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コニカミノルタサイエンスドーム(八王子市こども科学館)と北浅川メタセコイア化石林ですよ

4日に。

千葉旅行その3が書きかけですが新年なのでもっと景気のいい記事からいきますね。その3、ちょっと辛気臭くて。
しかし3日に多摩動物公園に行ったときに(すぐ行ける場所なので記事にするまでもないと思っています)カメラを落としてレンズを壊してしまい、しばらくはいつもと比べてズーム倍率が小さいレンズを使う羽目になってしまったんですよね。そこだけはちょっと。
いやしかしレンズを壊したなんていうことを忘れさせる体験ができました。

コニカミノルタサイエンスドーム自体は小さな科学館です。プラネタリウムと小さな子が遊びながら物理の原理を学べるスペースを除くと、他の大きな科学館の1室分あるかないかくらいの展示量です。
しかし内容は宇宙探査と八王子の地学に絞られていて、一つひとつの展示内容を詳しく解説しているのでその分濃い見学ができます。今回目当てだったハチオウジゾウという化石ゾウは特にそうです。
他の施設ではあんまり見かけない工夫も多く見られます。また意外な内容が屋外展示になっています。

そして、ここから展示されている化石の発掘地への道のりがとても分かりやすいです。その発掘地がタイトルにも揚げた北浅川メタセコイア化石林です。
ここ自体は案内があるわけでもない、一見普通の河原に見えるところです。しかし200万年前の地層が長く露出していて、その上を歩けるのはとても臨場感があります。
そんな中でメタセコイアの切り株状の化石が現れるので、博物館の展示室内で大型動物の組み立て骨格を見る以上に太古の世界とつながる実感が得られます。

多摩地区某所

メタセコイアって梢のほうだけ視界に収めるようにすると(剪定されていること以外は)日本に繁茂していた頃とほぼ同じ風景が見られるので、生きている木でも太古の世界とつながりやすいんですよね。イチョウやナンヨウスギでもできます。
ただ国内の生きているメタセコイアより北浅川の化石株のほうが大抵は太いようです。当時は相当大きなメタセコイアが多数生えていたことになりますね。
化石株は保護されているわけではなく、雨や増水で傷んでしまったり失われてしまったりする心配がありますので、ご覧になりたいかたはお早めをおすすめします。


屋外展示

割と大きいように見えますが館内はそうでもないです。工作教室などのレクチャールームが占めているのかも。

あれっ、入館どころか門よりも手前にすでに解説があります。しかも向かいの公園にある日時計の。

そういうことなら見ておきましょう。これも立派な天文学の展示ですね。

戻って敷地に入りますと、なんだか突然地質の解説が。

そしてこれは……タイルで表現された八王子近辺の地形ですね。川が山を削った跡が読み取れます。地質の解説はこの地形図の各位置に合わせたものだったんですね。

地質の解説をしているついたての裏に周ってみますと、地層の断面が展示されています。いわゆる地層はぎ取り標本のように見えますが、地層の特徴をはっきり表すために作られた模型のようです。

こんな感じで目立つ要素が配置されています。

ここの代表的な展示であるゾウの臼歯もこのとおり。

屋外には他に「流星号」と名付けられた営団500形車両が展示されています。丸ノ内線で活躍していた車両です。「こども科学館」らしいですが路面電車や蒸気機関車ではなく通勤電車なのが珍しいかもしれないですね。
土日祝と小学校の長期休暇期間は車内に入ることができます。

使用され始めたのが1960年で廃車になったのが1992年なので車内ももちろん思いっ切り20世紀です。

運転台もこじんまりとしています。

当時の車内広告も残されています。なんでか結婚式場の広告が多かったですね。今少ないだけかな。

屋内展示

1階は特に小さな子供向けの内容ということもあって児童館のような温かみのある雰囲気です。
立派な牙のあるゾウのマスコットがいますね。ハチオウジゾウでしょう。
左に掲示されている天体写真は八王子天文同好会のかたが撮影したものだそうです。

1階の展示はこういう感じで頭上のレールをボールが行き交ったり、

回転する台座の上でコリオリの力が体験できたり、

長さの違う管を叩くと高さの違う音が出たりといった、いかにも「こども科学館」らしい仕掛けが並んでいます。

2階は吹き抜けで分かれていて左に進むと主に宇宙に関する展示です。

はやぶさは宇宙関係の展示には欠かせないヒーローになりましたね。

はやぶさのミッションのシミュレータもあります。

しかし奥にはISS(国際宇宙ステーション)の大型模型が待ち構えています。手前のやや右寄りに日本の実験棟「きぼう」が見え、その下の金色をした独立した機体が補給機「こうのとり」ですね。こちらも3種類のシミュレータに囲まれています。

これは地球の水の総量のうち人間が生活に利用できるのはほんのわずかっていうある種おなじみの展示ですが、海水に対する淡水や利用可能な水の量は穴の中に両手をかざすと手ですくうような格好で投影されます。

