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光の道を辿って

時を重ねるごとに一つずつあなたを知っていって
さらに時を重ねて一つずつわからなくなって

「サウダージ」ポルノグラフィティ


愛してやまない人が、誕生日を迎えた。
ここ数年は誕生日当日に京都へ行って神社でお参りして、美味しいものを買って帰るのが儀式となっている。
彼が企画で発表した東京事変のプレイリストや好きだと言っていた曲を聴きながら、京の街を練り歩く。もうそれだけで楽しい。お参りが終わったら目星をつけていたお店へと足を運んで、彼を食べ物に概念化したら何だろうと考えながらお惣菜売り場を見て回る。
帰宅したら写真を撮るのも早々にお酒を開けて、私の考えた彼をゆっくりと食す。
(この一文が我ながら気持ち悪すぎて笑った。でも削れないからせめて斜線でお茶を濁す)


そしていつも思う。なんでこんなにも、彼に興味が尽きないんだろう。彼を好きになってからの年数を数えては、時の流れに新規ながらに驚くほどにはなった。もちろんずっと同じ熱量を保っていたわけではないが、生きるのがしんどい時をいつも救ってくれたのは丸山さんだった。知らなかった世界に踏み入れるきっかけをくれるのも、丸山さんだった。おかげでたくさん好きなものが増えた。

いろんなことを知ってもなお、丸山隆平という人間はわからない。


お茶目でムードメーカーで自由気ままにギャグを撒き散らすかと思えば、実は素は二枚目の京男で周りをよく見ている気遣い屋さんでエゴサーチなんかしちゃって、お月さまの満ち欠けに影響されちゃう勘のいい人で、生活が怠惰一歩手前にいってしまうほど食べることが大好きで、それを筆頭に好きなことには時間もお金も惜しみなく注いでは、熱が落ち着くとあっさり手放す身軽さも持っていて、その中でも一貫して美を愛し、愛されたジゴロのような危うい魅力を携えている、と私は思っている。


でもこの羅列した情報だって、丸山さんがメディアというフィルターを通して見せてくれる姿でしかない。もっと言えば私にとって好ましい部分をピックアップして作り上げた丸山隆平という像だ。


小学校の頃、僕が変なことをして、みんなが笑ってくれるっていうのがうれしくて。
親が厳しかったから、家ではすっごく行儀がいい子やったんですけどね。
だから参観日の時、どっちの自分でいていいか分からんかった。

TV GUIDE PERSON vol.105
(着飾る恋には理由があって)

それとよく、アイドルとミュージシャンと演技とでスイッチはどう切り替えるんですか?みたいな質問をされることがあるんですけど、それって普通の人もみんなやってることじゃないですか。
家では親になったり、会社では上司になったり、部下になったり、休みの日は恋人になったり。意識せずとも違う自分になっていますよね。

TV Bros 2017年11月4日号(映画泥棒役者)


こういう感覚が芸能人にもあるんだなあとすごく不思議に思った記憶がある。
彼の思考や言葉は、メイドイン丸山隆平を感じさせすぎるというかなんというか、、、不器用、いやそれもまた違う気がする。言い切ることができない複合的な魅力、のような。
わからない。わからないから少しでも知りたいと私はこの文章を書いてる。

都合のいいように像を作っても、まだ彼に対する好奇心は尽きない。
多分それはアイドルというには生々しすぎるところを、たまにぽろりと漏らすからだろう。(引用したのは私的にすごく惹かれたところ)
その言葉たちはドクドクと脈打ち、アイドルという2.8次元ぐらいの存在を限りなく三次元に近づける。

ステージと客席は決して越えることが出来ない高さがあるままでいい。それでもステージの上から客席に限界まで腕を伸ばしてくる丸山さんが好きだ。

「四十にして惑わず」とあるが、丸山さんはこのままゆらゆらしていて欲しい。始まりを告げる朝焼けではなく、夜を連れてくる夕焼けの橙みたいに。どこか寂しくてでも優しい光を注ぐ月のように、手を伸ばしても捕まえられない存在でいて欲しい。

最後になりましたが、お誕生日おめでとうございます。40歳の丸山さんもどうか、幸せでありますように。

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