オノ・ヨーコのアート

『サウンド&レコーディング・マガジン』2009年11月号


ショーン・レノンの母、ジョン・レノンの妻でありパートナーであるオノ・ヨーコは、それ以前にアーティストとして60年代初頭から前衛芸術運動であるフルクサスの一員としても活動していた。ジョン・レノンとの出会いも、1966年にロンドンのインディカ・ギャラリーでの個展『未完成の絵画とオブジェ』を、そのオープン前日にレノンが訪れたことがきっかけになっていることはよく知られている。天井に据えられたキャンヴァスに書かれた小さな文字を、はしごに上り、天井から吊られた虫眼鏡で見ると、そこには「YES」と書かれている、という作品《天井の絵》では、それを見たレノンはその言葉が「NO」ではなく「YES」であったことにいたく感銘を受けた。また、観客が白い何も描かれていないキャンヴァスにハンマーで釘を打ち付けることができる《釘を打つための絵》で、レノンはさっそく釘を打つことを申し出た。しかし、彼女は、展覧会の初日までキャンヴァスをそのままにしておきたかったため、それを断る方便として5シリングを支払うことをレノンに要求する。それに対するレノンの返答は「それじゃあ、僕はあなたに想像の5シリングを払って、想像の釘を打とう」というものだった。ほかには《メンド・ピース》のような、鑑賞者が割れて破損したティー・カップの破片を、パズルのように接着剤で元通りに復元し、世界の修復を示唆する作品などがあった。

《天井の絵》の、小さく、ささやかな肯定のメッセージは、以降のふたりの活動においても重要なものとなり、それは多くの人の心を動かす力になりえた。また、「想像の5シリング」や「想像の釘」といった発想は、後の「イマジン」へと繋がっていくだろう。こうした、アーティストが提案したインストラクションに従って鑑賞者が作品を完成させたり、想像することによって作品を完成させるといった作風は、1964年に発行された彼女の処女詩集《グレープフルーツ》からすでに表われている。ここには、アイデアやインスピレーションといった彼女の創作活動のエッセンスが凝縮されており、あらゆる彼女の活動はこの本を基底にしているといっても過言ではない。彼女は、当時ロンドンで開催された「芸術における破壊」というシンポジウムに招かれてはいるが、その作品の本質は一貫して瞑想的で創造的なものである。《グレープフルーツ》は、原題をGrapefruit: A Book of Instructions and Drawingsというように、指示のような詩とどこかかわいらしい絵による本である。それは人々に「想像する」「夢想する」という非物質的な営みを通じて、従来の固定観念を更新し、いままでとは違うものの見方を示唆するもので、まず、わたしたちひとりひとりの意識を変えていくことを促すものである。

ビートルズの活動末期にはレノンとともに3枚のアルバムを発表している。特にその1作目である『未完成作品第一番 トゥー・ヴァージンズ』は、ジョン・ケージやデイヴィッド・テュードア、一柳慧などの前衛音楽家と交流のあった彼女の指向性と、当時テープ・ループを使用して個人的にテープ作品を作っていたというレノンの指向性を反映したアヴァンギャルドなものである。ビートルズ活動中に発表されたこともあり、その内容もさることながら、きわめてプライヴェートな成り立ちと、ふたりのヌード写真によるジャケットとともに物議をかもした。二作目『未完成作品第二番 ライフ・ウィズ・ライオンズ』では、叫びのような彼女のヴォイスに、レノンが延々とギターのフィードバックを響かせる。また「沈黙の二分間」や「レディオ・プレイ」のようなジョン・ケージさながらの曲も収録されている。こういった前衛性が、のちにソニック・ユースをはじめとする同時代のロック、オルタナティヴ系ミュージシャンからリスペクトを受ける要素となっている。ソニック・ユースのサーストン・ムーアは「オノ・ソウル」(オノの魂?)という曲を書き、またステージでも競演を行なっている。

ビートルズ解散後、レノンのソロ活動と平行するように彼女自身の音楽活動も開始される。プラスティック・オノ・バンド名義で発表された、邦題では『ジョンの魂』と対になる『ヨーコの心(Yoko Ono Plastic Ono Band)』(1970)と、2枚組の大作『フライ』(1971)では、共作アルバムを継承するようなアヴァンギャルドな作品が並ぶ。そして、またもや2枚組だが、ポピュラー音楽の形式で制作された、しかし、その歌詞は繊細な、ひりひりするような内面を描き出す歌曲集『無限の大宇宙』(1972)、そして『空間の感触』(1973)を経て、フェミニズムへと傾倒し、それと同時期には、日本語で歌われたシングル「夢をもとう」と「女性上位ばんざい」が発表されている。こうして列記するだけでも、ソロ・アーティストとしての彼女の活動は、当時のレノンを凌駕するほどに活発で創造性に満ちたものだったし、レノンとの復帰作品『ダブル・ファンタジー』(1980)においても、その才気走った作品はふたりの作風の違いを明確にしていた。レノンが凶弾に倒れて以後、ビル・ラズウェルのプロデュースになる『スターピース』(1985)では、レーガン政権でのアメリカの「スターウォーズ計画」へ反対の態度を示した。

社会的、政治的な活動は、新婚旅行先のアムステルダムのホテルで平和について語り合った《ベッド・イン》(1969)にはじまり、新聞やビルボードを利用したメッセージ広告《War Is Over! (If You Want It)》などを展開した。彼らがもっとも政治に近づいていた1972年には、同年に制作されたジョン&ヨーコ/プラスティック・オノ・バンドのアルバム『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』は、そうした活動のドキュメントともいえる内容を持っている。また、彼らにとっての政治の季節は、映画『PEACE BED アメリカVSジョン・レノン』として公開された。さらに、ふたりはテレビ番組、マイク・ダグラス・ショーに出演し、一週間、司会者とともに番組のホストを務めた。ゲストには、左翼活動家ジェリー・ルービン、黒人解放闘争を展開したブラックパンサー党議長ボビー・シールといった面々が登場し、さらには脳波音楽を演奏するデイヴィッド・ローゼンブームとレノンのヒーローであるチャック・ベリーが同じ回に出演するなど、番組を乗っ取ってしまう、過激な内容には驚かされる。また、客席に渡された真っ白なキャンヴァスに、観客が好きなように自分で絵やメッセージを描き加えて一枚の絵を完成させるイヴェント作品《未完の絵》や、電話帳から選ばれた電話番号に電話をかけて突然「I Love You」を伝える《愛の電話》といったイヴェント作品が放送の中で行なわれた。番組の中でふたりは「誰もがアーティストだ」「アーティストとは心の持ちようだ」ということをアピールしている。しかし、それはあくまでも個人のものの考え方に対する問題であり、たとえば『ブループリント・フォー・ア・サンライズ』(2001)で示された「アートは生き抜くためのひとつの方法」というメッセージも、誰にとっても生きていくための「夢」や「想像力」が必要であることを説くものだろう。

そして、YOKO ONO PLASTIC ONO BANDとして先頃発表された『Between My Head and the Sky』では、「水は蒸発して、雨となって帰ってくる」と歌われている。それは、かつて彼女によって歌われた「私たちはみんな水」「ある日みんな一緒に蒸発する」とも対応するようであり、活動の再開を宣言するものとも聞こえるだろう。

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