吹き抜けの右に進むとタヌキ、テン、キツネの剥製が、テンだけなぜか飛び抜けて撫でられすぎているような。

なんと、たたら製鉄を再現して河原の砂鉄から鉄を得る体験会が行われたそうです。
八王子では鉄鉱石は得られませんが、河原から砂鉄と炉の材料となる粘土、山から燃料の木炭となる木が得られるので、武州下原鍛冶という鍛冶集団が栄えたとのことです。とはいえ砂鉄からでは鉄が高級品にもなろうというものですよね。

ここまで引っ張っていましたがお目当てのハチオウジゾウの展示です。

ハチオウジゾウ(Stegodon protoaurorae)はステゴドン科ステゴドン属という、今のゾウ科のゾウとは少し違うグループに属するゾウの一種です。
日本のステゴドンはアジア大陸にもいた大型のツダンスキーゾウS. zdanskyiからほぼ同じ大きさのミエゾウS. miensisを経て体高が半分ほどしかないアケボノゾウS. auroraeに進化した(トウヨウゾウS. orientalisはその系統とは別に後から日本に辿り着いた)と考えられているのですが、ハチオウジゾウの臼歯にはミエゾウとアケボノゾウの中間の特徴が認められ、ハチオウジゾウはミエゾウとアケボノゾウの中間に位置する独立種であると考えられるようになりました。
大きさも中間と考えられているので、このイラストの体高はミエゾウを3.6m、アケボノゾウを2.0mとして中間の2.8mとしてあります。
また、このイラストはハチオウジゾウが主に森に囲まれた浅い水の中を歩いているように描かれています。ハチオウジゾウの周囲から発見されているメタセコイアや、ヒシやクルミなどの水辺に多い植物の化石に基づいた描写です。
さらに、奥に見えている山は高尾山です。200万年前の当時にすでにあったとのことです。八王子から東の後に武蔵野台地になる地域の様子は今とはかなり異なったはずです。

壁際にスツールが並べてあるとおり触れられる壁に描かれているので、大きさをかなり実感しやすいです。

壁画の左側に標本と詳しい掲示があります。

これが独自の特徴があるとされた臼歯です。今のゾウ科のゾウと同じく一つひとつの臼歯がとても大きく、ヒトの奥歯のように一度に全て並んで生えるのではなく、前から削れていき奥から新しいものが生えていくようになっています。
しかしステゴドン科のゾウの臼歯は凹凸の形状がゾウ科とは違い、Stego-(屋根状の)-odon(歯)の名のとおり三角屋根が並んだような深い凹凸が並んでいます。
そしてミエゾウをはじめ多くのステゴドン属ではその凹凸を覆うエナメル質が分厚いのに対して、アケボノゾウではあたかもゾウ科のようにエナメル質が薄くなっています。
ハチオウジゾウの臼歯の凹凸の数やエナメル質の厚さはミエゾウとアケボノゾウの中間となっていて、このことが独自の特徴であるということで2010年に独立種として記載されました。

……ここまで書いたからにはこども科学館の解説にないことを書かなければならないのですが、日野郷土資料館を見学したときに見せていただいた資料などによると、ハチオウジゾウとアケボノゾウの違いは種内変異の範囲に収まる決定的でない違いではないかとも言われているんですよね。
私もそれでおかしくないとは思っているのですが、日本古生物学会の機関紙「化石」の3月に出る号に詳しい検討の記事が掲載されるようです。
まあ今のところはちょっと慎重になっておきたいなと。

奥がハチオウジゾウの臼歯と同時に発見されたハチオウジゾウの牙、手前がハチオウジゾウのものとは限らない八王子市内で発見されたゾウの牙です。
ハチオウジゾウが独立種であるとしてもないとしても、この牙や臼歯に見合った大きさの個体であったことは確かですね。

これらが発見された位置が示されています。2012年の発見場所はすぐそこですが、2001年の発見場所こそハチオウジゾウの決め手となった標本の発掘地ですし、メタセコイア化石林があるのもこちらです。

こちらはメタセコイアの幹の化石の一部と琥珀です。今のメタセコイアの標本や写真も並べられるのはやはり良いですね。

後で重要になるのでちょっとアップで載せておきましょうね。

八王子で発見される琥珀はにごっているのだそうです。メタセコイアの樹液が固まったものだとしたらかなり生々しいですね。

地学の展示として他に「八王子隕石」の展示があります。これは古文書の記録から江戸時代の1817年11月22日に八王子に隕石が落下したことが明らかになり、その現物が0.1gだけ残っているのが発見されたというものです。
各地の文書に少しずつ記載があり、それを元に飛来した方角や各地点を通過した時刻が割り出されているのが面白いです。

さて、見たいところをじっくり見て一周しても1時間ちょっとでした。
プラネタリウムの最後の回を見られるチケットを買ってあったのですがかなり時間があるので、片道30分ほどかかるようですが思い切って上映時間までにメタセコイア化石林まで往復してみることにしました。

