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"普通に美味しい"ということ


ここのところ、ごはんが普通に美味しい”ことの価値についてよく考えています。

私がお弁当を作るようになったのは、普通に美味しいごはんを食べたかったから。

ここで云う”普通に美味しい”とは、
・食べる人のことを思い、人が手作りしている
・食材本来の風味や食感を楽しめる
・栄養バランスや味のバリエーションに富んでいる
・市販品も使うけれど、化学調味料の類はできるだけ少なくする
ということだと考えています。

文字にして並べると難しく見えるかもしれませんが、要はその最たるものは自然を頂く昔ながらのおうちごはん。ご飯と具沢山のお味噌汁があれば充分。

高級でなくても、手が込んでいなくても、品数が少なくても、普通に美味しい食事は滋味に溢れ、心にも体にもすぅっと入り、満足感や多幸感があります。食べ疲れをしないことも大事なところ。

昨今世の中には、利便性の代償に余計なことをしすぎて、不自然な味になってしまった食べ物があまりに蔓延っていると思うのです。
不味くはないけれど、自然に美味しいと思えないような。食べても心が豊かにならないような。
食べ物は特に、売れれば何でもいいという概念はなくしてほしいものです。

外に出れば、このような普通に美味しい”本来の食べ物”に出会うことが難しくなっていることを痛感します。
毎食は出せない金額を出さなければそれに辿り着けなかったり、そもそもそういうごはんを頂けるお店が少なかったり。
コンビニでは、ユリさんが書かれていたように、大して安くもなく取り立てて美味しくもなく、空腹を満たす為だけに納得のいかない選択をする。
そうしてその食べ物にも、その選択にも心を荒まされていく。そうして気力がなくなり、またそこに戻る悪循環に陥る。

かと言って、仕事や育児等に忙殺されたら、体力的にも時間的にも精神的にも余裕がなくなり、自分で作ることもすぐままならなくなります。
(食べることも作ることも大好きな私も、年度末や転職前はほとんど自炊できていませんでした。)

そういった各方面の現状を踏まえて、改めて”普通に美味しい”ごはん、本来であれば当たり前の食事を摂ることが難しくなっている今、その価値、重要性をもう一度見直したいと強く思います。


一昨日の日曜日にエンデさんとお会いして、代官山の一芯で美味しいかまどごはんを頂いたときもこんなお話しをしました。
このことについてはエンデさんが書いてくださっていますが(記事はこちら)、ここは普通にとっても美味しいごはんが楽しめる、素敵なお店でした。
(記事上でお褒めいただいているので恐縮ですが、残念ながらそんな大そうな人間ではありません笑)

きさ まみ

お弁当の蓋を開けた時のわくわく感や嬉しさを今後も少しでも皆さまにお裾分けしていきたく、応援もどうぞよろしくお願いいたします。