西原真奈美
放置していた、庭 があったのでした。 少しずつこちらに 詩をアップしてゆきます。 宜しくお願いします。
詩やエッセイ、感想や雑文、Twitterの中では書き込めなかったことを、丁寧に書いてゆきたいと思います。 よろしくお願いいたします。
あなたは幼い頃から辛くなると、むっつりと黙りこんで塞ぐから、泣かなくても、しゃべらなくても色んな(もう、無理)が、胸いっぱい、喉元まで込み上げていると分かる。 そんなあなたを見送った朝は、決まって小さな乾物入れにしまってある、小豆の袋を取り出し封を切った。鍋に一気に小豆を広げると、あなたの足取りとは程遠い、乾いた音で勢い良く飛び散るのだけど、辛いのはここから。 洗い始めると、浮き上がってくる小豆を掬い、つまみ上げて捨てなくてはいけないのだけど、鍋を火にかける前に、いつもぼ
今夜は 吉原幸子を読む。 15歳で出会い、以来ずっと好きで。 この頃読むと、少し(通過) したのかなと思う。 のたうち回るような日々があったことへのオマージュ やっと、ここまで。 詩集『夏の墓』より「雨」 こころなんて 内蔵さ 内蔵のいたむやうに いたむのさ の痛みを傷みとして ロックのグラスと読める今も幸せだ。 長い時を超えて 今も私に詩があることも。 この函入りの装丁の、圧巻に美しい「吉原幸子全詩」は 私が二十歳の時、新宿 紀伊国屋書店で買ったもの。し
氷雨の朝、私は新宿にいた。 大好きな詩友に手を振り、そこからの予定も決まらないまま、もう一泊分の荷物の入った鞄をコロコロと曳きながら、ホテルを後にした。 悴む手、右手は鞄、左手は傘で、息を吐きかけることも出来ず、とりあえず紀伊国屋書店まで行こうと歩き出した。 大通りに出ると、そこはいきなり異界だった。東京マラソンの為に、交通規制の布かれた大都会は車一台なかった。雨のアスファルトがすべての音を吸い込んで、ひたひたと走るランナーも逃れようなく濡れて、安全と安寧を願うスタッフ
朝、猫の(うた)と一緒に家中の窓を開ける。外を知らないうたが飽きることなく外を眺める姿が好きで。存分に眺めるんだよ、と思う。 前の猫の(きら)が外で食べた異物でひどく体を壊し、7年で別れた辛さと、里親さんからの約束で(うた)は外を知らない。 柿が色づく頃になると、小さなキッチンの窓から見える柿畑が本当に美しい。素朴で飾り気のない柿が、紅葉した大きな葉っぱにちっとも負けない元気さで、たわわに実っている。 うたの一番好きな窓もこの窓なので、小寒い朝もこの窓は閉めない。 小
父としっぽ 家畜の往診を終えると、飲み始めてしまう父が、不意に大学時代の友人の卒論が「どんなしっぽの猫もしっぽの骨の数は同じ」ってテーマだったと話し始めた。 「それって一匹一匹触って数えたの?」と尋ねた私に、笑って「そうだろうなあ。」と答えていた。 何故かレントゲンで確かめるなどということは浮かばなかった。猫と言えば触って撫でてめでるしかなかったから。 (またまた酔った父の言うことはな…)と子ども心に思ったのに、いつまでも忘れられない。 アジトのようなアパー
出来ると思っている。夢の中では何度でも出来たから。 水の中で呼吸をすること。 (出来るから、出来るだけゆっくりね。)と言い聞かせてから、襞をたたむように胸懐を開いて、息つぎをする。 出来るのだ、いつでも。 私の中に水底の街がある。 それはジオラマではなく、ほんとうの。 そこからのこと、そこでのこと、そこから考えていることを 書いてゆきたいと思っています。 2018年11月。note再開します。 『水底の街』から。 西原真奈美
ゆっくりとですが続けてゆきたいと思います。アナログなのでしばらくは不手際もあると思いますが、よろしくお願いいたします。
noteはじめました。 140文字に入り切れない詩を 時折、綴りたいと思います。 よろしくです。