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吉澤颯太(短歌、詩)

(以下は2023年11月29日の金原のブログからの転載です)

 秋学期から、創作表現論とは別に「創作実践指導」という授業を持っていて、こちらは、少人数のゼミ形式の授業。 前にもひとつここに載せたんだけど、今回はまたちょっと違うテイストの作品を。 ちょっとこれは書けないなあと思わせる力のある作品です。まあ、読んでみてください。
 

吉澤颯太(短歌、詩)

〈短歌〉

(ブルースター)

消えていたことに気づいて思い出す記憶の色は蒙古斑あざのみず色

カーテンのふくらむ音を待ちつつ眠る はつなつ の なつ の な の n

コティングリーの妖精のごと笑うきみの右足 写真機の外より

かろかっくういいけれと叫ぶ「う、って?」うす夕焼けはあすこに潰れ

好きな名無し草ランキング一位を云う瞬間ときのかんぺきな静けさ

これはもう鳩の首輪にするしかない公園行こう輪投げだ輪投げ!

砂利たちはどこからやってきたのかという問いのみを残してく風

象の鼻いちずに駆けのぼったきみが階段見下ろしてしろく固まる

やまいだれ、擦ってびかびかにすりゃまだれ位にはな「ばね」え?「これ、しかばね」

ブランコに正座することそれだけが世界に向かって叫び返すこと

「水星よりはやく地球が太陽に突っこむ気配があんたからする」

バーコード読取不可のきょりに倣いきみのこころを見る六七月

こころにはゆとりが欲しいとネトフリを解約できぬ 長い川柳

「死のさきに待つのはしろい球がいい、山羊の毛か、雪か、光でできた」

たんじょうび? 給食室を占拠した児に握られてたハサミでいいよ

カテーテル噛んで来世を予想する医師こときみが「あせ」と近づく

ウイスキーボトルの角をくわえたら割ってしまえるちからは ない

夜なので餃子のギャグを致します「餃子のギャグって何いま朝だよ」

わっふるにへや番号をわりあてる きみんち404、嘘、3、3

そもそもは製糸場だときく壁にちいさくまるい霊たち(びっしり)

貝殻のいまはなき眼に見られいま三角形の胎児をおもう

砂浜に書いた<ケシテ>の文字さらう小波がぼくを神様にする

しろい藻にイヤホンふれさせきみが聴かす「アパルトの中の恋人達」

申し訳なさそうな笑顔みせつけきみはゆっくり海に口づけ

<あいまい>と名のつく場所におちてくるみどりの光線 ほら、もうすぐ

「針を飲む音がまさかそんな音だとは。指を切った音より低い」

サニーデイ・サービスのその曲を選ぶきみの前世は水のたぐいだ

「この味がいいね」ときみが云ったから明日は地球が滅亡する日

ないべきだ FF10のサントラを夜の帳にあみこむすべは

「かじき座といっかくじゅう座の口づけはきっと淋しい事件になるね」

たくさんのこわい花言葉を知っているきみから受けとるブルースター

<カメラさんもっと海豚の眼に寄って。じゃあ本番ね。夢まで、3、2、

朝の陽をあびる花びらちぎり舌にのせれば木漏れ日もどき味

夏と待つ早稲田松竹Gの8ヴィム・ヴェンダース二本立てにて

モノクロの天使の叫びは骨なしの音楽なにもよごさずしずかに

コカ・コーラ壜のかけらに映るそらはベルリンの壁(土と空の)

