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「ベストを尽くせ!」るわけなんてない。

今回は経営学でしばしば用いられるワードのひとつである「意思決定」についてのnoteになります。

個人や組織がどんな行動をするのかを選択することを一般に「意思決定」といいます。

お腹が空いたときにラーメンを食べるのかそれともソバにするのかを決めるように「数ある選択肢の中からどんな行動をするのかを決めること」
とでも考えていただければ充分です。

一般に意思決定には2つのタイプがあると言われています。

1つめは最適化意思決定です。

最適化意思決定とは、考えられる全ての選択肢の中から最大の効果が得られると思われるものを選択する意思決定です。

2つめは満足化意思決定です。

満足化意思決定とは、一定の「満足水準」を決定し、それを満たしたものを選択する意思決定です。

私たちは、意思決定をするときに大抵の場合はベストな選択をしたいと考えるはずです。だからこそ、

選択される意思決定は「最適化意思決定」であると思われる方も多いと思います。

しかし、

個人や組織においてほとんどの場合が「満足化意思決定」が知らず知らずのうちに採用されています。

個人や組織が最適化意思決定をすることができない理由は個人や組織には「合理性の限界」があるからであるとされています。(桑田・田尾,2017)

冒頭にあげた食事を例に合理性の限界を考えます。

まず、意思決定を行う(何を食べるか)にあたり、全ての代替的選択肢を知り、それら全ての結果を知ることはまず不可能です。世の中に食べ物はいくつあるかを知ることは個人ではまずできませんし、それらを食べたらどのような味がするか、リスクがあるか、値段はいくらなのかを知ることは到底不可能です。

次に、もし地球上の全ての食べ物を網羅していたとしても、どのような結果が起きるのかを正確に予測することはできません。想像していた味なのか、何キロカロリー摂取できるのかといったことは事後にわかることであり、事前に完全に予想はできません。

これらのことから、個人や組織は暗黙のうちに満足水準を決め(例えば、500円以内、ある程度の空腹を満たすことのできる辛い食べ物など)、それらを満たした選択肢のうち最短経路で見つけたもの(水準を満たしたものを見つければそれを選択し、それ以降の選択は停止される)を選択するのです。

つまり、

大抵の場合は本当に最善であると考えられる選択肢を採択することは極めて困難であり、私たちは合理性の限界の元、「限られた最善」の追及を強制されています。

だから、結果がでるまで、プロセスが本当に正しかったのかを理解することは不可能です。

「あのときこうしていれば…」
と思っても、「こうして」いた場合の結果を正しく予想できるかは分かりませんし、意思決定をした段階では満足水準を満たしたと考えられるものを選んだわけですから、その時点ではそれが「ベスト」であるわけです。

性善的になりますが、個人や組織は基本的には何かをするときに結果を出したいと考えて意思決定を行うので、合理性の限界の元、「限られた最善」を追及しています。

しかし、現実では個人や組織は外部から「限りのない最善」であることを求められ、「ベストを尽くせ!」と迫られるのです。本当にベストを尽くせる個人や組織など極めてレアにも関わらず。

だからこそ、結果のために意思決定してきたプロセスを自己否定してはいけないのではないかと考えます。結果を出したいという思いの元、合理性の限界があったとしても「限られた最善」を選択し続けてきたのなら。

不確実性、複雑性が極めて高い社会、未来に対し、たとえ「限られた最善」だとしても、それを追及していくことがプロセスのなかでは重要であると思います。

今回は今年度専攻してきた経営組織論の領域のひとつである「意思決定」に関するnoteでした。最後までお読み頂きありがとうございました。感想、意見等お待ちしております。素敵な1日をお過ごしください。

参考文献

桑田耕太郎・田尾雅夫(2017)『組織論 補訂版』有斐閣.

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