移したいタイプなので、(だいたいのことはやると決めるまでに時間がかかるのだけど)早速スーパーに行って材料を購入し、調理に取りかかった。 嫁「そもそも型

    • 1年半越しの新婚旅行が延期になった後の話

      日曜日、朝からインターホンが鳴った。 ドアホンを見るとエントランスではなく玄関からのチャイムだ。訪問者は火災報知設備の点検の作業員さんだった。 「ああ、今日だったか」 告知されていた点検日がこの日だったということに初めて気が付いた。事前に配布されたA4サイズの書面を律儀にキッチンのよく見える場所に吊るしたのは私だった。 手際よく検査を終え、作業員さんはほんの3分ほどで次のお宅へと向かった。時間帯の指定はできなかったので早い時間に済ませてもらえてラッキーだった。 文面の

      • 今度こそ猫を飼いたい

        入社2年目の終わり頃だったと思う。初めての一人暮らしを始めた。 最近、何がいつのことだったかという記憶が曖昧になって自分の記憶力の悪さに少し悲しくなるけれど、インフルエンザの予防接種をしていないことを当時の上司に鬼のように怒られた後の話だったことは確かなので、多分それくらい。(体調不良の原因がインフルエンザではなくて肝炎だったことがわかり、初めての入院を経験したのも同じ頃) 当時の勤務地は実家から電車で1時間20分程かかった。それでも会社の家賃補助が出る基準にはギリギリ足

        • 初めて知ったドラマの楽しみ方

          以前より、ドラマをよく見るようになった。 結婚して時間管理をちゃんとするようになり、放送時間までに帰宅できているからというのも理由の1つだけれど、そもそも今まで以上にドラマを見るのが楽しい。 それは、笑ったり(※『ルパンの娘』)泣いたり(※『ノーサイドゲーム』)怖がったり(※『あなたの番です』)という感情を隣にいる旦那さんと共有し、共感し合う時間そのものを楽しんでいるからだと思う。 もともと単独行動が好きで、例えば見たい映画があれば誰か誘うでもなく1人で見に行くようなタイプ

        夫がお菓子をつくった

          「髪切った?」と言葉にする自分でいたい

          休みの日。予約した美容院で髪を切ってもらう。それが初めての場所であればやっぱり少し落ち着かないし、もしも慣れ親しんだ場所であれば、きっと美容院に行くこと自体が楽しみでご褒美のような気持ちになるのは一定数の女性陣には共感してもらえると思う。 こんなことを書くということはつまり、先日髪を切りました。 もともとずぼらで長い間カラーもしていなかったので、半年くらいほったらかしというのも珍しくない人生だったけれど、20代後半になってからは3ヶ月に1回くらいのペースで通う程度に成長し

          「髪切った?」と言葉にする自分でいたい

          引っ越しと、最初が肝心ということ

          先月引っ越しをした。 荷物もほぼ片付き、ようやく家らしい環境になり心が落ち着く。 これまで何度か引っ越しを経験してきたけれど、1人分の荷物と2人分の荷物では驚くほど負担が違った。(多趣味な旦那さんの荷物の量を再認識し呆然とした) そんな中、引っ越しして早々の一週間、彼はほぼ不在だった。 〈旦那の動き〉 水曜日 引っ越し 木曜日 名古屋出張→飲み会 金曜日 滋賀(名古屋ま行くからついでに、という理由で有給取り実家帰省)→飲み会(同僚の誕生日祝い) 土曜日 前日の同僚と引き続

          引っ越しと、最初が肝心ということ

          譲りたくなかったことを妥協したら

          仕事用の靴を買った。 買い物は嫌いじゃないけれど、靴に関しては理想のフォルムが自分の中にあって、これというものを見つけるのにいつも時間がかかってしまう。 だから大体は、ようやく気に入ったものを手に入れるとそればかりを履いて最終的には履きつぶして駄目にしてしまうのだ。 複数の靴を履き回せばそれぞれが長持ちするのはわかっているけれど、『理想のフォルム』とはそう頻繁に出会えないため、結局探すのに疲れて諦めてしまい、ようやく出会った一足に頼りきりになってしまう。 営業をしていると

          譲りたくなかったことを妥協したら

          ちょっと苦手なセリフ

          会話の中で、「自分は〇〇なタイプだから」「自分は〇〇な性格だから」と頻繁に口にする人がいる。そういうセリフが、ちょっと苦手だ。その後に続く言葉にはだいたい相槌を打つことしかできない。 自分を主語にして何かの理由を述べたりすることはとても当たり前のことだと思う。それまで生きてきた経験や、その時に育まれた感情をもとに自分の考えが生まれるのだからそれは全然気にしない。(私も自己主張強めですし) だけど「自分はこういう人間だ」と言い切ることを、その後に続く話の根拠にしてしまうよう

