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マイノリティ

昔からみんなと同じことをするのが苦手だった。

みんなが正しいと思ってることを正しいとする文化が嫌で嫌で仕方なかった。

そしたら、社会は僕を社会不適合者扱いしてきた。

高校まではね。
教えてもらった正しさを正しいと答える能力が求められるのが高校までの世界だから。

まあ、今でも社会不適合者だって言われることは多々あるんだけど。

ちょっと常識や現実に対して疑問を投げ掛けて

周りと違う行動をしてみると

型を外れたい欲求を持ちながらもマジョリティから抜けだけない人たちから、

あいつはやばい。

とかね。

大学にきて。
ゼミで研究を始めた。

研究の目的とは、既成の事実に対してこれまで唱えられていた通説とは異なる新しい視点を提唱すること。

ステレオタイプを疑うことから全ては始まる。

もっといえば、

僕が専攻している社会科学の役割はステレオタイプによって形成されている社会によって、圧迫されているマイノリティを救済することだと思っている。

そんなわけで、研究という活動では、高校までの模範解答を作ることを求められる作業とは違って、オリジナリティを求められる。

逆説的になるけど、それによってステレオタイプを嫌いながら、常識に凝り固まっている自分の存在に気がついた。

それを変えたかった。

だから、僕は僕なりに生きることにしてみた。

走るのも勉強もやる。周りはどちらかに専念しろって言うんだけどね。なんか常識を変えてみたくてさ。やりたいことをやるって。

男ってさ、元来みんなヒーローになりたいと思ってると思うんですよ。戦隊物とか見て育つと尚更。

世の中のだいたいの男は好きな女の子が襲われたときに助ける妄想したことあるんじゃないかな。

でも、ヒーローになることを社会や現実が容赦なく否定していく。

そんなものにはなれない。
現実見ろ。

って。
ヒーローになれなかった人たちが否定してくんの。笑えるっしょ。俺はお前じゃないのに。

話はもどって。

研究の最終形態は研究論文という形にすること。

論文を執筆するにあたって、

論理的な分かりやすい文章の書き方を大学で教わったけど。

結局書きたいのはオリジナリティに溢れた文章だった。

大衆受けしなくてもいい。綺麗じゃなくてもいい。

みんなが読みたい文章は、物書きなり、大衆受けしたくて、やりたいことをやれない人たちが自分の声を押し殺しながらやってくれればいい。

僕は誰かに届けるために僕らしい文章を書いていきたい。

それが、生きずらさを感じている誰かを救えれば最高。

マイノリティで何が悪い。マジョリティが正しいなんて誰が決めた?

社会に対して、常識に対して、疑い続ける視点を持ちたいと思った冷夏の夜。

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