見出し画像

『いのち』今を活きる~元初まりの話~ ①

この壮大な宇宙に唯一つ、地球にのみ
生命(いのち)がある。
地球は宇宙の一部分ではない。
宇宙の存在目的は地球のいのちにある。

いのちの話は宇宙の話

私たちは、いま、ここに生かされている。
”いのちの舞台”の本真実に目覚めよう。

いのちの母体である宇宙の声に耳を傾けよう。

元初まりの話

世界一れつを救済するために確立された
”かんろだいづとめ”
(かぐらづとめ、たすけづとめ、よふきづとめ)
という祈り。

それは、人間創造のために最初に宿し込まれた元の一点、”ぢば”(人間創造の元の場所)に据えられた”かんろだい”(人間宿し込みの証拠として据えられている六角形の台)を取り囲んで行われる。

そこで選ばれた十人の人々(つとめ人衆)が、かぐら面をつけて、おのおのが異なった手振りでつとめ(祈り)をする。

それは、創造の元の”をや”が、泥の海のような原始地球で、人間にまで進化するであろう、元一つの生命体の創造と進化の十の働き(機能)を、おのおののつとめ人衆の手ぶりにあらわしてつとめられる。

かんろだいづとめは、ありとあらゆるもの一切の創造の守護の再現である。
ありとあらゆる一切の一つ一つが、いま、ここ(実在の今)にある。
私たちが、いまここに実在することへの感謝が天理教、おみちを信仰するものの基本姿勢である。

そして、このような手振りのおつとめをし、そのおつとめの理をよく解らせようとして説かれたのが”元初まりの話”である。

こふきをつくれ

「学問に無い、古い九億九万六千年間のこと世界へ教えたい」
”おふでさき”が明らかにする元初まりの話の生命史的意義がある。同時に、宇宙史的意義でもある。

元初まりの話は真実の話

このさきハどのよな事もたんゝと
ほんしんぢつをゆうてきかする(六 25)
これまでもいろゝはなしといたれど
ほんしんぢつがみゑてないので(十一 9)
このよふをはじめてからにけふまでハ
ほんしんぢつをゆうた事なし(十一 75)
このたびハほんしんちつをゆてきかす
なにをゆうてもしかとしよちせ(十二 141)
このよふをはじめてからにけふまでわ
ほんしんぢつをゆうた事なし(十五 48)
けふの日ハほんしんちつをゆいかける
とふぞしいかりしよちしてくれ(十五 49)

おふでさき

元初まりの話は、創造の真実の話である。

しかときけこのよはじめたしんちつと
ゆうてはなしハといてあれども(八 18)
せかいにハたれかしりたるものハなし
なにをゆうてもハかりがたない(八 19)
そのはづやこのよはじめてない事を
たんゝくどきばかりなるから(八 20)
このよふのはじまりだしのしんぢつを
しらしてをかん事にをいてわ(八 21)
いまゝでもたすけ一ぢよとまゝとけど
ほんしんぢつをしらぬ事から(八 22)
どのよふな事でも月日ゆう事や
これしんぢつとをもてきくなら(八 23)
どのよふな事もたんゝゆてきかす
これをまことゝとをもてきゝハけ(八 24)
このよふのほん元なるとゆうのハな
このところよりほかにあるまい(八 25)
このはなしどふゆう事にをもうかな
どふゆはなしもみなしたいから(八 26)
このよふをはじめだしたるしんぢつを
みな一れつハしよちせゑねば(八 27)

おふでさき

元初まりの話は真実の話
その真実の根を掘り切ることを急き込まれる。

だんゝとこのよはぢめてひハたてど
たれかしんぢつしりたものなし(五 62)
はやゝとしやんしてみてせきこめよ
ねへほるもよふなんでしてでん(五 64)
このよふのしんぢつねへのほりかたを
しりたるものハさらにないので(五 65)
このねへをしんぢつほりた事ならば
ま事たのもしみちになるのに(五 66)

