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渋谷区ふれあい植物センターでした

また「でした」を施設名の後に付けなければならなくなってしまいました。

去年11月に渋谷区ふれあい植物センターを紹介し、さらに小さくとも素晴らしい植物園であるここを野菜中心の施設に作り替えてしまう計画があるということで、アンケートの呼びかけも行ったのですが……、
このアンケート自体は大きな反響があったそうなのですが、渋谷区は結局計画を変えないことにしてしまったのです。

今日これを書いている12月28日が、植物園としての渋谷区ふれあい植物センターの最後の開園日でした。しばらくして同じ名前の施設が開いても、中身も働いている人も全く違う施設となっていることでしょう。

私は、街で生まれたものの価値に気付かずになんとなくそれっぽいもので置き換えてしまう渋谷区という自治体をクソダサいと思います。

クソダサいものについて書き残しても世界に価値が増えないので、価値のほうについて書き残します。

ものの見方がすっかり変わるような見学、というのを私は動物園や水族館、博物館での理想にしていますが、どんなに集中して見ようとしてもそこまでのものに出会うことはそうそうありません。それを渋谷区ふれあい植物センターはあっさりクリアしてしまいました。

それは、センターが普通の植物園、あるいは動水博よりは図書館に近い存在だったからではないかという気がしています。

私は動水博をたびたび図書館に例えています。一つひとつの展示物を主体的に読み解くことで、ただ「背表紙を眺める」のとは比べ物にならないほど多くのことを知ることができるからです。

しかしセンターは他にも「図書館的」な良い点を備えていました。小さいのでかえって繰り返し通って面白いものを見付けることがしやすいこと、学び取ったことを施設の外にまで広げやすいこと、ひとによって違ったものを見出しやすいことです。


これを書いている1ヶ月前の11月27日、名残を惜しむつもりでセンターに行った私は、これまでも何度か見ていたはずのある植物群に、ようやくきちんと向かい合いました。

パイナップル科です。

パイナップル科の植物はおおむね見慣れた「パイナップルのヘタ」のような葉の生やしかたをしています。そしてその中の多くは着生植物、他の植物の幹や枝に生える性質があるのです。

この形が着生生活にどう役立つのか理解していなかった私はパイナップル科をよく分からない植物だと思っていたのですが、このとききちんと観察しようと思って中を覗き込んで初めて分かりました。

なんのことはない、杯状に近い形がシンプルに水を貯めるのに適しているのでした。水を含んだ土に接することができなくても水が得られるというわけです。

見る限りパイナップル科のどの植物もこのシンプルな構造を利用しています(これとはかけ離れた姿のものも存在はします)。こうしてパイナップル科の植物達は私にとって何をしているのか見て分かる、活き活きしたものになったのです。

これは特別展示の日本全国、さらに海外の砂漠も少し含んだ土の展示です。植物を支える人達が植物を支えるものの展示をしたわけです。

これは私が初めてちゃんと見た植物園であるのんほいパークの植物園がある豊橋市の土。

この日最後かもしれないというつもりで、一つひとつの展示を見逃すまいとして過ごしました。


しかし、この時点でまた最後に何かやるらしいということをTwitterで察知していました。
そして12月に入ると、センターから最後の特別展「知の果てのまだその先へ: 植物園の種をまく」の開催が知らされました。それに合わせて、これを書いている1週間ほど前の12月19日に再び、最後の見学に出かけました。

私はセンターへは渋谷駅からではなく恵比寿駅から向かうようにしていました。線路沿いの道にも色々な植物が植えられたり、勝手に生えたりしています。

それは鉢植えの花であったり、線路の脇にたくましく伸びようとする小さな樹木であったり……、はるかな4億年前のデボン紀からあまり変わらない姿でいながらそのことを意識されもせずに植えられるトクサであったりします。

思えばセンターさん(というか園長の宮内さん)はセンターの内外に関わらず、渋谷の街中に生きる植物や売られている果物の面白みを体当たりで紹介してくださっていました。

体当たりっていうか命を燃やしてました。ドラゴンフルーツの蕾の解体と種のカウントに。詳細はご本人のツイートから(アカウントを消される予定だったのを変更されたとのことなのでこうして紹介することができます)。

園長さんのハジケっぷりで脱線しかけましたが、ともかく園内だけでなくセンターに向かう道中やあらゆるところの植物が、園長さんほど熱心に読み込むのは難しいにしても、決して読み終わることのない書物であるといえるのです。

