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心の中の10の世界

九條です。

仏教では、心(魂)の在り方について10種類(10ランク)の世界観を説いています。ここで言う「世界」とは「境涯きょうがい」すなわちその人の心の住処じゅうしょ(魂のベースとなっている世界)の事です。

この10の世界(境涯)を「十界じっかい」といいます。「(旧約聖書の)十戒」ではなくて「十界」です。

この「十界」の教えは古くから仏教の中にありましたが、中国はずいの時代の智顗ちぎ天台大師てんだいだいし)というお坊さんが分かりやすくまとめました。それを「十界論じっかいろん」といいます。

この「十界論」はその後、大陸・日本の多くの仏教宗派に多大なる影響を与えました。

では、以下に具体的に心の中の10の世界すなわち「十界」を下から上へ(魂のレベルの低いほうから高いほうへ)順に、ごくごく簡単にみて行きたいと思います。

01【地獄ぢごく界】
苦しみが絶えない世界。自身の周りのもの全てに苦痛(不平不満や怒り悲しみなどの負の感情)を抱き、ひとときも心が休まることのない世界。

02【餓鬼がき界】
欲望の世界。精神的な面においても物質的な面においてもあらゆる欲が止めどなく現れて永遠に満たされることのない世界。

03【畜生ちくしょう界】
本能のままの世界。弱肉強食の世界。理性が働かず、常に何かに怯えながら、そして常に何かを威圧し見下しながら生きている世界。

※ここまでの3つの世界を「三悪道さんなくどう」といいます。ここに落ちてしまうとなかなか救われないとされています。

04【修羅しゅら界】
争いの世界。常に怒り、何かと争い、いつも自分が1番でなければ気がすまない、自分が物事の中心でなければ生きていけないような自己中心的な世界。

※ここまでの4つの世界を「四悪趣しあくしゅ」といいます。この四悪趣までは人間らしい心が全く存在しない世界で、同時に複数の世界の苦しみを感じています。

05【にん界】
人間らしい心が存在する世界。ここに至ってようやく理性が働き出し、本能と理性とが共存している世界になります。喜怒哀楽や心の平安など人間の様々な感覚や感情が存在し、自己中心的ではなくて人の気持ちが理解できるようになる世界。人間らしい温かいコミュニケーションが成立する世界。

06【てん界】
喜びの世界。ただし一時的な喜び。有頂天。人の世界(人界)よりも1ランク上の別世界で、特別な力(神通力)などを持つこともできるとされる世界。仏教の守護神たちはこの世界に住むとされています。

※ここまでの6つの世界を「六道りくどう」といいます。普通の(仏・菩薩に縁が薄い)人は、この6つの世界をグルグルグルグルと永遠に行き来する(六道輪廻りくどうりんねする)とされています。

07【声聞しょうもん界】
学びの世界。自分の周りのあらゆることから学んで自身の心(魂)のレベルを高めようとする世界。すべての物事から学びを吸収できる心の世界。

08【縁覚えんがく界】
学者の世界。声聞界とは異なり(周りから受動的に学ぶのではなくて)自らが問題意識を持って周りに働きかけ、問いかける事によって真理を見出す世界。

※この「声聞界」「縁覚界」を合わせて「二乗にじょう」といいます。まだこの「二乗」の段階では「人を救う」という心は生まれていません。

09【菩薩ぼさつ界】
人を救う世界。ひたすらに人を助けよう、人を救おう、人の役に立とうとする心の世界。人を救うことによって自らが喜びを感じる世界。

10【ぶっ界】
仏の住む世界。人を救い、自らも救われる円満な世界。喜怒哀楽は感じるが、それは自分の心の喜怒哀楽ではなくて、人の心の喜怒哀楽を己の喜怒哀楽と感じ、人に寄り添い人を救って行ける世界。

※ここまでの「声聞」「縁覚」「菩薩」「仏」の4つの世界を「四聖ししょう」といいます。

一般的な仏教では、同じ境涯(ランク)の人どうしが集まりやすい(群れを作りやすい)と言われています。

そして私たち凡人はまず「二乗」を目指し、そのうえで「二乗」に満足することなく「菩薩」の修行(菩薩行)をひたすら実践することによって仏に救われる(仏としての悟りを開いて「仏界」の住人になれる)といわれています。二乗に満足して菩薩行を怠っていては絶対に救われない(二乗不作仏にじょうふさぶつ)と説いている経典もあります。

私(九條)が学び信仰している古代仏教の南都六宗なんとろくしゅうのひとつである法相宗ほっそうしゅう唯識ゆいしき仏教)の教えでは、これら10の世界すなわち「十界」は、自分の外にあるのではなくて、全ては自分自身の心の中の世界、すなわち心のありか、その時その時の心の状態を現したものだとされています。

人は何千回、何万回も生まれ変わりながら、ずっとずっと長い間「六道りくどう」をグルグルグルグルと行き来しながら(六道輪廻りくどうりんねしながら)少しずつ魂のレベルを上げて行く。

そうして行くうちに「六道輪廻」から抜け出せて「二乗」へと進む。そこでまた何千回、何万回も生まれ変わりながら、少しずつ仏教に縁をして仏教を学びながら魂のレベルをさらに上げて行く。

すると、やがて人間の姿はしているけれども心は「菩薩」となってこの世に生まれて来る。そうして人々を救いながら修行(菩薩行)をすることによって、やがて仏に救われて行く(仏の力に包まれて揺るぎない幸福な境涯を得ることができる)。

などと教えています。

さてさて、いまの私(九條)の魂は、どのへんのランクなのでしょうかねぇ?

※もしよろしければ、こちらの記事もご覧になってください。^_^

【おもな参考資料】
◎『望月仏教大辞典』1974年
◎志磐『仏祖統紀』(『大正新脩大蔵経』49 普及版  1990年)
◎護法『成唯識論』(竹村牧男『成唯識論を読む』2009年)
※その他、興福寺仏教文化講座で学んだことなど


©2022 九條正博(Masahiro Kujoh)
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