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みかぐらうたをあじわう4

私の好き♡♡なおうた

四下り目

信心の道を進む中で遭遇する周囲の無理解、反対から生じる様々な迷いや悩みの治め方の基本
陽気づとめによるたすけ
万事につけてのたすけ合いの意義

二ツ ふたりのこゝろををさめいよ
なにかのことをもあらはれる

夫婦の心を一つに結んで、誠真実に治めて通れよ。そうすれば一切万事、何か喜ばしいことも現れてくる。

「おさめいよ」治めるは、乱れた気持ちを落ち着けることです。居るは、動かないでいる、留まることです。即ち、落ち着いた気持ちを持ち続けるようにとの仰せです。そうすれば「なにかのこともあらはれる」、どんなことも現れてくる。「なにかのこと」には、良いことも悪いことも、両方含まれていると思われます。
神を目標に、夫婦の心を治めて通っているならば、たとえ今は苦しくとも辛くとも、やがて必ず喜ばしい頼もしい姿、形が現れてくるとのお励ましです。
逆に、悪口や中傷に心をかき乱されて夫婦の心もバラバラになるようなことでは、その通りに芳しくない事柄が現れてくるのです。

五ツ いつもたすけがせくからに
はやくやうきになりてこい

いつも親神はたすけを急いでいるから、早くつとめを勤めて陽気な心になってこい。

勇むことこそ、ふしぎなたすけをいただく第一歩である。

「やうき」陽気、「万事が動き、または生じようとする気」「心がはればれしいこと、ほがらかなこと」そうした明るく勇んだ、力強い気配、雰囲気、気分です。ここでは単に、そのような気分を仰しゃているだけでなく、おつとめによる陽気を仰しゃっているところです。
「よるひるどんちゃんつとめする」

八ツ やまいのすつきりねはぬける
こゝろハだんゝいさみくる

そうなれば、病の根はすっきりと抜け、心はだんだんと勇んでくる。
身体は健康となり心は勇み立って、心身共に陽気づくめとなる。
病の根がすっかり抜ける、病気が根絶される。
言い換えれば、病の元となるような心遣いが全く姿を消し、心はだんだんと勇み立ってくる。
人をたすける心と行いが、病の根絶に続くのです。

根を切ると根は抜けるの違いは、”難渋を救う”と”万(よろづ)のたすけ合い”との差でしょうか。
根を切るの場合は、親神様が切って下さるのに対し、根は抜けるは、自ずと抜ける、病気の原因が消滅するニュアンスです。
根が切れ、病は姿を消しても、油断すると、また芽が出てくる。

九ツ こゝはこのよのごくらくや
わしもはやゝまゐりたい

ここはいわば、この世の極楽だ。心身共に陽気に勇む時、この世はそのままあらゆる幸福と歓喜のことごとく具わった極楽の世界となる。その根源であるぢばへ、私も早くお参りしたい。
「こゝ」は、おぢば、親里です。ここは陽気づくめの極楽屋敷だ。普通、極楽というのは、あの世にあるとされていますが、お道は、この世に陽気ぐらしの世界を築き上げるという信仰です。

十ド このたびむねのうち
すみきりましたがありがたい

ついにこの度は、濁りのない澄み切った心ににりました。こんな有り難い嬉しいことはない。

ここはこの世の極楽だと、ぢばにお参りする人の心は、晴れやかに澄み切り、感謝と喜びに溢れています。
心が澄み切ることと極楽の境地とは、密接に関連しています。
「陽気ぐらし」という言葉は、『みかぐらうた』や『おふでさき』には出てきません。陽気ぐらしに類する表現としては、『みかぐらうた』では、「ごくらく」、「やうきづくめ」、『おふでさき』には、「よふきゆさん」、「よふきづくめ」があります。

「せかいぢうみな一れつはすみきりて よふきづくめにくらす事なら(七 109)」
親神様がお望みになる世のありようの一つの表現
”澄み切る”が要件

四下り目

信心の道を進む中での周囲からの様々な中傷、無理解に心倒すことなく、親神様を目標に、夫婦の心を治めて、このお働きを信じて、つとめを勤めるよう促されています。
万事にたすけ合う姿こそが親神の望みであることをよく思案するよう求められ、そうなれば、病の根は抜け、心は勇み、人々も親里をこの世の極楽と慕い寄るようになり、ついには心澄み切った喜びと感謝の境地に至る。

『みかぐらうた略注』上田嘉成 より
『みかぐらうた略解』上田嘉太郎 より


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