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「スカートと海」 菊川華

(以下は2022年01月20日の金原のブログからの転載です)

 創作表現論Ⅱもそろそろ終わり。
 また、ひとつ、こんな作品を。

「スカートと海」 菊川華

 夏休み前、最後の日。新名にいなくんがスカートをはいて登校してきた。
 彼の言い分はこうだった。

 「妹が学校で学ラン使うって言って、持ってっちゃってさー……仕方ないから姉ちゃんの着てきた」

 新名くんはそう言って笑った。
 クラスは笑いに包まれた。
 おまえ似合ってんじゃーん、新名くんかわいいよー、男子からも女子からも新名くんのスカート姿は人気だった。
 私たちの学校は、校則が緩く、ピアス以外だったら結構なんでもOKだ。髪の毛を染めるのももちろんOK。私は去年、この学校に引っ越してきた。そのとき明るい髪の人たちがいることにとても衝撃をうけたのを覚えている。新名くんもそのうちのひとりで、髪の毛が明るいベージュに綺麗に染まっている。
 髪の毛が明るいのと、ヘアスタイルが女子でもしそうなショートヘアだったのと、元々の身体の線が細いのが相まって、新名くんは“ショートヘアの女の子”になっていた。
……これは本人には言えないが、女子柔道部の小池こいけさん、“女の子”だ。
 私は、そんな彼を見ながら、あのときのことを思いだしていた。

 新名くんのスカート姿を見るのはこれが初めてではない。あれは新入生歓迎会のときだった。この学校は少し変わっていて、新歓のときに文化祭でやるような出店をする風習がある。2年と3年のクラスがそれぞれ出し物をする。それには、まだ同じクラスになって1週間くらししか経たないメンバーとの仲を深めるきっかけを作るという意味も含まれているらしい。そこで、私たちのクラスの出し物は“メイドカフェ”に決定した。いかにも高校生って感じの発想のもと、男子はメイド服、女子はタキシードを着ることになった。そのときに、彼のスカート姿を見ている。もちろん私だけではなく、クラスのみんなも見ている。というか、彼のスカート姿だけではなく、田中たなかくんのもみやもとくんのも、クラスのイケメン代表寄宮よりみやくんのも見た。
 ……のだが、新名くんは格別だった。
 何が他の人と違うのかって……何だろう。とりあえず、私は彼から目を離すことができなかった。好きになったとかではなく、彼の表情とか振る舞いとか雰囲気とか、そういうものすべてひっくるめた何かがとても魅力的だった。まぁ、私以外の女子は、寄宮くんのメイド服姿に夢中だったけど。いつのまにか、クラスはメイドカフェではなく、「寄宮彰斗あきとの撮影会」になり代わっていた。クラス学年関係なく人が集まり、隅っこでただ突っ立ているだけになってしまったので、私は教室を出た。タキシード姿で教室の外に行くのもどうかと思ったが、着替えが入ったカバンは教室の隅に追いやられ自分のものがどこにあるかはわからない状態になっていたので、その恰好で出るほか選択肢はなかった。
 屋上に出ると、さきほどの騒々しさが嘘のように静まりかえっていた。ここはたぶん誰もいないし、昼休憩に入るまでここで寝ようと数歩前に進むと、先客がいた。
 新名くんだった。新名くんも私と同じように衣装のまま来ていた。
 「あ」
 「あ」
 互いに微妙な反応。それもそのはず、初めて同じクラスになった男女がメイド服とタキシード姿で会うのだ。これほどシュールな場面があるだろうか。
 「……えっと、泉さん……だっけ?」少しの沈黙のあと、新名くんが聞いた。
 「あ、うん。泉です。……新名くんだよね?」と私は返した。
 「うん、新名です。これから1年よろしくね」
 「こちらこそ」
 「……泉さんは、なんでここに?」
 「あー、ちょっとね……」
 「あ、寄宮くんの撮影会になってた?」
 「そうそう。よくわかったね」
 「あーやっぱりか。寄宮くんイケメンだもんねぇ」と新名くんが笑う。
 「え、やっぱりイケメンは男子から見てもイケメンなの?」
 「もちろんそうだよー」
 「そうなんだ……でも」
 「ん?」
 「いや、やっぱなんでもない」
 「え、そこまで言ったら教えてよー」
 「……嬉しくないかもだよ?」
 「いいよいいよ、なに?」
 「……メイド服が一番似合ってたのは、新名くんだよって言おうとした。あはは」

