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たまには仏教の話もしましょうか

住職日記の方だと割と過激な展開にしかならない仏教の話。最近は日常の他愛もないことを書けるようになってきたので、ネタ枯渇の苦し紛れに仏教について書くことも減っていますが、noteでは書いたことがないので書いてみようかな、と。

目立っちゃいけないので、大人しめに。

お坊さんに聞いてみたいことリストの上位に常に入っていると思われるのが、霊の存在と、前世、そして坊主丸儲け。

霊については、いたらいいなと思います。ショコラに会いたい。出てきてくれるなら出てきて欲しい。そんな感じ。お墓の真横に住んでますが、そんな感じ。

あ、終わってしまった。あっさりしすぎでしょうか。

前世

次、前世。

仏教の考え方の根本は、「原因と結果」にあります。「何か」がある時、その「何か」には必ず原因があります。良いことであれ、悪いことであれ、良くも悪くもないことであれ。この世の中のすべては、原因と結果で成り立っている。それが根本です。

原因を取り除けば結果がなくなります。今の結果が気に入らなければ原因を取り除けば良いのですが、過去に遡って取り除くことは不可能なので、今自分が作り出そうとしている原因に対して意識を向けなくてはなりません。仏教各宗派の中でも、特に「今」というこの瞬間に極限までフォーカスするのは、禅宗と呼ばれる宗派の特徴と言えます。私の曹洞宗も禅宗に数えられますので、私の考え方も当然、そんな感じです。

この、原因と結果の話がやたら大きなスケールで語られだすと、前世の因縁、というやつが出てきます。因縁というのは「原因と結果」のことです。原因があって、今の縁がある。それで「因縁」。

今の自分の境遇が恵まれていないのは、前世の行いが悪かったからだ、となるわけですよね。ほんと、スケールの大きな話です。でも、確かに原因と結果ではあります。

とは言え、過去には遡れません。これはこの世界のルールです。だから、前世があろうがなかろうが、自分の今後のために何かをするのであれば、それは常に、今、なのです。

もし自分に前世の記憶があるというならば、そしてその時の行いが悪いのであれば、今この瞬間に心がけをするべきです。前世の記憶がないのであれば、何も気にする必要はありません。無いものは無いのです。もしも前世があったしても、あなたにとって無いのであれば、それは無いのと同じです。前世があるかないか、それを考える必要はありません。やるべきことは、今、何をするか、です。

もし、他人に自分の前世の行いを指摘されたら、無視するか、縁を切るか。お好きな方を選んでください。自分の前世については気にする必要はありませんが、そんな程度の前世のことをことさらに指摘してくる人は、自分に悪影響を与えるだけの人です。どんなに良い人に見えても。

坊主丸儲け

最後に、仏教の話とはかけ離れますが、坊主丸儲けについて。

大変に有名な言葉ですが、本当に儲かってるの?というのは気になるところでしょう。

宗教法人という法人格の話とか、税金の話とか、境内整備・建物維持に毎年どれくらい必要だとか、事細かに書いて窮状を訴えても響かないと思うので、あえて言うならば、儲かると思うなら、なんでみんな僧侶にならないの?

お坊さんはお金あって良いよなぁ、と思うなら、なれば良いじゃない、お坊さんに。

儲けたくて起業するなら、やり方を調べて取り組むじゃないですか。みんなそうして会社を起こして六本木ヒルズや軽井沢の別荘を目指すでしょう。お坊さんになる方法は、ちょっと調べればすぐに分かります。起業よりもはるかに簡単。お寺も空き寺ばかりですから、すぐに住職になれますよ。(すぐと言っても、必要な条件を満たすのに数年はかかります。真面目にやってれば住職への道は決して長くない。)

でもそれをやる人がいない。お坊さんが儲かるか儲からないか、こんなに分かりやすいことは世の中になかなか無いですよ。

だからと言って、私が嫌々住職をしているわけではないですよ。仏教の教えは親しみやすく分かりやすい。そして人生をハッピーにする方法が詰まっています。それを少しでもたくさんの人に届けたい。だから住職をしています。

と言うわけで、実のある話と実のない話をお届けしました。明日からはまた、写真と動画のお話になる予定。オンライン会議の話題も書きたいけれど、実体験できないでいるので、なんとも歯痒いです。

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