見出し画像

「私のバスタイム」 嵯峨明

(以下は2024年1月9日の金原のブログからの転載です)

 そろそろ大学の授業も終わり。というわけで、今日は創作実践指導も最後の授業。いい作品がずらっと並んで、読むのが大変だった。書ける学生が増えてきている実感が強い。
 そのうちのひとつ、嵯峨明さんのエッセイを。
 コロナで2年近く対面授業を受けられなかった大学生の気持、バス通学をするようになったときの気持、卒業を間近にしての気持などが、嵯峨さんらしい文章で綴られている。また多摩キャンパスの雰囲気もちょっとだけわかる。

「私のバスタイム」 嵯峨明

 4年間、いや正しくは、2年半ほど乗り続けた京王バスに乗ることももうないのかな、そんなことを思いながら、西八王子駅のバス乗り場に立っていた。少し距離を置いて右隣には、2ヶ月前に88歳で亡くなった私の祖母と同年代くらいの女性がいる。彼女の後ろには、もう少し若いが背中が彼女以上に曲がった男性がベンチに座っていた。時刻は11時40分。「Yahoo!乗り換え」で確認すると、あと9分ほどでバスが発車するらしい。この時間帯に大学行きのバス乗る学生はほとんどいない。今日は4限からゼミの日だ。授業前を避け、学生が少ないタイミングを狙う私の乗車仲間は、だいたいご年配の方々だ。一般と学生に分かれているバス乗り場も、この時間にはなんの意味もなさない。それでも私は、この列を崩す気は1ミリもない。
 初めてこのバスに乗ったのは、今からおよそ3年前。基礎演習の課題に必要な本を借りに大学の図書館に行く、というだけの目的だった。その日のバスもガラガラで、でも私は「法政大学行き」という名のバスに乗れることにワクワクして、住宅と自然ばかりの通学路を目をキラキラさせて眺めた。ただそれも乗り始めた時だけのことで、横山中学前という名のバス停を過ぎたあたりから、自分が乗り物酔いしすい体質だったことを思い出したのだった。座っていても頭がグラグラして気持ち悪い。20分以上もバスに乗り続けるなんてほとんどしたことなかったし、変にワクワクしていつもとは違う状態だったのもあるのだろう。毎朝こんなバスに乗るなんて、私には無理だと思い直し、コロナ禍とオンライン授業に心の底から感謝する。酔いを少しでもマシにしようと、必死に外を眺めた。どこまで行っても家、木、家。そんな中で、コインランドリーが目に入る。古びた外観で、置いてあるものも年季が入っていそうだ。洗濯機やら乾燥機やらに囲まれた空間の真ん中には、椅子が三つほど置かれている。そこに座る一人の若めの男性。明るいグレーのスエットを身につけ、右手で読書をしている。平日のコインランドリーでのんびりと本を読める人生。小学生の頃、教室の窓から、校舎の周りを散歩する大人をグラウンドを囲むフェンス越しに見てこういう大人になりたいと思った気持ちを思い出す。そこからは、ひたすら家、木、家、木、木。大学に近づいていくたび、自然が増え乗客は減る。最終的に、大学に着いた頃には私一人になっていた。人気はなく閑散として、警備員がこちらをじっと見つめてくるキャンパスに降り立ち、私が通う大学はここか、となんとも言えない気持ちを抱いた大学一年年の9月。
 本格的なバス通学が始まったのは大学2年の秋学期だった。と言っても、週に一回のゼミに参加するためだけ。毎週水曜日、4限に間に合うように私は少し混み合うバスに乗った。ゼミ後には、同期と一緒にバスに乗った。ぎこちない距離、慣れない横並び。豊田住みの子と必然的にいつも一緒に座ったが、驚くほどに会話が続かない。「何学科?」「社会」「何が趣味なの?」「ゲームかな」私による一方的なインタビューが行われる。いや、こっちが気まずくないように聞いてんだから、少しは聞き返してきてよと若干のイライラ。