ギャルのポリシーに目覚めるアラサー

「GALS!」という漫画をご存じだろうか。1998年12月~2002年4月まで、集英社の少女漫画雑誌「りぼん」で連載されていた漫画だ。

渋谷でナンバーワンのコギャルにして警察官一家の長女・寿蘭ちゃんが、援助交際やいじめ、少年犯罪から恋愛のトラブルまで、学校内外の様々な問題を解決するドタバタラブコメディだ。確か年に3,4回は表紙と巻頭カラ―を飾り、2001年にはテレビ東京でアニメ化もされるなど、当時爆発的な人気を誇っていた。

当時小学生だった私も、友人とともにこの漫画に夢中になった。先祖代々続く警察官の道を継がせたがる父親に対し「親が敷いたレールの上を歩くなんてゼッテーやだ!あたしはあたしの道を生きる!」と啖呵を切る蘭に憧れた。(様々なトラブルに首を突っ込む蘭の正義感は、警察一家で育まれた賜物としか思えないが)
ファッションはともかく言葉遣いは蘭の真似をしていたし(なぜぶりっ子系の美由や育ちの良い綾の真似をしなかったのか後悔している)、蘭ちゃんみたいに生きたいと思っていたし、その甲斐あって当時クラスの男子に聞いた「将来コギャルになりそうな人」というアンケートでは私がダントツに輝いたというエピソードまである。

ちなみに担任としては不名誉なことだという認識だったらしく、アンケート結果が公表されることはなかった。確かに当時は女子高生の援助交際が問題視されていたし(GALS!の第一話も援交エピソードだった)、言葉遣いは悪いし、パンツが見えそうなミニスカートを履いているし、ヤマンバギャルや汚ギャルが現れ始めていたし、当時の大人にとっては「コギャル」なんてろくなもんじゃないというイメージだったのだろう。私自身、中学校では「ギャルグループ」に属するタイプの人と仲良くなることはなかったし、彼女たちに対してはうるさい、男に媚びる、派手で下品というイメージしか持てず、次第にギャルとカテゴライズされる女子を嫌いになった。

この考え方、蘭ちゃんにぶん殴られそうである。ろくに関わったこともない人を見た目やイメージだけで判断して見下すなんて。(そもそもお前ろくに中学に通ってもいなかったくせに何が分かるんだ)

アラサーの今に至るまでギャルの友人がいたことはないため、実際のところのギャルの生態は分からないが、蘭ちゃん曰く「周りに何を言われようとも自分が楽しいと思うようにポジティブにハッピーに生きる!」「あたしのことは何言っても全然かまわないけど,親友や家族を悪く言う奴はゼッテー許さねー!」のがギャルのポリシーらしい。(蘭ちゃんの数々の名言を私なりに解釈してまとめたもの)

私もそう生きたいとは思っているし、「人には誰にだっていいところと悪いところがあるんだから、悪いところだけに目を向けて悪口や愚痴を言うのは生産性がない」とここ十数年は本気で思っていた。しかし他人を悪く言うことを控えられても、「周りに何を言われても気にしない」のは難しいよな、と改めて感じている。
私にもいろいろと劣等感やコンプレックスがあるが、触れられたくないからこそ先回りして言うことがある。だがその言い方が自虐的に過ぎるということで、逆に周りに気を遣わせてしまい、自己嫌悪に陥ることがよくある。自分自身が他人のことにそこまで興味がないのだから、周りだって私のことにそんなに興味ないだろう。いい意味で。

マンガアプリでGALSの新連載(卒業後の話)が始まり、一気読みをしたらこんな思いがあふれてきた。
ちなみに新エピソードでは蘭ちゃんは彼氏と距離を置いていて、東大生のイケメンに一方的に言い寄られている。ふたりの偏差値は倍くらい違うと思うが、自分と友達と家族を大事にできる蘭ちゃんの人間性は、知性では測れない魅力があるのだと改めて感じた。
蘭ちゃんは「渋谷でナンバーワンのギャル」だが、ナンバーワンを目指したわけでもなければ元ナンバーワンを倒したわけでもない(多分。もしそんなエピソードがあればすごく読みたい)。ギャルのポリシーに則って楽しく生きていたら周りからの憧憬を集め、気が付いたらナンバーワンになっていたのだろう。

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