ホースよりまかれし水の何でもなさを美しくするカメラが嫌い

<……………………トラヴィス?> 黒いセーターの金髪女より

小説を表紙見せつつ読むことを呪いとしてみる各駅停車

ジッタリン・ジンのほうを流せよ街よぼくが忘れたみたいになるだろ

猫声の女たちが配っているのがなにかは知るものかと進む

警官の腰にくろくひかるものを眼で撫でつつ指をひとまげ

堂々と堂々とあればいいのさと堂々と云う堂々さんたち

今日買った吉本ばななにはさまれるきみから借りてるよしもとばなな

きょとん顔のブルースターにらみつけ素足でまぜるベッドの余白

熱っぽい道に散らばるくちびるが冷えた星夜にまみれて「しみる」

きみのこと見届けていた星たちも既に死んだほ「ヤサシイヒトネ」

都会のうえにも星夜はたしかにあって「あってしかし無いと同じ」

造花じゃないとは「思わなかった? あのさ、そんな眼で見るな」

起きて「ヒューストン、ヒューストン、聞こえないなら応答せよ」

「言葉には言葉の声があるものでカッコのなかみはあんたの声ね」

光より眩しいものを探しにゆきますと書き置くこともできないの?

八月をまっぷたつに割った後はやく腐るほうの時間がすぎたら

宇宙ごみの川をただよう凍てついた花のもとの持ち主は、どこ

豆電球をひと粒ずつ飲んだ身体にメスを入れたら、血がでます

枯れるまでブルースターが枯れるまでぼくのすべてよ絶叫すること

どおんでもとおんでもない音がする胸にやさしく穴空ける指

ネクタイで首をくくった過去のみが生きる指針の人もあるはず

生御霊芝生畜生落花生ひともじごとに視るDeepL

あった。これだ。云われた通り直視する。星のはじまりみたいな光。

番号をひそひそ声でおしえるよ、なんの番号か知らないぼくが

この星のあおをはじめて見た人に手紙を書くか、なにもしないか

便箋のにおいはきみのため息のにおいと似てて、とってもあまい

安くない万年筆を買いにゆく時間もないからゆるして「ゆるして」

鉛筆はせめて利き手で握ってよぼくのすべてに線をまよわず

きみがぼくを忘れている時間がこわい忘れていない時間もこわい

きみがぼくを忘れている時間がこわい忘れていない時間もこわい

きみ   を忘れている時間がこわい

きみ           こわい

              こわい

       ○
 

〈詩〉

(さいのつのにはきをつけること)

(おりをゆびさす)「あれはなに?」
『さい』
「さい?」
『つのがあってね』
「みればわかるよ」
『ぼく、つのがこわい』
「なんで?」
『つきあげられるから』
「つきあげられたこと、ある?」
『あるよ。ゆめのなかで、なんども』
「ゆめのなかならこわくないでしょ」
『ゆめのなかだから、こわいんだよ』
(さいのつのにつきあげられる)「あっ」
(そらをみあげる)『ほら、こわいだろう』
「ええと、これは、ゆめ?」
『うん、これはゆめだよ』
「そうか、だからあたしはいまあんたといるのか」
『それは、ゆめとはかんけいないよ』
「おいで」
『いやだ』
「だいじょうぶ。ゆめだもの」
『い・や・だ』
「だ・い・じょ・う・ぶ・ゆ・め・だ・も・の」
(さいのつのにつきあげられる)『……』
「どう?」
『…………こわい』
「おもってないくせに」
 

(電話で話す)

いじわるのつもりなんだろうけど、電話をかけてくるの、やめてくれませんかね
耳もとに、液晶にひらたく、きみの声があって、
きみの躰が遠くても、あるいは近くても、絶対的に、暴力的に、神秘的に、声は、近くて、
広い広いこの部屋に、いないはずのきみといっしょにいるみたいで、消えたくなるんで
 

(きみと観た)

ふたり最後まで観た映画(製作順)

 ・『ブルース・ブラザーズ』
 ・『アイズ ワイド シャット』
 ・『バーン・アフター・リーディング』

きみが途中で眠った映画(同)

 ・『セーラー服と機関銃(薬師丸ひろ子の出てる)』
 ・『カメラを止めるな!』

ぼくが途中で眠った映画(同)

