文言噺『ライバル』

私の一番にして唯一のライバルは、自分自身である。
…と言えば聞こえはいいが、単に他人をライバルにしていないだけだ。

まず「ライバル」という位置づけをするためにはその人物と自身の能力が近しい場所になければならない。そうでなければ互いに切磋琢磨できないし、圧倒的な差があればそれはライバルではなく目標だからだ。さて、そこで一度自分を客観的に観た際、私自身と近しい能力の人はいるだろうか。
…いない。思いつかない。存在しない。いるワケがない。思いつく人間は全て自身より格段に上の人間だ、敵うハズがない。仮に自身に近い人間を今から探そうにも「探すこと」に私が労力を割いてるうちに相手はどんどん先へ進んでしまう。これでは意味がない。
だったら、ライバルを他人に求めない方が気が楽だ。

このライバルである「私」、こいつは実に厄介な人物だ。
例えば先日コイツが作った記事、この記事には架空の作品が混ざっていて「この作品は架空なのでは?」とフォロワーに指摘されるかどうかというゲームの一つとして制作されたものだった。
結果は彼の勝利、誰一人「この作品は架空だ!」と指摘するものは現れなかった。やった!私は上手く騙せたんだ!俺の勝ちだ!

…さて、本当に騙せたのだろうか。確かに「指摘する者」は現れなかった。それは事実だ。しかし、「指摘できなかった」のではなく「指摘する気がなかった」のだとしたら…そもそも「読んですらいなかった」ならば話は変わってくる。
もし記事を読んでいたならば彼の目論見通りだろう。だが、「読もうとしたが文章が長くてやめた」「誤タップでアクセスしただけで読んでいない」「そもそも読もうとすらしていない」としたら…彼は一人「ないこと」がないことに喜ぶ阿呆でしかない。まるで建っていることすら知られなかった天守閣で「難攻不落だ!」と一人高笑いする馬鹿将軍である。焼かれてしまえ。

一応、数字上では500弱のアクセスがあったと記録されている。が、この数字の人数そっくりそのまま人数になる訳ではない。一人が複数回訪れている可能性もあるし、訪れたものの読んでいない可能性だってある。そこのところを考えると…5人ぐらいだろうか、最後まで読んでくれたのは。そこから指摘した人数が0となると…まぁそんなもんか。100人いるならまだしも、5人の中から指摘する人が出るか?となると明らかでもない限りまずいないだろう。
…「指摘する」ならばの話だが。

指摘されなかった理由…もう一つの理由にして最大の理由はコイツ自身だといえる。というかそれ以外に思いつかない。むしろコイツだけが原因、この上の1000字をすっ飛ばしてもいいくらいの原因だ。元凶だ元凶。

話しかけづらい。なんなんだコイツ。人間かどうかも怪しい。アイコンも何この…なんなのコレ?まだ初期タマゴアイコンのほうが話しかけやすいだろうよ。ホントにこの…この…なんなんだコレは…
「指摘をする」まえに「話しかけられるかどうか」というのが問題となる。指摘しようにも話しかけられなければ意味がない。その段階が踏みづらい時点で企画としては軽く詰んでいる。ダメじゃないか…

最強にして最悪のライバルである「私」、コイツをいかに攻略して「より親しみやすい人間になるか」が私の今後の課題である。