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ジブリ映画の家はモノで溢れてお洒落なのに、なぜ実家はああならないのか

年明け1本目のnoteは、本日同僚から頂いた、ふとした疑問から。

「ジブリ映画に出てくる家は、物で溢れていてもすごくお洒落。うちの実家も物が多いけど似ても似つかない…一体何が違うんですかね?」

これは整理収納アドバイザーとしては興味深い質問です。
いくつかの角度より、回答を考えていこうと思います。

「空間ディスプレイ」は芸術ジャンルの1つであり素人にはなかなか難しい

講演会などで片付けについてお話をしていると、5回に1回くらいの割合でよく聞かれるのが、「”見せる収納”をやりたいが、どうしたら良い?」というもの。これ、答えに本当にいつも困っているんです。

聞き手側の気持ちもよく分かります。元凶はSNS・インテリア雑誌なんです。「部屋 おしゃれ」で検索すると、モノが何もない殺風景な部屋はヒットせず、センスの良いアイテムがほどよく散りばめられた画像がヒットするはずです。雑貨や本が良い具合に散らばっていて、色の良い毛布がフワッと広がっていたり、カラフルな食器がギチギチ詰められていたり。

ただ、これはセンス良いものを選んだ上で、部屋全体のバランスを見て、センスよく”飾っているから”、なんですね。生活スタイル起因で作られた結果ではなくて、空間というパレットにモノというアイテムを使った芸術作品に近いジャンルのものです。

「良い塩梅でモノを散らす」というのは、「一切のモノが見えないように片付ける」よりも技術的に大分難しくて、一度構築した後のメンテナンスにも手間がかかります。例えるなら、ヴィレッジバンガードの店舗と、コンビニの店舗、同じ面積ならどちらが構築・維持が楽かということです(分かりにくい?)。

ディスプレイ上手の方の部屋は、ある種一つの芸術作品ですから、それに憧れて素人の我々が生活スタイルをひん曲げようとしても、三日も持たずに崩れてしまう訳ですね。もちろん、ディスプレイセンスもよく、かつ几帳面にその通りに暮らせる方も一部いますよ。でも3%くらいだと思います(勘)。

ということで、「見せる収納のコツは?」という質問を受けた際には、「その質問をされている時点で見せる収納は一旦諦めましょう」と回答するようにしています(意地悪?)。私自身、吊るす・ひっかける等の「(結果的に)見”え”てる収納」はよくやりますが、見”せ”る収納は出来た試しがありません。

毎日暮らす自宅よりも、たまに帰る実家の方が散らかって見える理由

標題の質問にはもう1点興味深い点があって、「(自分が暮らしている)自宅の物が多くて気になる」ではなく、「(たまに行く)実家の物が多くて気になる」というところです。

検索エンジンのサジェストでも、「実家+汚い」「実家+散らかっている」というワードが出てきますね。実際には自分の家も大概散らかっているのに、久々の実家に帰ると、「あれ、こんなに散らかっていた?」と思ったりするものです。

前提として、「自分のモノは気にならないが、人の散らかりは気になる」というのが人間心理。一緒に暮らしている夫婦・親子間で、たとえ同じ物の量が出しっ放しになっていたとしても、人の荷物はより気になるものです。

心理学の用語で、無意識での認識の歪みを指す「アンコンシャスバイアス」。日々の生活で視界に入るモノに対しても、人は自分に都合よく解釈する傾向があります。それは何なのか、なぜそこにあるのか、ロジックが明確になれば安心しますし、よく分からないものが落ちていれば、不安で気になってしまうものです。(ホテルの一室に、くしゃくしゃに丸めたティッシュが落ちていれば、一気に不快になりますよね。自分が捨てたものだと分かればさほど気になりません。)

「散らかっている」の定義には個人差が大きい

「散らかっている方が落ち着く人もいる」という俗説を裏付ける実験として、大変よく引用させて頂いているのが、東京大学新領域創成科学研究室による実験です。以下の記事に詳しくまとめておりますが、被験者を部屋に閉じ込めて、徐々に荷物を散らかし、唾液からストレス度合いを測定します。(実験風景を思い浮かべるとシュールで良いですね。こういう実験を私もやってみたいものです)

部屋の状態への「快・不快」の閾値は人により(おそらく育った家庭環境等と相関)異なり、必ずしもモノがなければ「快」という訳ではないことが分かります。

「あなたのためを思って!片付けろって言ってるのよ!なんで靴下出しっ放しなの!!!」とヒステリーを起こす前に(自戒)、自分と配偶者の「快・不快」のバロメータは必ずしも一致しないことを認識するようにしたいものですね。

回答

ということで「ジブリ映画の家はモノで溢れてお洒落なのに、なぜ実家はああならないのか」という標題の問いに対する回答をまとめると、

  1. そもそもジブリ映画の家はプロが空間をデザインした作品であり、素人が日々の生活で散らかした空間とは成り立ちが異なる。

  2. アンコンシャスバイアスにより、人の家は、そこの生活者が感じる実態以上に散らかって見える

  3. 散らかりに対する快・不快には個人差が大きく、実家の物量が、偶々自分の快・不快の分岐線を超える量だった(「誰しもにとって絶対的に不快」とは限らない)

ということになります。

部屋がいつも散らかって困っている、という方がインテリア雑誌を読んでもあまり参考にならない理由も、上記①に該当します。
一足飛びにお洒落と生活しやすさを両取りするのは虻蜂取らずというところなので、マズローの欲求段階よろしく、まずは生活しやすさを充足させて、その上で、お洒落を充足させるという順がよいでしょう。

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