おふでさき

この”おふでさき”に応えて、元初まりの根を掘る努力を重ねたのが元初まりの話

元初まりの話

”おふでさき”に示された教理を芯にして
”こふき話”から生命科学的に肉付けする。

夫婦をこしらえる

このよふのはぢまりだしハとろのうみ
そのなかよりもどぢよばかりや(四 122)
このどぢよなにの事やとをもている
これにんけんのたねであるそや(四 123)
このものを神がひきあけくてしもて
だんゝしゆごをにんけんとなし(四 124)
これからハたしかせかいを初よと
神のそふだんしまりついたり(六 39)
これからわ神のしゆごとゆうものハ
なみたいていな事でないそや(六 40)
いまゝまでにない事ばかりはちめるわ
なにをゆうのもむつかしき事(六 41)
このよふをはちめかけたるしんぢつを
たれかしりたるものハあるまい(六 42)
これからハとのよな事もたんゝと
ゆうてきかするうそとをもうな(六 43)
月日よりしんぢつをもいついたるわ
なんとせかいをはじめかけたら(六81)
ないせかいはぢめかけるハむつかしい
なんとどふぐをみたすもよふを(六 82)
みすませばなかにどぢよもうをみいも
ほかなるものもみへてあるなり(六 83)
そのものをみなひきよせてたんぢやい
にんけんしゆごはぢめかけたら(六 84)
ないせかいはじめよふとてこの月日
たんゝ心つくしたるゆへ(六 85)
月日にわにんけんはじめかけたのわ
よふきゆさんがみたいゆへから(十四 25)

おふでさき

”このよふ”をはじめかけた真実を明らかにする。人間をはじめかけたのは、”よふきゆさん”が見たいからである。

「この世の元初まりは泥の海であった。元のをや・真実のをやである月日親神様は、この有様を味気なく思われ、相談の上、人間をつくり、その陽気ぐらしをするのを見て共に楽しもうと思いつかれた。だがそれは、とてもむずかしく並大抵なことではなかった。この話は、今までに無いことばかり始めるという、この世始めかけた真実の話である。そのことを誰も知っている者はないので、嘘と思わずしっかりと聞いてくれるように」

『 こふき話』の語りかけ

”いのちの真実”の話であり、真実の守護、働きに焦点がある。
展開した守護とは?

いまゝてにない事ばかりゆいかけて
よろづたすけのつとめをしへる(六 29)
このつとめ十人にんぢうそのなかに
もとはぢまりのをやがいるなり(六 30)
このたびハこのしんちつをせかいぢうへ
どふぞしいかりみなをしゑたい(十六 11)
しかときけこのもとなるとゆうのハな
くにとこたちにをもたりさまや(十六 12)
このをかたどろみずなかをみすまして
うをとみいとをそばいひきよせ(十六 13)
いざなぎといざなみいとをひきよせて
にんけんはぢめしゆごをしゑた(六 31)
このもとハどろうみなかにうをとみと
それひきだしてふうゝはちめた(六 32)
このよふの元はじまりハとろのうみ
そのなかよりもどぢよばかりや(六 33)
そのうちにうをとみいとがまちりいる
よくみすませばにんけんのかを(六 34)
それをみてをもいついたハしんぢつの
月日の心ばかりなるそや(六 35)
このものにどふくをよせてたんゝと
しゆこふをしゑた事であるなら(六 36)
このどふくくにさづちいと月よみと
これみのうちゑしこみたるなら(六 37)
くもよみとかしこねへとをふとのべ
たいしょく天とよせた事なら(六 38)
にんけんをはぢめかけたハうをとみと
これなわしろとたねにはじめて(六 44)
このものに月日たいない入こんで
たんゝしゆごをしゑこんだで(六 45)
このこかす九をく九まんに九せん人
九百九十九人なるそや(六 46)
このよふのしんぢつの神月日なり
あとなるはみなどふくなるそや(六 50)
にんけんをはぢめよふとてたんゝと
よせてつこふたこれに神なを(六 51)

