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「ハードはソフトを規定するか」 宮本美来

(以下は2022年5月11日の金原のブログからの転載です)

 今回、創作表現論Iで提出されたレポートがとてもよかったので、ご紹介します。
 じつは、このレポートを読んだので、今日の創作表現論Iの授業は謄写版印刷についての話から始まった。もともと、この授業では(対面授業のとき)、印刷の話をすることにしていたので、活字や謄写版に使う原紙、鉄筆などは研究室においてあるのだ。
 さて、レポートです。

「ハードはソフトを規定するか」 宮本美来

「ハードはソフトを規定するか」という問いを考えていて、学校と印刷技術の関係が気になり色々調べてみた。
 調べたところによると、明治から昭和の中頃まで、学校で配られる印刷物は主に謄写版で作られていたようだ。ガリ版印刷と言った方が聞き馴染みがあるかもしれない。原稿に鉄筆で文字を書き、その上からインクを押し出して紙に転写するという印刷方法で一枚印刷するのにも時間と手間がかかりそうだ。それにも関わらずガリ版全盛期の教師は、定期テストや問題プリント、学級通信などを手書きし生徒の数手で印刷していたというのには驚かされる。
 そんな状況に変化が出たのは製版機というものが導入されてからである。これが登場したことによりタイプで文字を打ち写真やイラストも入れられるようになったそうだ。こうして次第にガリペンとヤスリは要らなくなりガリ版文化は廃れていったという。
 その後ワープロの登場があり、昭和61年頃にはデジタル印刷機の誕生によりボタンを押すだけで自動的に原稿が読み取られ、版が作成されて印刷ができるようになったそうだ。このような印刷技術の変遷を考えると、手間がかかっていたガリ版刷りの時代に比べ、簡単且つ大量に印刷できるようになった今、この発達はあらゆる場面で私たちの可能性を広げてくれたのは言うまでもない。
 とまあ簡単に印刷技術の流れを書いたが、実は私はガリ版という言葉を出すたびに脳裏に浮かぶ人々がいる。少し話が逸れるがその人々について今から書いてみようと思う。
 その人々というのは1961年、高知県の長浜で始まった「教科書無償運動」を戦った教師たちのことである。今となっては義務教育期間において教科書が無償で配られるのは当然のことのように思われているし、そもそもこのような市民運動が現在の教科書無償配布につながっているなどと知っている人も少ないだろう。しかし、教科書無償の背景には計り知れない人々の努力があったのだ。
今からもう半世紀以上前、当時は教科書を買うのが当たり前で、小学生の親も中学生の親も毎年新学期には子供に教科書を買い与えていた。そんな常識が定着していた時代に『義務教育はこれを無償とする』と書かれた憲法に学び、それに矛盾する現状に抗議した人々がいた。
この運動の中心にいたのは当時被差別部落とされた地域に住む人々で、教科書を買うお金を稼ぐのも精一杯の人が多数だった。しかしこの運動は次第に波及し、運動が始まって一週間で1600もの署名が集まり、一般地域の200戸近くで全員の署名を集めたという。つまり当時蔓延っていた差別という壁を越え、小さなむらの人々が世に対して訴えたのである。この運動で発足した「教科書をタダにする会」の会長を務めていた私の祖父は、この運動は現代に言う人権運動ではなく、れっきとした憲法を守る戦いだったと生前話していた。教科書無償運動についてはここに書ききれない内実や長浜の人々の計り知れない努力がある。
このような前提を示したところで、私が前述した「人々」つまり長浜の教師について書こうと思う。この運動では、教科書をタダで配るまで買わないという動きがあった。新学期が始まっても続いたこの動きにより、教科書がない子供たちが多数いたのである。そこで奮闘したのはその子供たちの教師であった。教科書がない子供たちに自主編集したプリントを作り毎日ガリ版で刷り、授業を行なっていたのである。この運動は3ヶ月にも渡ったが、その間教師たちは手を黒くしながらこのガリ版で運動に協力したのだ。当然地元には反対勢力もおり、教師らを公民館に呼びつけ「教科書を使え」と詰め寄ることもあったという。板挟みとも言えるこの状況において教師としてこの運動に向き合うことの苦労は計り知れない。しかし教科書がない子供達の不安を救ったのはこのガリ版刷りで作られた、手書きの教科書だったのではないだろうか。だから私はガリ版と聞いて、この教師たちを想わずにはいられないのである。
今私が手にしている教科書は現代の印刷技術により発行されている。近年では紙すら必要としないデジタル教科書の利用も増えてきた。しかし、印刷技術と教科書無償運動の歴史をたどり、その時代を戦い生きた人々を想うと今手にしている教科書の見え方が変わってくるのではないだろうか。
話を元に戻し、これまで印刷技術や憲法をめぐる市民運動について触れてきたが、どちらにも共通する点は根本的な概念として文字があることではないだろうか。そもそも文字がなければ印刷の必要がないし、憲法が認識されることもなかった。文字が持つ力、そして言葉が持つ力とはどれほど大きいのかと考えさせられる。
そしてその言葉を伝えるために現在に至るまで様々な媒体が発展してきた。それは新聞や雑誌、テレビなど多くあり、伝達手段とも言える。近年ではインターネットの発達で、より多様な言葉が溢れてくるようになった。しかし、それと同時にフェイクニュースや虚偽報道も溢れ、媒体が事実と異なる情報を報道することも珍しくなくなった。自分は何を見てどの言葉を信じればいいのか、そういった問いを持たざるを得ない時代になったと思う。
「媒体として言葉に力があった時代の最後」そう語るのは俳優の芥雅彦である。彼は東京大学在学時代、全学共闘会議で活動し、当時日本の各大学で巻き起こっていた武力闘争時代を生きた人物である。そして1969年東京大学教養部900番教室にて催された三島由紀夫との公開討論会で三島と舌戦を繰り広げた。その当時を振り返り、芥は「媒体として言葉に力があった時代の最後」とのちに話している。
 確かにこの時代に旧体制変革のために多くの学生が戦ったのには、言葉そしてそれを伝える媒体の力はとても大きく関係しているだろう。というのも当時日本のみならず革命の動きがあり、1968年のプラハの春や同年パリで起こった五月革命などの様子がメディアを通して伝えられたからだ。またこの武力闘争自体も多くの媒体を通して学生に、人々に伝えられた。そこで伝わった言葉の真偽は定かではないが、平然とデマが飛び交う現代よりも間違いなく影響力があったであろう。それがなければ学生たちがここまでもいわゆる「闘争」をすることはなかったかもしれない。このことはこの「闘争」のみならず私が先述した教科書無償運動にも同じことが言えるだろう。
そう考えるとやはり媒体を通した言葉の信頼性は当時と比べかなり低くなっているように思う。技術の発展とともに人々は戦い、そして我々は今惑わされているのである。「ハードはソフトを規定するか」という問いに関して私はこれらの歴史を知った上で「はい」と答えたい。

注)参考文献 「教科書無償」編集委員会編.解放出版社.1996.『教科書をタダにした闘い:高知県長浜の教科書無償運動』

     部落問題研究所出版部 部落 48(7), 24-25 (1996-07) 長浜の「教科書無償の戦い」に思う(特集/注目したい高知の動き<その2>/宮本 儔

   印刷機の歴史を探ろう! https://digital.jbmia.or.jp/exd/exdd03..html