          ちょっと苦手なセリフ

          呪いの言葉だと思っていたけれど

          三人兄妹の真ん中であり長女として育った。どちらかというとマイペースな兄と妹の間で、小さい頃からなんでも大人の真似をしたがりちゃきちゃきと動き回る子供だった私は「しっかりしてるね」と大人たちから言われ続けてきた。当時、私にとってそれは最大の褒め言葉だった。 幼少期 頼まれてもいないのに2歳下の妹の髪の毛を洗ってあげたり、保育園のプールで潜ることができない友達に「こうしたらいいねん」と得意げに教えてあげるような子供だった。なんでも新しいことをやりたがり、小学一年生で漢字を習い

          呪いの言葉だと思っていたけれど

          恥ずかしいなんて思わなければよかったな

          小学生の頃、確か4年生くらいまでピアノを習っていた。 やりたいと言い出したのは私だったけれど格別な憧れがあったわけではなく「周りがやっているから自分もやりたい」という、なんとも頼りない子供らしい理由だった。 結果的に「辞めたい」と母に申し出た後「もうちょっと頑張れ」という祖父の言葉に負け、そこから渋々1年続けた。無事に辞められた時は開放感に満ち溢れていた。 私はピアノが好きになれなかった。 今思えばなんてもったいないことをしていたんだろうと思うけれど、当時私はほとんど練

          恥ずかしいなんて思わなければよかったな

          しがみつくのは愛してるから

          ただの名前の話。 結婚して名字が変わった。誰にでも起こりうる普通な出来事。 旦那さんの名字は少し珍しくて、一発で読める人はほとんどいない。シンプルで平凡な名字で生きてきた私にとって、そんな名前になることは少し刺激的な出来事だった。最初の頃は自分で書いた新しい自分の名字と名前を、まるで他人の名前ように眺めていた。28年間一緒に生きてきた自分の名前が変わったのだ。 画数が少なくて書くのが楽だった。「小」という字を含むその名字は私の体格的な特徴を表すにはちょうどよかった。仲の

          しがみつくのは愛してるから

          泥臭い青春の日々に思うこと

          中学高校の約6年間、剣道部として過ごした。 背が低く小柄な外見のせいか、そのことを伝えるとだいたいは驚いた反応とともにすごい、格好いいねと言葉を添えて頂くことが多い。 実際は、格好いいなんてことはちっともなかった。 そもそも私には運動の才能がない。 ドッジボールも跳び箱もバドミントンもバスケもダンスも水泳も短距離も長距離も。一通りの体育で習うようなスポーツ全般が苦手だった。(特に球技の才能は皆無) だから、中学で剣道部に入りたいと言い出した私に両親はきっと驚いたことだろ

          泥臭い青春の日々に思うこと

          夜の雑記

          旦那さんの出張と私の休みが重なったので、1人奈良の実家に帰省した。 約1ヶ月ぶりだったけれど、家の中の様子が微妙に変わっている。荷物が少なくなったり家具の配置が違っていたり、猫の定位置の場所が2階の廊下から1階に変わっていたり。そんな小さな変化が何故か少し切なかった。 (1番切なかったのは帰った途端愛猫2匹に逃げられたこと。お風呂から上がると「なんやお前か」的な感じで寄ってきたので変な匂いでもつけてたのかな) 最近のあれこれを家族と話したり、 母と一緒におじいちゃんの病院

          夜の雑記

          東京の街並み

          東京で働くようになって日々感じること。 東京、緑多いな。 「勤務地は新宿ね」と辞令を受けた時、ひたすらビルで囲まれたコンクリートジャングルをイメージしていた。大阪のなんばで長らく働いていたので、都心部で働くことに抵抗はなかったものの、それでもきっと比較にならないスケールなんだろうなと少しだけ身構えていた。 確かに東京は大都会だった。特定のエリアに限定せず、外から来た人間には聞きなれないような駅でさえ人で溢れているのが印象的だった。なぜ土日の早朝の電車が人でいっぱいなのか不思

          東京の街並み

          絶望しても心が折れなかった理由 #社会人1年目の私へ

          住宅の営業という仕事を選んだ2013年の春。 志は多分誰よりも高かった。なぜこの仕事を選んだのか、いつ誰に尋ねられても明確な答えがあったし、自分なりの信念のようなものも持っていた。大変な仕事だと言われるこの仕事がなぜ大変なのか、たくさんの声を聞きながら、それでも自分ならできるはずだと、自分への可能性に期待しかしていなかったように思う。少し長い新入社員研修中、同期に口癖のように「頑張ろう」と声を掛ける私は、多分誰から見ても希望に満ち溢れていた。 そんな私だったけれど、営業所

          絶望しても心が折れなかった理由 #社会人1年目の私へ

          誰かの成長に責任を持ったことがない

          先日新入社員が同じ部署に配属されてきた。初々しく元気いっぱいの女の子。チューターには私の後輩にあたる2年目の女の子が付いた。毎日自分の営業に同行させ、一生懸命かつ楽しそうに面倒をみている様子にとても関心する。 思えば営業を始めて7年目になるけれど、私はこれまでチューターとして後輩の面倒を見たことが一度もない。そもそも、自分より下の後輩を持つことを初めて経験したのは5年目の時だった。 昔から所属する営業所はベテラン揃いで、私は長らく一番若手のポジションにいた。周りの同年代と比

          誰かの成長に責任を持ったことがない