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青陽二月の初め

青陽二月の初め
物色 稍新鮮
此の時 鉢盂を持し
得々 市廛に游ぶ
児童 忽ち我を見
欣然 相将いて来る
我を要す(引き留める) 寺門の前
我を携えて歩み遅々たり
盂を白石の上に放ち
嚢を緑樹の枝に掛け
此に百草を闘わし(草相撲をとり)
此に毱子を打つ
我 打てば 渠 且つ歌い
我 歌えば 彼 之を打つ
打ち去り また打ち来って
時刻の移るを知らず
行人 我を顧みて咲い(わらい)
何に因ってか其れ斯の如きと
頭を低れて伊に応えず
道い得ても也何ぞ似ん
箇中の意を知らんと要むるも
元来 祇 這是のみ
良寛さん


寒い越後で、着たきり雀の黒い法衣一枚で乞食行をしていた良寛さんは、どのくらい春が嬉しかっただろうと想像してしまいます。

寺門の前で、子どもたちが「良寛さん、遊ぼうよ」ともしかしたら両腕にぶら下がっているかも知れません。

芽吹いた木の枝に頭陀袋を掛け、
持っている鉢をそっと置いて草相撲をしたり、毱をついたり。
良寛さんが手毬をつけば、子どもたちが歌い、子どもがつけば良寛さんが歌う。

通りがかりの農民が、冷ややかに
お前さまは一体何をなさっておる?
と言い捨てていく。

申し訳なさそうに、ただ頭を下げて弁明は
しない。
汗水垂らして働いている人から托鉢を受け
生きている。
春の日に子どもたちと毱つきをして遊んでいる。

1992年

初めてこの詩に出会ったのは、昔ベストセラーになった「清貧の思想」という本でした。(もう30年😳?あれ?こないだのようですね。)
景気が良くて、どんどん上り調子の時なのに、清貧なんてバカなこと言っていると経済が悪くなる、なんてえらい新聞の解説者が書いていたな。
売れるとこんなイチャモンつける人もいるんだなと驚きました。
その人の名前は忘れない🤣。

あ、話がそれました。
そこから、大好きな大切な詩になり、
書き写したり、声に出して読んでいました。良寛さんのもやしのように見える書も
好きになりました。

そして、何が言いたいのかというと
私の作っている手毬が上手になってきているので見てください😆

昨日のより、格調高くなっています。
遠目なのできれいですが、拡大しないでください。

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