おふでさき

「こふき話」に生命科学的知見を加えると

「元初まりの泥の海の中で、人間をつくり、その陽気ぐらしをするのを見て共に楽しもうと思いつかれた元のをや・真実のをや、月日(くにとこたちのみこと、をもたりのみこと)が、泥海の中を見澄まされると、沢山のどぢよの中に、うをとみという二種類の生物が混じっているのが目にとまった。うをとみだけでは味気ないので、うをを男雛形・種、みを女雛型・苗代の材料、夫婦の雛型にしようと、まずこれを引き寄せ、その一すじ心を見澄ました上、最初に産みおろす子数の年限、九億九万九千九百九十九年経ったなら、宿し込みのいんねんある元の屋敷に連れ帰り、神として拝をさせようとお約束なされ、承知をさせて貰い受けになった。この男雛形・種、及び女雛型・苗代の理に、いざなぎのみこと、いざなみのみことという神名が授けられた。
続いて、乾(北西)の方からしやち(鯱)を、巽(南東)の方からかめ(亀)をお引き寄せになり、承知をさせて貰い受け、食べてその心味わいを試し、その性をお見定めになり、それらを男一の道具及び骨つっぱりの道具、また、女一の道具及び皮つなぎの道具とし、それぞれを男雛型・種であるうを及び、女雛型・苗代であるみに仕込み、夫婦で子どもを産むという最初の働きが守護された。この男一の道具及び骨つっぱりの道具の理に月よみのみこと、女一の道具及び皮つなぎの道具の理にくにさづちのみことという神名が授けられた。こうして泥の海の中で初めて夫婦で子どもを産む働きが守護された。だが陽気ぐらしをする人間になるまでには、最初に産みおろす子数の年限、九億九万九日九十九年という長い年月、生まれかわり出かわりして、いのちが伝承されねばならなかった。
そこで、東の方からうなぎ(鰻)を、坤(南西)の方からかれい(鰈)を、西の方からくろぐつな(黒蛇)を、艮(北東)の方からふぐ(河豚)を次々とお引き寄せになり、これまた承知をさせて貰い受け、食べてその心味わいをお試しになった。そして、うなぎの性質は勢が強く頭の方へも尾の方からでも出入りするから飲み食い出入りの道具として守護され、その働きにくもよみのみこととの神名をお授けになった。かれいの性質は身が薄く、あおげば風が出やすいので息吹き分けの道具として守護され、その働きにかしこねとみこととの神名をお授けになった。くろぐつなの性質は勢い強く引いても切れず、どんどん成長するので稔を引き出す道具として守護され、その働きにをふとのべのみこととの神名をお授けになった。最後に、ふぐの性質は食べてあたり、生き死にのとき縁が切れるので切る道具として守護され、その働きにたいしょく天のみこととの神名をお授けになった。こうして、いのちの真実を支える十の働きが守護された。」

約九億年前の泥の海の中に存在していてたうをとみを種と苗代の材料として、男一の道具・骨つっぱりの道具、及び女一の道具・皮つなぎの道具の守護により、夫婦で子どもを産む働きが始まったことが明らかにされた。

いのちのあゆみ

約九億年前に夫婦で子どもを産む守護が明らかにされた後、陽気ぐらしをする人間になるまでのいのちのあゆみ

にんけんをはぢめかけたハうをとみと
これなわしろとたねにはじめて(六 44)
このものに月日たいない入こんで
たんゝしゆごをしゑこんだで(六 45)
このこかす九をく九まんに九せん人
九百九十九人なるそや(六 46)
この人を三か三よさにやどしこみ
三ねん三月とゝまりていた(六 47)
それよりもむまれたしたハ五分からや
五分五分としてせへぢんをした(六 48)
このものに一どをしゑたこのしゆごふ
をなぢたいない三どやどりた(六 49)

おふでさき

雛型と道具が定まり、いよいよ人間を創造されることになり、元一つの守護が始まる。
それは単なる生命の創造ではなく、夫婦で子どもを産むという有性生殖の守護。

ちよとはなし  かみのいふこときいてくれ
あしきのことはいはんでな  このよのぢいと
てんとをかたどりて  ふうふをこしらへきたるでな  これハこのよのはじめだし  なむてんりわうのみこと