ではどう読み解くのかということですが。

センターの前でモモイロバナナが実を付けています。

鍋島松濤(なべしましょうとう)公園の池で捕獲されたワニガメです。イトミミズのような舌以外ビタイチ動きませんが、舌を餌に見せかけて獲物をおびき寄せるという狩りのために最適なポーズを保ち続けているのですから、ワニガメとしては最高に「何かしている」状態です。

そうです、動物園や水族館で動物(哺乳類という意味ではなく植物界や真菌界に対する動物界という意味ですよ)を見るときは動物の判断や行動、つまり「何かしている」ところを見るのがよいのだと言い続けてきましたが、動いていなくても「何かしている」のです。

そして、植物は目に見えて動くことが滅多にない以上、全く動きがないように見えるときでも、葉の表面で栄養源たる光や二酸化炭素を「捕まえ」、葉の内側の葉緑体でそれらを「食べ」、成長点で上や横に向かって「進み」、全身の細胞で重力や外部からの刺激に「注意を向け」、花で昆虫に「アピールし」、実や球根や芋に栄養を「蓄え」……、常に全身で「何かしている」のです。

さらに植物は、これまでそうして判断し行動してきた記録を植物の体そのものに痕跡として残しているのです。生き物の判断や行動を観察する上で、動物と比べて読み解く難易度は高いですが得られる情報の量は大変なものです。

これはアフリカバオバブの幹です。一つひとつの傷や出っ張りがこのバオバブに今まで起こってきたことの記録です。また、バオバブは幹の樹皮の下にある葉緑体でも光合成ができるので、この写真はまさに今バオバブがバオバブらしく幹で光合成をしている姿を捉えた写真でもあるんです。うっすらと緑がかっているのが分かるでしょうか。

ここで何かをしてきたという痕跡が如実に残っているのがこの大きなビカクシダです。ビカクシダは自分の一部の葉を植木鉢のようにすることで着生する植物です。

ビカクシダとは何かということを解説するファイルを土台の木の板からぶら下げている金具が、ビカクシダ自身にめり込んでいます。ここで大きく育ってきた証拠です。

子孫を広げるという親の植物の判断と行動、ここに生えるという子の植物の判断と行動。

これから先、私はセンターの外の植物も「目の前で判断と行動をして痕跡を残している生き物」として見続けることになるでしょう。この最高の植物園が存在し活動してきたことの痕跡です。


さて、閉園間際の2回とも、園内には他の来園者さんの姿が多く見られました。名残を惜しみながらも各々が自分のやり方でセンターを味わっているようでした。

ここまで書いてきたのはあくまで私のやり方です。センターに行った皆が皆パイナップル科の葉のメカニズムや植物はいつ見ても何かしている最中だということに感激して見方を変えなくてもいいのです。皆さん他の何か素晴らしいものを見付けられたでしょうから。

他の何か素晴らしいものを見付けたという、すごく分かりやすい例となる出来事が先日センターであったとのことです。

クリスマスプレゼントに大きな葉っぱが欲しいという6歳の子供の願いに、園長が園内でその子と一緒に葉っぱを選び、アンスリウム・フーケリーの葉を選び出してプレゼントしたというのです。

この個体です。ほぼ中央に写っている白い部分のある葉がプレゼントになった葉です。この個体に対して私もあまりの巨大さに感じ入っていたのですが、いくら同じ植物園に訪れた者同士でも同じ1枚の葉に対して他の人も注目したと知ることなんて滅多にあることではありません。

そして、私にとってはあくまでその葉も含めた個体全体が特に印象深い個体のうちのひとつ、というのにとどまるのに対し、その子にとってはこの葉たった1枚が本当に特別な存在になったのです。

今回ここに書きとめたお話はあくまで私がセンターで見出したものとして、お読みくださった皆さんはこれからお好きな施設や新しく訪れた施設で、何か素敵なものを見付けられればと思います。

実はセンター最後の特別展というのもそれがまさに本題なのでした。

スペース中央に置かれているのは植物園をイメージした切り子ガラスと様々な植物、左手の壁にあるのは昆虫標本やコケを中心としたセンターの展示物以外のものですが、奥の壁に貼られているのは、全国の小さな展示施設のリーフレットやチラシです。

「全国小規模ミュージアムネットワーク(小さいとこネット)」の加盟施設です。皆さんのご近所の施設も含まれているかもしれません。

肥料の粒とともにこれと同じ文書をご配布いただいたので、部屋のタンスに貼っておきました。

これをお読みの皆さんにも私から種子を広げることができていればと思います。

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