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【短編】甘いのがお好きで?-前編-【『ミルクは先か後か入れないか。』『苦いままでいい。』Another Story】

 業界が仕向けたイベントだと分かっていても、やりたくなる、やらなければならないと思わせる、甘いイベントのはずなのに、甘ったる過ぎて胸やけしそうになるとうんざりし始めたのは、いつからだったのか。
 落ち着いた店内でも、そのイベント当日の前後は皆落ち着きなく、何やら楽しそうでもあり、いつもなら飲まないチョコレートフレーバーの紅茶や甘いお菓子をセットで頼まれるのも増えてきたように感じる。
 それは、この男も例外ではなかったようで。

「珍しいね。なんちゃってロイヤルミルクティーを頼まないなんて」
「その言い方、悪意があるぞ」

 彼は若干顔を紅潮させながら、あたしを睨むが、そんなもの怖いわけがない。睨んだお返しに、とっておきの笑い顔を見せる。

「何々。あの子になんか言われたの?」
「別に」

 これ以上喋らせないとでも言いたげな素晴らしい速さで言葉を返される。それが、可愛らしくてからかいたくなるのが、あたしの性ってもんで。

「あ、もうすぐアレが来るから、意識してるんでしょ」
「してないよ」
「じゃあ、何さぁ。このままあたしに言ってくれなかったら、いつまで経ってもあたし、勘違いしたままで終わっちゃうなあ」

 ちらりと彼の方を見て、直ぐに視線を逸らし、口の端を意味深げに吊り上げる。

「……意識してるってあの子に言っちゃうかもなあ」

 焦った顔に笑いそうになるのをぐっと堪えて、彼の言葉を待つ。

「……美味しいって言ってたから」

 ぼそりと彼は言う。聞こえてはいるが、「ええ? おばさんには聞こえない」とおねだりをする。彼は、あたしを睨みながらもゆっくりと口を開いた。

「この前、もうすぐば、バレンタインだねって話になった時に……ツムグさんがチョコレートフレーバーの紅茶の話をしてくれて」
「え、ツムグちゃんって言うんだ、あの子! 可愛い。ちゃっかし、下の名前で呼んじゃって!」

 あの子の名前を初めて知った衝動で、つい彼の話を遮ってしまった。慌てて口を押さえて、話の続きに耳を傾ける。

「……そんで、あんたのガトーショコラと一緒に食べたら美味しいって言ってたから、今度会う時に、感想言えるようにって思って……何にやにやしてんの」

 頑張って堪えてるつもりだったが、どうやらバレていたらしい。

「いや、健気だなあって思って」
「馬鹿じゃないの」

 そう言いながらも、顔を赤らめているところがまた可愛い。
 あたしは満足して、彼の注文を作りに向かった。
 やかんでお湯を沸かしている間に、彼のお気に入りのティーカップに似合うプレートを選ぶ。これもいい、あれもいいと悩むのが楽しくなりながらも、一枚のプレートを手に取る。沸いたとやかんが呼んだら、火を止めて、ポットとカップにお湯を注いで温める。温めている間に、ホールで作ったガトーショコラを一人分で目測して包丁を入れ、選んだプレートにそっと置く。ポットが温まったのを確認したら、ポットのお湯を捨て、チョコレートフレーバーの缶からティースプーン一杯分の茶葉を入れて、今度は、ティーカップ一杯分のお湯を注ぐ。蒸らしている間に、やわらかめに泡立てたホイップクリームをガトーショコラに乗せ、その上に紅いフリーズドライのラズベリーを散りばめておく。木製のトレーに飾り付けられたガトーショコラとホイップクリームがたっぷり入った小さめのココットを置いて、ポットで蒸らされた紅茶を温められたティーカップへと注ぐ。チョコレートの甘くもほろ苦い香りが鼻腔をくすぐり、思わず笑みがこぼれる。
 彼は新しいものを見た子供のように目をキラキラとさせた。紅茶の風味を邪魔しない蜂蜜を少しだけ入れて、ティーカップに口を付けると、嬉しそうに目を細めた。ガトーショコラを頬張れば、満足げに頬に手をやり、入れても美味しいと付け足したホイップクリームを紅茶に落として喉へと通せば、これまた幸せそうな顔をした。
 口では生意気言っているが、実は素直に顔に出してしまうことをあたしは知っている。彼はきっと、あたしが厨房から嬉しそうに紅茶とケーキを口へと運ぶ姿を眺めているなんて、知らないんだろう。

「可愛い奴め」

 彼はどんな感想を抱くのだろうか。あの子になんて言うのだろうか。その光景を直接見れないのが、少し惜しく感じたが、それは、あの子から解消してもらうことにしよう。

 お昼過ぎ、今日は授業が午前だけだったのか、いつもより早い時間にあの子がベルを鳴らして顔を覗かせた。いつものカウンター席に座って、今日はオレンジピール入りのアールグレイとクロカン・ココで一息つくらしい。

「あいつと最近どうなの?」

 あまり客がいないことをいいことにカウンター越しの彼女にドストレートを投げる。ストライク。彼女は分かりやすく、目を見開き、茹で上がった顔で私を見た。

「最近、どう、とは……」
「あの日から、あいつと何かないかなあって。進展ってやつ?」
「進展……」

 彼女は過去を思い出すように目を泳がせた。あたしは彼女がもう一度口を開いてくれるのを待つ。

「……この前、いつもみたいにお昼休み、食堂に行く途中、声を掛けてくれて」
「へえ、あいつが」
「何か物でも落としたのかなって思っていたら、『この前、教えてくれた紅茶、美味しかった』って、『教えてくれてありがとう』って、わざわざそれを伝えるために駆け寄ってくれて」

 ――なんて幸せそうな顔をして話すのかしら。

 火照った頬を冷ますように、両手で頬を包み込む彼女が愛おしく感じた。これをあいつが見たら、きっと赤面するに違いない。

「微笑ましいねえ」

 幸せの溜息が口から漏れ出してしまう。この時期にぴったりの甘さだ。

「それで?」

 あたしは、口の右端を吊り上げて歯を見せる。

「そろそろアレが近付いてるけど、貴女はあいつに何を渡すの?」
「えっ」

 また、赤くなっちゃって。可愛いんだから。

「わ、渡したいなあとは思っているんですけど、その、私だけが舞い上がってないかが心配で」

 何を言っているんだ、この子は。

「この前、やっとここで話せるようになったばかりなのに、急にチョコを渡すとか、馴れ馴れし過ぎるかなって」

 何を言っているんだ、この子は。

 お互い気になり合っている、を通り越して、恋心を覚え合っているにもかかわらず、そんな遠慮をしているだなんて――。

「――もったいない」
「え?」

 あたしの中の御節介ばばあが顔を出した。

To be continued...

最後まで読んでいただき、ありがとうございました! 自分の記録やこんなことがあったかもしれない物語をこれからもどんどん紡いでいきます。 サポートも嬉しいですが、アナタの「スキ」が励みになります:)