ようやく自分から話してきたと思ったら、「俺、友達にカラオケうまいって言われるんだよね」だった。なんじゃそりゃ。どう返せばいいのかわからず、しばし沈黙。そうか、この人もずっとこういう気持ちだったのかもしれないと咄嗟に反省。しかし、それにしても話せど話せど一向に共通の話題が見つからない。ただ大学が一緒なだけ、授業が一緒なだけという理由では人と仲良くなるのは難しいようだ。次第に、もう質問を考えることも口を開くことすら面倒になって、別に人と仲良くならずとも生きていけるという悟りを開いて、関係構築を諦める。
 大学3年になると対面授業が増えて、週に3回ほど、大学に通い始めた。入学から3年目にして、木曜日1限のバスは大変混むと知り、少し感動。ようやくこのキャンパスの学生だと自覚できた気がして少し嬉しい。おそらく必修かなにかあるのだろうか。西八王子駅のバスのロータリーは、駅を背にしてコの字型になっているのだが、左側にある大学行きのバス停から反対の右側の方まで人は並び、さらには反対側まで行って折り返す事態になっていた。列に並んでいる時やバスの車内で、たまにサークルの同期を見かけることがあった。でもうまく話しかけられず知らんぷりをしてしまう。相手が悪いわけではない。ただ朝から人と会話をできる元気はなかったし、そのネタもなかった。だから快適な朝を過ごすしたいお互いのため、という言い訳をする。たった一度だけ、折り返して並ぶ反対側にサークルの同期を見つけて「おはよう」と話しかけてみたことはある。その子は確かに「あ、おはよう」と返してくれた。問題はその後だ。私の後ろに並んでいる無数の誰かに「あの人挨拶していたな」というどうでもいい記憶が少しの間だけ住み着く。それがなんか、嫌だった。バスの列で私は名無しでいたかった。名前も声も、存在すらないものとして乗り込みたかった。そのためにも、誰かに話しかけるわけにはいかなかったのだ。1限前の混み合うバスでは、立つことも多かった。手すり必須のバス内では音楽を聴くことくらいしかすることはない。ただ、自分の都合のいいように大きな音で流してしまっては、途中で降りる地域住民の存在に気が付かないという問題が起こりうる。だからなるべく小さな音で、でもちゃんと音楽を楽しめるくらいにはして。両耳から絶妙な音量で流れる羊文学のアルバム『our hope』は、木曜日朝の私の友達となった。
それから、水曜の夜は相変わらずゼミ終わりに同期とバスに乗った。3年の秋学期になる頃には、豊田住みの同期とはゼミの悪口という共通テーマを手に入れて、安心して盛り上がれるようになっていた。闇の中を走る西八王子駅行きのバスは、提灯を掲げる新橋の居酒屋と化した。ある時、彼は「ゼミ辞めようかな」と笑って言った。正直、私も辞めたくなっていた。だから青春ドラマのように「辞めちゃダメだよ」とか「頑張っていればいいことあるよ」とか、薄っぺらいその場しのぎの言葉をいうことはできなかった。私は笑わずに真顔で「私も辞めたい気持ちわかっちゃうから、止めることはできないや」と言った。言い終わってから、この言葉こそどこかの寒々しい青春ドラマみたいなじゃないかと思って少し恥ずかしくなった。彼がそれになんと返事をしたのかは覚えていないが、それから1ヶ月ほどして彼は突然、誰にも言わず、ゼミを辞めた。