”かぐらづとめ”の地歌

元のをや、真実のをやである月日親神様は、泥海中のどぢよを皆食べて、その心根を味わい、これを人間の種となされた。そして、男雛型・種(いざなぎのみこと)であるうをに男一の道具・骨つっぱりの道具(月よみのみこと)を仕込み、それに月様(くにさづちのみこと)の守護が入り込み、また、女雛型・苗代(いざなみのみこと)であるみに女一の道具・皮つなぎの道具(くにさづちのみこと)を仕込み、それに日様(をもたりのみこと)の守護が入り込んで人間創造の守護を教えられ、三日三夜かかって、九億九万九千九百九十九人の子数をいのちの母体である母親(いざなみのみこと)の胎内に宿し込みになった。それから、いざなみのみことは、その場所に三年三月とどまり、やがて七十五日かかって子数のすべてを産みおろしになった。こうして、夫婦で子どもを宿すという創造の守護を完成させてのち、父親なるいざなぎのみことは身をお隠しになった。
最初に産みおろされたものは一様に五分であったが、五分五分と成人して九十九年経って三寸になった時、皆出直してしまった。けれども、一度教えられた守護により、いのちの母体であるいざなみのみことは、さらに元の子数を宿し込み、十月経ってこれを産みおろしになったが、このものも五分から生まれ、九十九年経って三寸五分まで成人して皆出直してしまった。そこで、また、元の子数を同じ胎内に三度宿し込みになったが、このものも、五分から生まれ、九十九年経って四寸まで成人した。この時、いのちの母体であるいざなみのみことは、
『これまでに成人すれば、いずれ五尺の人間になるであろう』と仰せになって、にっこり笑うて、その守護を完成して身をお隠しになった。そして、子らもその後を慕うて残らず出直してしまった。
こうして人間は、魚から虫・鳥・畜類など八千八度の生まれ変わりを経て、またもや皆出直し、最後にサルがいちにん残った。これは人間へと成人するいのちの母体であり、女一の道具・皮つなぎの道具・くにさづちのみことの守護でもあった。
このいのちの母体であるいちにんのサルのくちさづちのみことの胎に、男五人、女五人の十人ずつの人間が宿り、五分から生まれ、五分五分と成人して八寸になった時、創造のをや、月日親神様の守護により、泥海中に高低が出来かけた。そして、一尺八寸に成人してから子が親となって元の人数が生みそろい、海山も天地もようやく区別できるようにかたまりかけてきた。
そして、人間は、一尺八寸から三尺になるまでは、一胎に男一人と女一人と二人ずつ生まれ、三尺に成人した時、ものを言いはじめ、一胎に一人ずつ生まれるようになった。
この理によって人間は三歳でものを言いかけるのである。次いで、五尺になるまでに、人間の成人に応じて、海山も天地も世界も身出来て、人間は陸上の生活をするようになった。
この時までに、成人に応じて食物、農作物を不自由ないようにお与え下さった。
この間、九億九万年は水中の住まい、六千年は知恵の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込みと仰せられる。

このたすけ百十五才ぢよみよと
さだめつけたい神の一ぢよ(三 100)

おふでさき

人間は百十五歳の寿命を持っている。

いまゝでも今がこのよのはじまりと
ゆうてあれどもなんの事やら(七 35)

おふでさき

元初まりの話が語りかけるもの
それは、一切の一つ一つが
いま(時間)  ここ(空間)
にあること。

時空の本真実である。

元初まりの話の焦点は、”今”であること。

十全の守護

元初まりの話にあらわれてくる十の働きを、十人のつとめ人衆が、おのおのの手振りにあらわしてつとめるのが、教祖が完成を急がれた”かんろだいづとめ”
これが十全の守護である。