浅川~北浅川とメタセコイア化石林

科学館を出てすぐに浅川に出ます。河川敷も丸坊主のグラウンドに占められたりはしていなくて(他の場所にはあるんですが)なんとなく武蔵野台地が形成されていった頃を想像できる気がします。
上流に進んでいきます。

橋を渡ります。上流側が南北に分かれていて、北の北浅川が目的地です。すでに化石林と同じ地層らしきものが白く見えています。
遠くの山はもっとずっと古い年代の岩石がプレートの活動で持ち上げられてできたものです。かなり大地の歴史に満ちた光景ですね。

河川敷に降りまして、

メタセコイア化石林としてグーグルマップに示された地点はここなのですが、特に化石らしきものは見えません。しかしこの白くて岩にしては柔らかい地面は当時の地層です。

何かないか探しながら歩いてみますと……、

岩の中に5cmほどの何か「ふかっ」とした質感のものが埋まっていました。木の繊維らしきものを備えていますが、砂の中に最近新しく埋まった、というわけでもなさそうです。
おそらくこれも、化石化が進んでいない木材化石のようです。よく見ると今の植物が生える土台になっています。
これに触れることでこの地層が堆積した当時の世界につながることができました。

さらにグーグルマップ以外の資料も参照してみますと、ハチオウジゾウが発掘された地点が見付かりました。
ここに写っているうち砂利で覆われているところです。そのときの地表はすっかり削られて砂利で守られているようです。
この川で削られた土手の高さがだいたいハチオウジゾウの体高と同じくらいでしょうか。このくらいの緩く浅い流れなら難なく歩いて渡れたはずです。科学館の展示スペースでは下草はイネ科が主でしたが実際のところどうでしょうか、今ここに生えているようなものを食べたでしょうか。

下流に向かって進んでいきます。なんだかコククジラ……ひいてはアキシマクジラの背中みたいな中州が。ハチオウジゾウの年代にはコククジラ属はどうしていたんでしょうか。北海道から化石が出ていたと思いますが。

あっ。

見付かりました。メタセコイアの化石株です。
……あんまりにも今の木の切り株みたいなので正直ちょっと迷いました。

欠けたところに見える断面がこんなに瑞々しい木材の色ですし。

しかし川べりなんていう不安定な場所にこんな太い木が生えるとは考えづらいです。やはりこれは、ここが川べりではなかった頃に生えたメタセコイアの化石なのです。科学館にあった化石もほぼ同じ色でしたし。

ここは普通の多摩地区の河原で、すぐそこに住宅街があるようなところです。
しかしここにあるのは、大木という大きな生き物の大きさ、少なくとも幹の大まかな太さが分かる化石です。
動物でいったら椎骨と肋骨が1つずつ合わさったものか大腿骨が河原に落ちているようなものです。
しかも木の質感をあまり失っていません。石にしか見えないとかそういうものではなく、生きた木だったことがたやすく想像できるものです。

どんなに高い木だったのでしょう。
……いやしかし、今の植物達がそんなことはおかまいなしに平然と生えていますね。

一度埋まって地層の中で化石になったメタセコイアが、とっくに絶滅してから川の働きで地表に現れて、今の植物の世界に取り込まれてしまっています。

少し歩くとさらに2つ。ある園芸家が「木が3本植えられれば木に囲まれた空間、すなわち林にいる気分になれる場所を庭に作ることができる」と言いましたが、これだけ短い距離に3つもこんなに大きな切り株が現れる場所は大森林だったと考えざるを得ません。

それにしても、崩れた材が溜まったところができてしまっています。地表に現れた時点でこうして風化する運命なのです。標本として貴重なものは採集された上でのこれですから、今こうして見られるのはあと少しの間だけかもしれません。

個々に違った表情を見せています。

またひとつ、今度は平らに削れて年輪が見えますが、完全に川べりで夏にでも増水したら押し流されてしまいそうです。
川の働きで見えるようになったものが川の働きで失われそうになっているのですから儚いものです。こうして人知れず自然の作用で失われた太古の痕跡が地球上には数えきれないほどあるのでしょう。

最後に見付かったものは岬のように川に突き出していましたが、

よく見るとその株から上流側に材化石の層があります。もしかして横倒しになって埋まっていたのが一部分だけ顔を出したものなのでしょうか。

そうだとするとここに立っているのは丸木舟に乗っているようなものです。200万年前のメタセコイアでできた、どこにも行かない、ただ太古の世界にさかのぼれる舟です。

対岸に広く地層が顔を出したところで、それ以上は地層が見えなくなりました。

今の植物に覆われてふかふかとした地面を通って、現代の世界に戻ります。

河原は元から、自生した木という野生の大きな生き物がとても身近に見られる場所です。今回は200万年前のそれを見ることができてしまいました。

この後無事上映時間までに科学館に戻ってプラネタリウムを見ることができました。

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