 大学4年になってからは、水曜と金曜の2回、大学に通っている。長く同じものを利用していると自然と、推しが生まれるものである。私はこの2年半を通して、京王バスの運転手Kさんのファンになった。この人はとにかく優しい。どんな乗客も目的地に安全に届けるぞという使命感に燃えているに違いない。発車寸前に走ってくる人のことは必ず待つし、混雑してこれ以上乗れないよと思わずに入れない状態でも必ず人を乗せる。極めつけは、降りる乗客に対して「お体気をつけてくださいね」というところだ。正直、それは彼の仕事ではない。病気の心配なんてしなくていい。ていうか、されたところで乗客も困る。でもその一言で心は温まる。なんかいい人がいたな、それだけちょっといい気持ちになれる。彼の小さな気遣いの積み重ねは、私の学生生活に大きな温もりを提供してくれた。卒業するまでには、絶対に京王バス高尾営業所へKさん宛てに感謝の手紙を書くことを、私は決めている。だが、毎回いい運転手とは限らないもので、酔いやすい体質には天敵とも言えるほどに荒い運転をする人もいる。その度に、この人は嫌なことがあったのだろうかと私は勝手な妄想を繰り広げる。娘さんが反抗期とか、上司に仕事が雑だと言われたとか。そう考えると酔いの恨みも少しは和らぐ……と、私の広い心で許そうと思ったタイミングで、また雑な急ブレーキがかかったりする。この人も名前覚えてやろうかと、前方の運賃表の右下を見てみる。運転手と同じ苗字の教授が出していたその日中の課題を思い出した。慌ててスマホでhoppiiを開いて、課題に取り組む。少しでも長くできるようにまだ西八に着かないでと強く願った。
 推しの運転手がいるように、お気に入りの席というのもまた、見つかるものだ。始発である西八王子では、空いた時間帯なら席は選びたい放題だった。私は、1番後ろから一つ前の、進行方向に向かって右手の2人掛けの右側に座るのが好きだ。1番後ろに座るのは少し烏滸がましいと思ってしまう。3人連れに譲るべきだし、何より少し高いところからバス中を眺める立場になれるほど私は偉くない。という謙虚ぶった理由もあるのだが、一番はあまりに後ろに座ると降りる時に時間がかかるからだ。それに後ろから2番目右手の窓際が好きな理由がちゃんとある。窓から入り込む日差しと、座席の高さがちょうどいい。春、夏、秋、冬、どんな季節でも入り込んでくる日差しに私はひどく安心し、一つ前の座席よりも少し低めに設置されたこの椅子は、あらゆる外部のものから私を守ってくれているような気がしてくる。
 バスが到着する。ゆっくりと歩き出すご老人たちをなるべく優しい眼差しで見守る。急かすような素振りをしてはいけない。彼らのペースを壊してはいけない。一般列から人が消え去ると、私は彼らと同じくらいのペースで歩くことを意識してバスに乗り込む。迷うことなく、後ろから2番目右の、窓側の席へ。リュックを膝の上におき、ポケットからイヤフォンを取り出す。Apple Musicを開いて、スピッツのアルバム『フェイクファー』を選択した。上から4つ目の「運命の人(Album Version)」を流す。「バスの揺れ方で人生の意味が解かった日曜日」。聴き馴染んだAメロが私の耳に届いた。空いている、大学行きのバス。とっておきの特等席で音楽を聴きながらぼーっとする。気がついたら、この2年半の中で、その時間が私にとってかけがえない時間となっていた。4月はこの時間はもうないんだという事実に時々寂しくなる。たとえつまらない授業でも、居心地の悪いサークルの集まりでも、このバスに乗って行けるのなら行くかという気持ちになれたのに。この時間を、この空間を奪われたら、この先の私の人生はいつ休めばいいのだろうか。まあきっと、なんてことは大袈裟で、一年後には京王バスに癒されていた自分のことなんて簡単を忘れていそうな気もする。また新しい居心地の良い場所を見つけて、ここが私の人生の休む場所、とかあっけらかんと平気な顔をして言っていそう。そんな自分が嫌になりながら、でもそれを受け入れるしかなくて、今日も見慣れた窓の外を眺めているうちに、11時49分、バスは定刻通りに発車した。
