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途上国旅行を存分に楽しむ為に必要な心の余裕

つい先週ちょっと早めの夏休みを取ってエジプトへ旅行に行ってきた。今の時期のエジプトの気温は40℃を軽く超え、日によっては50℃に達することもある。エストニアで優雅な避暑生活を送っていた去年とは打って変わって、今年は真夏の熱帯地域へ自らダイブだ。我ながらアホだと思う。途上国での不十分な衛生環境×酷暑=?と問われれば私が旅先でどうなったか容易に想像がつくだろう。今回は、お腹の中でキャメル(ラクダ)に暴れられながらも耐え凌ぎ、エジプトの各所を巡る中で改めて感じたことを話す。

これはほとんどの人がそうだと思うが、海外に行くといつも以上に人に対して用心深くなる。どの国であってもコンニチハ!ニッポンスキ!ナガトモ!なんて言ってくるやつは大抵怪しい。前に海外でスリに遭った経験もあってか、私は今回の旅でも常に周りを警戒していた。そして、出国前にエジプトは特に声をかけられることが多いと父から聞いていたが、その言葉通り現地では多くの人に色々な意味合いの声をかけられた。モノの購入を迫る声、お金をせびる声、チップをねだる声、親切の声そして無邪気な子どもの声。どの声も背景が異なり、そこから受け取ることは様々だった。

海外でよく見かけるマーケット通りを歩いていると、すれ違う人ほぼ全員からニーハオ!ニーハオ!と声をかけられた。最初は「ノーノー、ジャパニーズ」とか適当に返事していたが、どこへ行ってもニーハオ!ニーハオ!と声をかけられるので、ついには日本でも滅多に声を上げることのない私が「ニーハオじゃねぇよ!コンニチハだよ!」とアンジャッシュの児島ばりに突っ込んでいた。暑さと鳴り止まない車のクラクション、そして少し油断するとお腹の中で攻撃してくるキャメルにイライラが相当募っていたのだろう。客引きの声は国に依らず鬱陶しい。

途上国では物乞いがいることも珍しくない。街の通りや電車でプリーズ(お金を恵んでください)と声をかけてくる人をあちこちに見かける。エジプトでは5・6歳くらいの子どもたちが可愛い顔をしながらマニー、プレゼントと言い寄ってくることが多かった。キャメルでお腹が弱っていた私もさすがに子どもたちの声には心が痛んだ。親がやらせているのか、親を真似ているのか、自分たちで考えてそうしているのか、どうであれ貧困国の生活の厳しさを改めて実感する声であった。

旅の途中で道に迷っていると「どうした?」と現地の人によく声をかけられた。その度に「○○に行きたい」と伝えると彼らは親切に道を教えてくれたが、エジプト人良いやつじゃん、と思った次の瞬間には決まっていくらかのチップを要求してきた。なんだ、結局お金か。どうやらエジプトでは宗教上喜捨の考えが定着していて、ちょっとした親切へのチップが通例となっているらしい。とは言え、観光地周辺ではそれが過剰となってぼったくりなどの問題を引き起こしている。外発的動機から来る親切は果たして本当に親切と呼べるのだろうか、と思ったが、経済的にも宗教的にも仕方がないのか。

こういった警戒心を強める無数の声を理由に、私は旅の後半ではほとんどの人を無視するようになっていた。それは真の親切の声にまで耳を塞いでしまったということである。当然旅で出会った人の中には、自分への見返りどころか私を含めた身の周りの人全員をハッピーにしたいと行動で示す善人もいた。純粋無垢な笑顔でハロー!とただ手を振ってくるだけの無邪気な子どもたちもいた。しかし、私は金銭がネックとなって「声をかけてくる人=怪しい人」と一括りに決めつけ、現地の人と触れ合う機会を自ら制限してしまった。おそらく多くの旅行者が似た経験をしたことがあるのではないだろうか。

この問題はいつの日かトークンが金銭を代替し解決されるかもしれない、なんて馬鹿げた考えはしない。私は途上国の生活がブロックチェーンで変わるなどという意見には反対であり、それによる金融包摂の効果にも未だ懐疑的である。圧倒的経済格差が改善されて初めてこれらの新技術が途上国においても浸透する可能性が出てくるのだ。このような状況で私たち一人一人が格差是正の為にできることは、やはり旅先で非日常的にお金を使いまくることである。お金を盗られることは避けるべきだが、お金を使いすぎたorz、ぼったくられたorzくらいがちょうど良い。途上国旅行の際には現地の文化を存分に楽しむ為にもこのくらいの余裕を持ちたいものだ。

今回の旅でも余裕を持ちたかったが、お腹で動き回るキャメルを相手にそれどころではなかった。

#エジプト #旅行

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