パクリと転売

「パクリ」について、なんとなく考えていて、そのことがぼんやりと頭にあった状態で、「転売」のことを考えたときに、そうか、「パクリ」と「転売」は同じカテゴリーのものだな、とわかりました。

補足しますと、ここで考えていた「パクリ」は、この映画はあの映画のパクリだ、というようなときに使うイメージのやつで、それは精神的な領域、文化的な領域の話で、「転売」は、転売ヤーなどと揶揄されるときの、商品の転売のイメージで、これは物的な領域の話だといえます。そういったイメージでいくと、それら「パクリ」と「転売」は、(精神的な領域と物的な領域ですから、)ふだんは同じものとしては考えないのですが、それら2つの言葉を行き来することにより、パクリとは何か、転売とは何か、どこが駄目なラインなのか、ということが見えてくると思います。

転売についてぼんやりと考えたのは、ユーチューブで「億万長者への挑戦」という動画を見ている時でした。ディスカバリーチャンネルの動画で、どういう内容かというと、億万長者の人が身分を隠して所持金100ドルから始めて、90日で10000ドルを稼ぐことができるのか、アメリカンドリームは今でも可能なのか、という動画です。まだ2話しか観ていませんが、所持金100ドルの主人公は、車を安く買って、それをちょっとなんか洗車とかしただけで、高く売っていました。転売です。商売の利益の上げ方の基本としては、安く買って高く売るというものがあり、それをやっているわけですが、見ていて、正直ズルいことをやっているという印象がありました。

その動画のコメント欄を読んでいると、「転売てか ちょっと良くして高く売るてのを繰り返してるなぁ」というのがあり、なるほどと思いました。その「ちょっと良くして」の部分が、重要な、良い行為か悪い行為かの判断のポイントなのだとわかりました。

「ちょっと良くして」には、例えば、買うのを便利にするとか、商品をきれいにするとか、そういうことがあたります。その「ちょっと良くする」のにかかった労力が値段にプラスされるので、もとに買った値段よりも高く売るということになる、という理屈なわけでしょう。まあたしかに、実際に良くなっているのなら、値段が上がるのにも納得できるでしょう。

その「ちょっと良くなった」転売が良い転売だとすると、悪い転売は、「ちょっと悪くなった」転売だということになります。つまり無駄に横入りして、不当に値段を釣り上げて転売するようなタイプのいわゆる転売ヤーの方法は、悪い転売だということができるでしょう。

元より「ちょっと良くなった」かどうかが、良い転売か悪い転売かの判断のポイントです。


パクリの場合でも、やはり「ちょっと良くなった」かどうかが、糾弾されるかどうかのポイントだと思います。
とはいえ、「実際の品物」の転売と「情報」の転売では、性質が違うところがあるので、なかなか複雑ではあると思います。

また、良くなったかどうかは、人それぞれの立場で違う場合もあり、そこが、意見が分かれる原因となっているところでしょう。


どうやら、私たちがやっていることのほとんどは、転売なのだとさえいえるような気がしてきました。

「ちょっと良くなった」にはどんな種類があるかをザッといくつか挙げて、今後の「転売」の参考にしたいと思います。(同じようなことを違う言葉で言ってるのも多々あり。)


・安くなった。

・きれいになった。

・使いやすくなった。

・手に入れやすくなった。

・ごちゃごちゃしていたのが整理された。

・かゆいところに手が届くようになった。

・わかりやすくなった。

・雰囲気がよくなった。

・便利になった。


などなど。

するならば、良い「転売」をしたい。




また、悪い転売の例として、転売ヤーという、誰でも買えるところに、正規に買いたい人の横入りをして買い占めて、高く売るということを、映像的に憤りをもって描いている場面が、黒澤明の『素晴しき日曜日』の中にあります。
映画の最後らへんで、主人公のカップルがコンサートかなんかのチケットを買うのに並んでいて、その主人公のカップルの2つ前くらいに並んでいた男が、チケットを全部買い占めます。そして、そのチケット売り場のすぐそばで、今まで並んでいた人たちに、高値で売り始めます。いわゆるダフ屋です。悪い転売の例として非常にクリアに分かりやすいので、悪い転売の映像的説明として最適だと思います。


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