この世というのは、夜から世を照らしなさる
月様を先はじめ、夜から始まったこの理をもって、この世のいう。
これ皆、人間のいうことは、元初めの時に人間を象って名を付けたことをいっている。
身のうちは神の借り物である。人間を守護下さる神は、くにとこたちのみこと、をもたりのみこと、この二柱の元の神、あとの八柱の神は人間を拵えるにつき、使った道具衆に神名を授けたもの。この柱の神はこの世の元の神である。
その訳は
くにとこたちのみことは、天にては月様なり。この神は男神にて、お姿は頭一つ尾は一筋の大竜なり。この世界、国床を見定め給う。この理をもってくにとこたちの命という。また国を見定め給う故に国見定めの命という。人間を宿し込み給う時に、上より突くが故に月様というなり。月様が先に立たれる故に日月とはいわれず、月日という。三十日を又一月という。人間身の内目の潤いの守護の神様なり。目はこの神様のかりものなり。
をもたりのみことは、天にては日様、この神は女神、お姿は頭十二の三筋の尾に三つの剣ある大蛇なり。この神様は人間宿し込み給うた後は、日に日に身が重くなる故に、をもたりのみことという。日々に理を増す故に日様という。尾に三ツの剣(つるぎ)がある故に、この理を悪しきな女は蛇剣(邪険)と今もいうなり。頭十二ある一つの頭にて、十二月の間、一月づつ頭代わりて守護する。日々代わりて守護する。又、十二時づつ頭代わりて目を一時と守護する故に一年を十二月と定め、一日を十二時という。十二支の方頭を取り巻いて守護あり。この理をもって十二支という。
心澄んだる理をもつ。
人間身の内温みの守護の神、温みはこの神様のかりものなり。
この二柱の神様は、この世の人間の実の親様。人間にはこの世を照らす如く入り込み、ご守護なされる故、自由自在を叶うことなり。
後なる神様は、この柱の神様の守護によって働きがあることなり。
くにさづちのみこと、この神様は、天にては源助星、女神様なり。お姿はかめなり。かめというは、皮強き、地につきても踏ん張り強く、倒れぬ者で、土色なる故、くちさづちの神と名を授け、女一の道具に仕込んだ故、亀甲の理をもって、おなごという理なり。人間皮つなぎの守護、結びの神なり。この世の金つなぎ、又はよろづつなぎは皆この神の守護なり。人間身の内皮つなぎは、この神様のかりもの、よろづつなぎはこの神様の守護なり。
月よみのみことは、この神は、天にては破軍星にて、男神なり。お姿はしやちほこという。又、鯉も同じことなり。しやちほこというものは、勢い強く、変にしやくばるもの故に男一の道具に仕込み給う。男というは、床で宿し込みの時に突くが故に、この理をもって月よみのみことと名を授け給う。人間身の内骨の守護なり。
くもよみのみことは、天にては朝明神の星なり。女の神にて、お姿はうなぎなり。この者は頭の方ゑも、尾の方ゑも出入りする者で、つるつくものである故に、人間の飲み食い出入りに使うた道具なり。故にくもよみのみことと名を授け給う。飲み食い出入りは、この神のかりものなり。この五柱の神様の守護によって、これを五体というなり。
かしこねのみこと、この神は、天にては未申の方に集まる星なり。男神にて、お姿はかれいというなり。この者は身薄き者で、故に、人間の息の、風の道具に使った。故に、かしこねのみことと名を授け給うなり。人間の息はこの神様のかりものなり。息は風、風で吹き分けて物を言わすなり。
人間身の内は、六柱の神が入り込みて守護下さる故に、自由に叶う事故、これ全く、この神のかりものなり。この六柱の神様は南無阿弥陀仏なり。南無というは、目、温み。阿弥とは、皮つなぎに、芯の骨なり。陀仏とは、飲み食い出入りに、息の事なり。南無阿弥陀仏というは、人間身の内の事なり。これで身の内六台というなり。火と水は一の神なり。風よりほかに神はなし。息は風なり、風は神なり、いかなあしきも吹き払うなり。
をふとのべのみこと、この神様は、天にては宵の明神の星なり。男神にて、お姿はくろぐつななり。この者は勢い強く、引いても切れぬ者故、人間の食物、立毛、万物引出しの道具に使った神なり。引き出すには大綱がいる。引き出す者は玄人という。なに事にても、先立ってする者は、玄人という名今にあり。この理をもってをふとのべのみことと名を授け給う。故に百姓の神なり。
たいしょく天のみこと、この神様は、天にては艮の方に集まる星なり。女神にて、お姿はふぐなり。この者は、食えばあたるものである故、人間の死に生き、縁を切る道具に使った。ふぐというもの、人間も大食すれば、寿命が無くなる。よくあたる故に、この理をもって大食天のみことと名を授け給う。この神は鋏にて、よろづ切る。
いざなぎのみこと、この神は、天にては、天の川を隔てて現れる星なり。七夕様という。岐魚、又は人魚ともいうなり。この者は今の人間の様な姿にて、心も真っ直ぐなるもので、これを雛型として、人間の種に使ったもの、これは人間の父様なり。
いざなみのみこと、この神は、天にては天の川を隔てている七夕様という星なり。女神にて、お姿は白ぐつななり。白ぐつなというは、この者も人間の肌にて、綺麗になる者、心真っ直ぐなるもので、これを人間の苗代に使った。これは人間の母親なり。
天理王命はこの柱の神の総名なり。この神様は無い人間を拵えるに使った道具なり。この者を神となして、人間身の内、この神様の守護なり。このほかに何処へ行っても、何処を訪ねても、身の内より他に神はなし。この世の神や仏やというて拝ましていたけれど、皆人間が紙や金や木をもって拵えたものばかりなる故に、どうも紙や金や木の中へは神が入り込むことは出来ないもの、人間に入り込むことは出来ずもの、人間には皆神が入り込み、何の守護もする故に、人間に勝された神がない事なり。

「こふき話」「十六年本内容 神の古記」

このよふのしんぢつのをや月日なり
なかによろづのしゆこするぞや(六 102)

おふでさき

一切のいのちは、十全の守護によってみな、その生成を遂げている。それ故、この身体は決して自分のものではなく、”をや”のかしものであり、かりものである。

にんけん八みなゝ神のかしものや
なんとをもふてつこているやら(三 41)
にんけん八みなゝ神のかしものや
神のぢうよふこれをしらんか(三 126)
めへゝのみのうちよりのかりものを
しらずにいて八なにもわからん(三 137)

おふでさき

人間というは、身の内神のかしもの・かりもの、心一つ我が理。 (明治22・6・1) 

おさしづ

たいないゑやどしこむのも月日なり
むまれだすのも月日せわどり(六 131)

おふでさき

※いのち ─今、を活きる─ 山本利雄 著
より抜粋

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?