 私はきっと、このときの彼の顔を忘れられないと思う。
 嫌がることもなく、彼は静かにありがとうと言った。

 そんな新名くんと私は委員会が同じで、今まさに、前期最後の委員会に向かおうと歩いているところだ。でも、さっきから気になることがひとつ。新名くんの歩くのが遅い。そして喋らない。いつもだったら、わりと会話が弾むんだけど……。
 「……どうかした?」私は立ち止まって振り返る。
 「え?」新名くんが顔を上げてこちらを見る。
 「あ、なんか元気ないなーって思って?」
 「あはは、なんで疑問形なの」
 「いや、違った?」
 「うーん」そう言って新名くんはスカートのすそを持ってふぅと息を吐いた。
 「……」私は彼を見つめた。
 「やっぱりさ、よく考えたら……おかしいよね」
 「スカート?」私は聞く。
 「うん、今思うと、クラスのみんなもおかしいって思ってたけどわざとスルーしてくれてたのかなって」
 「……」
 「あのさあ、前に泉さんに言われたこと嬉しかったんだ。似合ってるって言われて。……ひくかもしれないけど、俺、通販でスカート頼んでさ……自分の部屋ではいたりしてみたんだ」
 「……」
 「気持ち悪いよね……」
 私はここまで聞いて、自分がズボンをはく理由を考えていた。私がズボンをはくのは、ただはきたいからだ。新名くんがスカートをはくのに何か理由なんて必要なのか? でも、きっと今の新名くんが欲しい言葉は、そうじゃない。気にするなとか、理由なんていらないとか、好きなものをはけばいい、じゃないんだ。……でも、私がズボンはくのと、彼がスカートをはくのでは全く意味合いが違う。私がズボンをはくことが、彼のスカートをはくのと同等にはどうあがいてもならない。男の子がスカートをはくということを、正当化する理由を私は見つけることができない。
 「……妹が学ラン持っていっちゃったてのも嘘だし」
 「……お姉さんは知ってるの?」
 「ううん、これだいぶ前にここ卒業した従姉のなんだ。その人には話したことあって、そしたらくれたんだ」
 「……そうなんだ」
今、私は彼に何が言えるんだろう。
 「あのさ、さき委員会行っててよ。ロッカーにジャージ入ってるから、着替えてくる」
 何を言うべきなんだろう。
 「じゃあ」そう言って背を向けた新名くん。
 このまま見送ってはダメな気がした。
 気づいたら、彼の腕を掴んでいた。
 驚いた顔で振り向いた彼の腕をそのまま引っ張って、私は走った。悔しさなのか、やるせなさなのか、悲しさなのか、視界がぼやけて頬に何か伝うのを感じた。
 「え、ちょっ、泉さん!?」
 私は走った。ただ走った。私たちをまとわりつく常識とか、人の目とかすべてを払いのけたかった。今だけでいいから、私たちを自由にしてほしい。

 ハァハァハァ……。屋上に来た私たちは肩で息をしていた。
 「い、泉さん。走るのはやいね……」フーッと息を吐いて新名くんが言う。
 私が彼に何を言えるのか……。私は息を整えて、彼を見つめる。
 「に、新名くん!」
 「は、はい……?」
 思ったより大きな声が出て、驚いたが、それは新名くんも同じだったらしい。それでもおかまいなしに私は続ける。
 「新名くんがっ、もしっ、もし……スカートはきたいんだったら」耳が熱くなっていくのがわかる。私今どんな顔してんだろ。
 「一緒に、はこうよ!」
 新名くんが驚いてるのがわかる。
 「一緒にかわいい恰好して、出かけよう! デパートでも映画館でも水族館でも遊園地でも!」
「泉さん……」
 「誰かの目が気になるなら、誰もいない海に行こうよ。わ、私良いとこ知ってるから。一緒に行こうよ」
 「……ははは、なんで、泉さんが泣いてんの」
 「だから……かわいいやつはいてさぁ、一緒に遊ぼうよ」
 「……うん、ありがとう」
 夕日の中、笑う新名くんはとても素敵だった。

結局、そのあと新名くんは着替えて委員会に出た。
 遅れて教室に入ってきた新名くんは、私の隣の席に座った。そして何かゴソゴソとカバンをあさり、ルーズリーフを1枚取り出して、何か書きだす。
 「泉さん」小さい声でそう言った新名くんは、その紙を私に見せた。

 『明日、海行きたいな』