 横山中学前で、制服姿の男女二人組が乗り込んできた。私の一つ前の席に腰掛けると同時にバスが動く。窓際に座る女の子は髪の毛が座席にかかるほど長い。とても綺麗だ。地毛だと思うが、薄い茶色で、光に当たると一層美しい。少しバスが揺れるだけで毛先もふわっと揺れる。長くて綺麗な髪の毛の人を見るたび、私はその揺れる毛先になりたいと思う。この感情がなんなのかわからない。先日は『PERFECT DAYS』を見て、毎朝切り落とされる役所広司の口ひげになりたいと思った。自分がいいなと思えるもののほんの一部でもいいから関与していたいという気持ちなのだろうか。いいや、違う。身体の末端にもかかわらず抜かりない配慮をしてもらえていることへの羨望? 配慮できることへの憧れ? 多分、どっちも。彼女の隣の男の子は、同じくらいの肩の高さだ。ワックスも何もつけていない真っ黒ではねた短髪。二人は何かを話している雰囲気もない。暖かい冬の日差しに包まれて、ひたすら前を向いている。言葉を交わすわけでも腕を絡めるわけでもない距離感の中で、二人だけの在り方が存在している。大人びているようで子供じみてもいて、なんだか面白い。私は次々と流れる曲はそっちのけで二人の背中を眺めた。「次はグリーンヒル寺田」というアナウンスが流れる。男の子の方がモゾモゾと降りる準備を始めた。彼は立ち上がる寸前、彼女に向かって右手の平を見せる。彼女もそれに応えるようにして左手の平を出して、彼の手にぬるっと重ねる。「グリーンヒル寺田です」。男の子はそっと離れる。女の子は彼が降りる瞬間をじっと見届けた。そしてバスが発車すると、何かが抜けたような様子で、今までは前しか見ていなかったのに、窓の外に目線を映した。私も、彼女の視線の先を追うように、彼女に何が見えているのか知りたくて、窓を眺める。
 両耳からは『フェイクファー』の8曲目「ただ春を待つ」が流れている。すっかり葉を落とした並木道を通り抜け、パチンコの看板が目立つ信号機でバスは足止めをくらった。私はこの景色が目に入ったら回数券を切ることがいつのかにかルーティーンになっていた。次の東京秋田霊園でも、なんなら正門前のセブンを通り過ぎてからでも、十分間に合うのだけど、私はここで切ると決めてしまった。しょうもないこだわり、しょうがない性格。それが今まで自分を作ってきたのだなと自覚する。リュックから、大学一年の初めてのアルバイト代で買った、明るい緑色の財布を取り出した。隅は少し色褪せ始め、ファスナーも少し滑りが悪くなった。最近値上がりともに色までも変わってしまった回数券を抜く。残り3枚。卒業までにちょうど使い切りそうだ。中学進学とともに電車通学を始めた私は、ICカードではなく紙の回数券を使って大学に行くと知った時は、なんとも滑稽だなと笑ってしまった。でも今や、いかに上手に早く点線通りに切り取れるのかに、快感を覚えるようになった。大学1年の基礎演習で出会った友達が回数券一枚一枚を分けてカード入れに収納していたのを見てこの子は自分とは合わないと思ってしまったこともある。大学とめじろ台間の回数券を持つゼミの友達が、行き用と帰り用で枚数がかなり違っているのを見て、どこかに寄って帰ることが多いほどに人気者なんだなと悟ったこともある。回数券一つとっても、私にはいくらでもこの4年間を振り返ることができるんだということに気がついた。
 上寺田を過ぎたあたりで「学生ローン 高幡不動」と年季の入った文字で書かれた看板が目に入る。パチンコに学生ローン、どちらも無縁のまま無事に卒業できそうな自分を褒めたくなる。バスにはもう私しか乗客はいない。スマホを見ると友達から「社学の食堂にいるね」と連絡が入っていた。返事をするためのスタンプを探してみたが、急に何もかも全てが面倒になって画面を切ることが最善だと判断する。信号で、再びバスは止まる。正面から向かい合うようにして、神奈中バスがやってくるのが目に入った。バスはもう間もなく、大学に到着する。