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子どもの成長環境に見る時代の変遷

今日は休日なのに珍しく電車の中が空いている。空いていると言っても座席は全て埋まっていて、車内に自分のスペースを確保できる程度である。普段の満員電車では、車内にいる全ての人がまるでトラックに積めこまれる荷物であるかのように感じ、早く降りたい一心で大した考え事もできないのだが、この時は違った。同じ車両にいる人たちの表情や会話、動作が自然と私の中に入ってくる。子どもとみんなで出かける幸せそうな家族、一人静かに何かの本を読む女性、携帯を見てニヤニヤが止まらない男性、ハイブランド服ばかりを身につける怪しいチャラカップル、平然と一人で二席を使うぽっちゃりおじさん、関西人かと思わせるほど会話が止まらないおばさんたち等々、電車の中はこんなにもバラエティに富んだ人たちで溢れている。

何駅かを通り過ぎて、ふと赤ちゃん連れの母親に目を向けると、彼女がベビーカーの上で今にも泣き出しそうな赤ちゃんをあやし始めた。昔の自分がされたように、お母さん抱っこするのかな、と思ったがその様子はなく、彼女はポケットからスマートフォンを取り出し、何かキャラクターが動くようなアニメーションアプリを開いて、それを赤ちゃんに見せ出した。すると、1分も経たないうちに曇りかけていた赤ちゃんの表情は満面の笑みに変わり、ついには母親のスマートフォンを取って自分で遊び始めた。2歳か3歳くらいの赤ちゃんが、である。今の赤ちゃんには音の鳴る小道具も、可愛らしい人形も、絵が飛び出る本も、もしかしたら両親がするいないいないばあすらも必要ない。デジタルが赤ちゃんをあやす時代なのだ。

この様子を目にした時に、改めて世代ごとの子どもの成長環境をあれこれと考えた。私自身は、幼少期の初めは外で遊び、ゲームやパソコンが世に普及し始めるとともに、その場を室内すなわち家へと次第に移していった世代である。私の時代には、遊び=運動のイメージがまだ残っていたこともあり、野球やサッカーなどのスポーツ選手になりたいという友達が多かった記憶がある。次に来るのがゲーム・インターネットネイティブ世代だ。生まれながらにしてゲームやネット環境が整う彼らは、それらが使える家を中心に遊ぶ。この時はまだテレビがコンテンツとして独占的であり、ドラマの主役や芸人といったテレビに映る人に憧れる子どもが多かったのではないだろうか。

そして、電車で見かけた赤ちゃんのように、今に現れるのがスマホ・SNSネイティブ世代である。彼らは生まれた時からいつどこにいてもネットを通して誰かと繋がることができ、自ら何かを発信することもできる。さらに、電車の母親がスマホで赤ちゃんをあやしたように、彼らの親もまたデジタルをフル活用して子育てする。今や学校の授業中ですらスマホを使って友達同士コミュニケーションを取る時代となっており、彼らはデジタルとは切り離せない環境で生き続けている。そんな彼らが憧れを抱くのはテレビに映る人ではない。ネットで活躍する人だ。

これらを見た時に、この先現われるトークンネイティブ世代は果たしてどのような環境で育つのだろうか。“お小遣い”稼ぎをして自ら欲しいものを手に入れるのかもしれない。学校という“コミュニティ”を自ら選択することができるのかもしれない。その中で新しい憧れの対象が現れているのかもしれない。まだ現実にトークンが使われていない状況では想像の域を超えることはないが、子どもであっても個人で選択し生きる時代へとシフトしている未来がなんとなくだが想像できる。とは言え、環境が変わっても純粋無垢な子どもはいつの時代も同じだ。その時代の一番ホットな環境で一番活躍している人に羨望の目を送る。

このように子どもの成長環境を追うと時代の変遷が見えて面白い。

#暗号資産 #ブロックチェーン #デジタル #子育て

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