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元初まりの話5

かめ

巽(東南)
かめは大層踏ん張りの強いもの。
女一の道具 皮つなぎの道具
くにさづちのみこと

奈良の猿沢池に、なんぼでもいる。

頭と尻尾が同じ高さ
年中地面と同じ色の着物を着て、年中地面の上を、ゆっくりと這って歩いている。
これが辛抱強い心遣いを表している姿

かめは切らない!! つなぐ♪♪

かめには口に歯がない。歯というのは切る道具
たいしょく天のみことのふぐ(一枚歯)は切る道具
かめは切る道具を持ってないので、絶対に切らない。
刃物だけではなくて、言葉で人を切る人もいます。
たんかを切る、理屈を言って相手をやりこめる、これも切るにあたいします。

言葉で人を切ることは、する人としない人がいます。けれども、心で切ることは、お互いに誰でもしているかもしれません。
人に頼んだことをすっぽかされた、もうあんな人には頼まないと思ったら心で切ったことになります。だから、こんなことがあったときには、これから、私がものを頼まれたら、絶対にすっぽかしませんと心に悟ったら、それだけで一生の宝を授かったことになります。
ちょっと違うだけで、心で切るか切らんかという分かれ道です。
だから、絶対に切らんということは、手で人を切らんのはもちろん、言葉でも心でも切らない、つないでつないで繋ぎ抜くことです。
それだけ、つないでつないで、頭と尻尾と同じ高さになるほどの低い心で通っていたら、金銭でも縁談でも皮つなぎでも、命のつなぎでも、なんぼでも、つながっていくご守護がいただけるのです。

かめは脳みそが少ない!!
阿呆になれ!!
心配するな、工夫しよう♪

かめというものは、脳みそが少ない。脳みそが少ないということは、阿呆になれ、ということです。
阿呆になれ、とはもともとからの阿呆が阿呆になれということではなくて、もともと阿呆でないものが阿呆になれということです。いつでも阿呆になれるという心の広さのことを言われているのです。心が広くなれということです。

そして、もう一つは、心配するなということです。
心配することと、工夫することは違います。
心配するということは、神様がご守護くださるかくださらんか分からん、と思うから心配するのです。
神様不在なんです。
工夫するということは、必ずご守護くださる神様に、ご期待はずれの思いをしていただかないように、人間のやれる限りの努力をすることです。
心配するということは、神様を疑うということです。

疑いの心があると、ご守護頂けないのです。
心配と工夫は違う。
かめの脳みそが少ないのは、心配するなということなんです。
阿呆になれ、ということであると共に、心配するな、ということです。

かめは少食😊
欲が少ない♪

また、かめは少食です。欲が少ないということです。また、かめのはらわたとか、筋であるとかいうものを乾かして糸をつくる。作りあげた糸は、人間の身体の手術をする時に、これで縫うと溶けこんで肉や皮になるので抜糸する必要がない(すごい😳😳)

かめは、女一の道具、皮つなぎの道具と定められて、くにさづちのみことと神名に授けられたというところから思案させてもらうと、特に女性の心遣いとしては、つないでつないでつなぎぬくという心の働きが肝心です。

そして、男も女も皮はあるので、この辛抱強く低い、つないでつないでつなぎぬくんだという心を男女を問わず、しっかりと心に治めていただかねばなりません。それでこそ、金銭縁談なんぼでも自由自在にご守護いただくのです。

しかし、人間がかめみたいに頭とお尻を同じ高さにすると、おでこが畳についてしまいます。
一日中そんな格好でいたら、頭に血が下がってきてしんどくなります。だから形を真似るのではなく、心がそれくらいになって、日々通らせてもらう。そこに、どんなご守護もみなくださるのです。

このどふくくにさづちいと月よみと
これみのうちゑしこみたるなら
(おふでさき6号37)

この、たった一つのお歌の中に、今までの説明がみな入っているのです

すげ~!!😳😳😳😳😳

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