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柴ちゃん

(以下は2021年10月2日の金原のブログからの転載です)

創作表現論II(1回目)の秀作、その3。

柴ちゃん

「この話って、結局どういう意味を持っていたと思いますか?」
司会のこの発言に、僕も含めて4人のメンバーがうーん、と首をひねる。「著者は、『主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し、夫婦が深く愛し合っていたことが描かれている』って言っているし、作者が言うんだからそうなんだろうな…とも思うけど。でもなんか、現代社会へのアンチテーゼというか、そういうものがテーマなような気がするな、私は」僕の隣を1つ飛ばした席に座る山本さんがそう言った。コロナのせいでちょっと離れた位置にいる他の皆もうなずき、意見を述べる。「そうだよね。あの家族には”愛”も確かにあったとは思うけど、そんな世界が単純に、純粋に進んでいるわけじゃないって感じがした。それより、他のゴタゴタのほうが目についちゃって」佐藤さんが苦笑いする。「そもそも、家族の愛が読み取れる部分が極端に少なくない ?結局、母が暴力してたとか、娘への態度とかみると悪者みたいに思っちゃうし、全然ハートフルじゃないよね」田中くんも不満げな表情だ。「上田くんはどう思いますか?」司会に突然意見を求められてぐきりとしたが、さっきから用意していた考えを述べる。「みんなの意見はすごくわかるけど、母による『老々介護』とか『虐待の物語』っていう風にも思えない気がする。確かに勝手な人だけど、歪んだ社会の軋轢のなかで生きてきた一人の被害者でもあって、罪を抱えながら生きているある意味人間らしいストーリーなのかなって。僕は、主人公が公平さを失った共同体から『どこかおかしい個人』が生まれて、負のスパイラルに陥ることに違和感を覚えて、1歩踏み出そうとした話だと解釈したんだけど」これを受け、メンバーの間にあ~なるほど。といった空気が広がる。「どの記憶をつないで線にするかは人それぞれってこの話の中で何度も言ってるけど、それと同じように、読み手は自分の感覚的にグサッときた部分を中心に読み進めて、物語を再構成しているのかもしれない。そうしたら『虐待』っていうのも一つの解釈だし、悪くはないと思う。でも、『自伝です』って言ったら誤解を生むわけだから、そこは完全フィクションで良かったかな」山本さんの解釈に、一同納得だった。
 そんな議論をしているうちに4限の講義の時間が終わった。まだ友人と呼べるほどの同級生がいないので、一通りじゃあね、と言ってからはみんな別行動で帰っている。電車での帰り道、ふと今日のディスカッションを思い返した。「まとめると、感覚の違いって恐ろしいってことだよね。まあ、普通に人によって常識や考え方は違うとは思うよ。でも俺は、大学や世界って何かの基準に沿って動いてるのかと思ってたけど、実際みんな頭おかしいよね」爆笑をさらった田中くんのこの発言を思い出して、ちょっと笑いそうになる。まあでも、そうだよな。結構大学ってみんな同じように見えて色んな価値観の人がいるなと思う。今日だってたった5人でも意見は分かれるわけだから、ましてや見ず知らずの人の思惑がそっくりそのまま伝わるはずがない。
 電車を降りて空を見ると、2、3粒の星が瞬いている。自宅は駅から10分ほど離れた場所にあるので、少し歩かなければいけない。繁華街はこれからが本番とでも言うように、生暖かい風と、人の声と、ネオンが不思議な臨場感を醸していた。途中で、ちょうど大学生っぽい集団が居酒屋から出てくる場面に遭遇した。緊急事態宣言下で酒類の提供が禁止されているなか、色んな事情で提供しているんだろうし、飲みたいから飲んでいるんだろう。顔が赤くなり、少し怖くなる陽気さで会話していた。声がそこらへん一帯に響くけれど、気にする人はいない。そもそも、目を向ける人すらいなかった。多分、酔いつぶれて倒れこんだとしても、車にひかれそうにならない限りは何もしないだろう。無秩序、無関心に見えるけど、そういうわけでもない。暗黙のルールもあって、唯一無二の感覚もある。いろんな糸が絡まる中で、自分の糸を握りしめて生きている。だからこそ行き違いは絶対に起きるけど、こういう風に話すことで他の人の考えとか事情を知ることが必要なのかもしれない、とちらっと思った。
 賑わいも徐々に薄れてくると、どこからか少し冷えた風が流れ込んできた。秋だなあ…という感覚に浸るとともに、もう1年の半分が過ぎ去ったんだと実感した。正直、大学生活は想定外ばかりで思うようにいってないし、時間よ止まれ!と願わずにはいられない。でも実際、確かな学びも感じている。自分にとっていつも無言だったはずの「社会」が、かすかに囁きだしたような気がするから。
 自宅まであと少し。ふと、今日みたいな議論をまたみんなでしたいと考えていた。