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『ふたつよいことさてないものよ』

「ふたつよいことさてないものよ」

この言葉の意味するところは、ふたつもよいことは続かない?
そうそうないということだろうか?

ひとつよいことがあると、ひとつ悪いことがあるとも考えられるらしい。

仕事で抜擢されると同僚の妬みを買う。
宝くじに当たるとたかりにこられる。
世の中は良いことづくめにならないように仕組まれているみたいだ。

その世の中の仕組みを知らないから人は愚痴を言ったり、文句を言ったりする。
その人の言っている悪いことは、何か良いことのバランスをとるために存在していると見抜けていないからであるらしい。

世の中は二つ一つバランスなのだ。

だから、人はよいことずくめを望んでいるので、何か嫌なことがあると文句を言いたなるが、そんな時に「ふたつよいことさてないものよ」とつぶやいて世の中のバランスをよく見ると、なるほど上手くできていると苦笑いできるようになり、腹立ちの心のほこりをつまなくてよくなる。

だから、ついつい上手くいかなくて文句を言いそうになったら、私もこれからは、「ふたつよいことさてないものよ」とつぶやくことにしようと思う。

また、この法則は、ふたつわるいこともさてないものよとも言っていると考えられるらしい。
よく目を凝らして見ると、それに見合う「よいこと」が存在していることが多いのだそうだ。
たとえば、せっかく頑張って仕事をしようと思ったときに病気になる。でも、それは「休息」が与えられたということ。なるほど、やりすぎている時の警告なのかもしれない。

心の声や身体を声を聞いて、それに従うことも必要だ。

また、この法則の素晴らしいのは、「さてないものよ」と言って、「ふたつよいことは絶対にない」と言ってないこと。ふたつよいことも、けっこうあるときはあるらしい。

そう思うとなおさら「ふたつよいことさてないものよ」と呟きたくなるではないか。

ふたつよいことは、よほどの努力かよほどの好運か、あるいは両者が重なったときに訪れてくるが、一般には努力も必要とはいうものの好運によることが多い。

しかし、徳があれば好運に恵まれ、徳がなくなればそうでなくなるかもしれない。

好運によって、ふたつよいことがあったときも、うぬぼれで自分の努力によって生じたと思う人は、次に同じくらいの努力で、ふたつよいことをせしめようとするが、そうはゆかず、今度はふたつわるいことを背負い込む。

世の中のバランスは、そういう仕組みになっているのだ。

ふたつよいことさてないもの、とわかってくると、何かよいことがあると、それとバランスする「わるいこと」ことの存在が前もって見えてくることが多いらしい。それが前もって見えてくると、少なくともそれを受け入れる覚悟ができる。人は同じ苦痛でも覚悟したり、わけがわかっていたらするとしのぎやすい。あるいは、前もって積極的に引き受けることによって、難を軽くすることができると言われている。

ふたつよいことさてないものよ、というバランスを見る時に、物質的なことだけではなく、心の方にも目配りして見ることが必要らしい。物も心も含め、長い期間にわたって見ると、全体としてのバランスのよさに感心させられことが多いらしい。

目の前におきてくる、よいことわるいこと
その現実に一喜一憂する前に自分の心の持ち方を見直して見ることも必要かもしれない。

今日もよいことが続くことを夢見て、悪いことがおきても「ふたつよいことさてないものよ」と呟きながら微笑みながら暮らしたい

#こころの処方箋
#河合隼雄
#ふたつよいことさてないものよ



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