見出し画像

綺麗事を並べる必要がある人たち


SNSでは特に綺麗事を言うべき

 とある実業家(成功者)へのリプライで「無能には時給UPどころか最低時給も上げたくない」と言ったところ「能力に関係なく皆が笑顔でいられる職場作りが云々」みたいな綺麗事を並べてました。
※検索しても出てこないように少しぼかしてます。

 これは深い。

 そういう事を言うと庶民は喜ぶので賞賛リプの嵐。成功者は余計なことを言うと株価にも影響出るし、真実を言う人よりも「人とのつながりを大事に」みたいなふんわりした事を言ってる人の方が講演会の単価も高いし本も売れるし、より成功してます。

・私が思う真実

 無能を有能と一律で判断すると、有能は嫌になってとっとと辞めてしまいます。なので正解は「無能も切り捨てず、有能にはより好待遇」だと思うし、実際前述の成功者もそうしてるはずです。でも一般大衆に「僻み」の要素を与えるのは悪手。

 ここでも綺麗事があって月給無能でも30万円。有能には50万円が最低ラインです、みたいな事をやるくらいなら、有能に80万円払った方が良いし、時給でいうと最低時給1,000円ならば無能でも1,300円、有能は3,000円と大きな差をつけないと有能はすぐ辞めちゃうと思う。だから、実際はそのくらいの格差があると思う。なんならもっとあると思う。

 でもそれをバカ正直に言われたい人は、実際に高額報酬を貰ってる人でそれを材料に信者商法をしてる人以外では居ないはず。

 そもそも社会の仕組みは一部の有能が全てを引っ張っています。無能かどうかは別だけど、大企業の方が無能は多いです。だって大企業だもん。無能を雇う体力がある。

 大企業に入る為のライセンス(学歴など)を持たない無能は、現代の日本では相当苦しくなります。さらに言うと無能は怠け者だったり、性格がゴミだったりする可能性が極めて高く、これは勉学的な頭の良さとは関係ないけど、勉学的にも駄目だったりする可能性も高いです。

 さらに言うと、お金がある人しか勉強してはいけないと言ってるのではなく「お金がないと教育してあげられない」ので、必然的にお金がない人は学力という意味でも劣りがち。それを経験や特殊スキル、特定分野の有能さで補ったり出来れば、その人は「勉学が苦手なだけで頭が良い人」となります。なるというか事実。

 商品開発とか特にそうだけど、一部のエースが大多数を引っ張り、その恩恵により無能も生きられるというのは、組織として体力がある証拠だから、冒頭の綺麗事も事実だし間違ってはいないけど、言い方が大事。

部下を奴隷化して手柄を独り占め

 広告代理店に多い。誰よりも利益をあげてるから何も言われないけど、その裏で何もかも押しつけられたり、ミスした時要員にされてる人がいたり。こういうのはたとえ高給でも病むし、それ以前に3年くらい契約社員みたいなふんわりした身分だったりするから別に高給でもなんでもなかったりするところも実際あるし。

 綺麗事の裏にはこういう真実が必ずある訳で。

ところで私は文章が好きである

 依頼される有料の原稿も無料の文章(このnoteとか)もどちらも書いてますが、文章を書く事が好きです。

 起業以降、文章や映像などがいつの間にか仕事になってましたが、元々ゲームのマニュアルを作ったり、MVを作ったり、携帯用の動画を遊びで作ったりしてたので、基本的に全て遊び、趣味の延長線上がそのまま仕事になってます。音楽も。

「創作」とかいうと仰々しく感じるけど、物を創るのは子供の頃から好きだったし、多分、スタートラインの段階というかはじめて人の目に触れる場で曲を作った時点では、音楽より文章の方が好きだし得意だったと思います。

 結局、継続が大事って事だよね。今は何が一番好きとか無く、好きなことややりたい事は全てやってます。フリーランスが長かったけど、会社ってこういう事をする為に存在してたんだ、もっと早くからやってれば良かった、とすら思えてもう何年も経ちます。

 とか、自分なりの綺麗事を並べて締めくくってみたり。



私腹を肥やさない感じです。