 ・『悪魔のいけにえ』
 ・『ジョーズ』
 ・『クリスチーネ・F』
 ・『ニュー・シネマ・パラダイス(長いほうの)』
 ・『ニキータ』
 ・『ラン・ローラ・ラン』
 ・『グエムル 漢江の怪物』
 ・『ゾディアック』
 ・『X-MENのどれか 追記:1かも』
 ・『ゼロ・グラビティ(あれ、そもそも観たっけ?)』
 

(日常くさい)

なんかぼく、日常くさいかも
さっきお風呂に入ったんだけど、前の日と、前の前の日は入らなかったからなあ
ちょっときみ、におってみてよ
くさくない? そうかなあ ぼくは、とてもくさく感じるんだけどなあ
そこに川があるから、飛びこんで、からだについた日常をさっぱり洗ってみるよ
あれ、とれない、ぜんぜん、とれない、むしろにおいがひどくなった気がするよ
じゃあ今度は、あの丘のうえからころがって、日常をすっきり拭き取ってみるよ
とれないなあ このままじゃ、まともな眠りもまともな夢も、遠くへ逃げてくよ
きみ、ぼくのからだをぺろぺろぺろぺろしてみてよ
と・れ・な・い・な・あ

なんだって、こんなにも日常まみ・れ・な・ん・だ・あ・あ
 

(迷子センター)

『天国の迷子センターでは、本物のお馬やお猿があやしてくれるのかな』
「本物? ってことは、生きてるのかな」
(当たり前だろ。まったく、きみって奴は)
 

(そんなの要らない)

「天国にも、本とか、映画とか、音楽とか、あるのかな」
『そんなの要らないんじゃないかな、天国って場所には』
「わあ、楽しそう」
 

(あおい星)

氷をけずるときのオノマトペみたいな名前のあなたへ

あのとき、あなたの眼に映った美しい全ては、いまやぼくの掌の中に収まります。
これが喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか、ぼくには全くわかりません。
ぼくの掌の中には、天国があります。
あなたがかつて「あおかった」と感嘆した、その場所です。
そこにはしろい雲が広がっているものだと、当時の誰もが思っていたはずです。未だに、そう信じている人もいることでしょう。
しかし、今は、21世紀。さいきんまで初頭と呼ばれていたとはいえ、紛れもなく科学の時代です。多くの人は、天国があおいことを心得ています。雲はあおいのです。あおすぎてたまにしろく見えることもあります。まるで星のはじまりを彩る光のように。かき氷のブルーハワイ味がこの色の組み合わせから発明のヒントを得た、というのは常識です。
そんな雲が、ぼくたちの住むこの星を、やさしく長らく包みこんでくれている。
天国に住む人たちは、自分たちのホームのあおさをあなたに発見されて、心臓がとまる程に喜んだのではないでしょうか。やさしさのあお、永続性のあお、それらのすばらしさを、ついに言葉にしてくれる存在と出合えたことに、狂喜乱舞したのではないでしょうか。
もうひとつ、あおと云えば忘れてはならないのが、海です。
海は人間のはじまり、と云われてかなり久しい。でもそれなら、海には、人間のおわりもあるのではないかと、時どき思います。あおい雲だけでなく、あおい水も、天国の一部なのではないか。
ぼくが今見られる海のあおは、ほんとうのあおではない気がします。
なぜなら、ぼくの掌にすくわれる海水は、きまって無色透明だからです。きっと、海面と呼ばれているそれは、空高くにあるあおい雲のあおを映しているだけにすぎないのです。
その場合、今現在も海のなかで、人知れず、ほんとうのあおが知られていないことに悶々としている天国の住人のことが気がかりです。どなたか発見してくれないでしょうか。空へ昇るより、海へ潜るほうが、きょりも短いし、疲れなくてすむはずです。技術面なら心配は無用でしょう。今は21世紀ですから。あなたはどう思いますか。
今、あなたは、空と海、どちらの天国にいるのでしょう。まあ、それは、ぼくがそのうち天国にいくことがあれば、はっきりわかることですね。じゃあ、二分の一の確率で、また。

あなたとおなじあおい星の住人より
 

<了>