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過去がどんな眩しくても未来はもっと眩しいかもしれない。

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過去についてのお話。

様々な能力を他人と比較されざるを得ない現代で生活していると、いろいろとコンプレックスを抱えることになる。

学歴や容姿、資格。

年収や職種。

上には上がいて、他人と比較すれば自分の立ち位置の低さに絶望することもあるけど、

僕が何に対して最も劣等感を感じているかといったら自分の過去。

具体的には、結果を出していた頃の自分。

真っ直ぐに突っ走っていた中学時代。

気がついたら、日本の中学生の中で10番目に脚が速くなっていた。

将来を嘱望された。

来年に迫ったTOKYO2020だって本気で出られると思っていた。

実際、当時の手記や中学の卒業文集には日の丸を背負うつもりでいたことが書き連ねられている。

でも、待っていた未来は残酷なものだった。

高校進学後。

思うように走れない日々が続いた。

何をしても空回りして

今まで負けたことのなかった選手たちにどんどん抜かれる。

未来は先が知れていると悟った。

だから、努力することから逃げて

それを正当化した。

俺には才能がなかった
俺は陸上だけじゃない
俺が結果を残せないのは環境に恵まれなかったからだ

現実から逃げ回ってるそんな自分が最高に嫌だった。

自分の弱さを隠すために、周りと壁を作って、いかにも何かを考えているように振る舞っていたら、

周りから応援してくれる人は自然といなくなった。

それでも。

結果を出せなくなっても応援してくれる方々がいた。

その方々は、速さだけが評価基準ではなく

僕という個人に価値を感じてくれている。

(と、僕自身勝手にそう思っている。もし能力の高さのみが選手を応援する上での絶対的な基準だとしたら、全てのスポーツにおいてその業界トップの選手やチームのみにファンが集まることになるから。)

だから、僕はそういった方々のため

そして何より「まだやれる」と心の片隅で思ってる

僕のために。

走り続けたい。

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高校時代の挫折というあまり良くない過去を僕は抱えてるわけなんだけど

最近、

過去は変わることもあるんじゃないか。

なんて思うことがある。

参考:キングコング西野さんが近畿大学卒業式で行ったスピーチ。このスピーチについて様々な意見があるものの、僕は若者の抱える本質的な悩みについて的確に述べていると思っています。

ある目的地に向かうとき

途中、別れ道があって、2つの道のうち、どちらかを選択しなくてはいけない。

そして、選んだ道が遠回りだったとする。

きっとその道を選んだことをそのときは後悔する。

でも、その道を知っていることで

次にその目的地に向かうとき

間違ったりはしないし

遠回りした道でしか見られないような景色を見ることができるかもしれない。

どんな過去も

いつ役に立つかはわからない。

意味のないと思っていた過去を活かすことによって、現在がプラスにすることができたら、

その過去は

意味のある過去へと変わっていく。

こんなこと、そうそう起こらないと思うかもしれない。

でも。

例えば異性と交際するとき。

多くの人はそれまでの異性との交際経験(過去)を元に、どのように接するべきかを考えているはず。

人間は何が正しいのかを判断するとき

それまでの自分の経験を元に決めるケースは結構あると思う。

だから、絶望的な大失恋をしたとしても

そこで蓄積した経験を次の恋に活かすことができれば

結果的には大失恋という経験したくなかった過去のおかげで本来よりもハッピーになれる気もする。

***

僕が10年間取り組んでいる陸上競技というスポーツは、個人の記録を高めるスポーツ。

他人と記録を比較して優劣を競うこともあるけど

陸上競技の本質とは

自己記録を更新するという形で過去の自分を越えていくこと。

だと思っている。

高いレベルで戦うことはできなくなったけど

ほぼ毎年、ほんの僅か、確実に記録を向上させることはできている。

過去の自分を越えるためには

過去の自分を上回る能力を身につける必要がある。

つまり、これまでより高い負荷を心身に掛け続けなくてはいけない。

そこには痛みも伴う。

疲労や辛さから逃げる弱い自分との戦いが待っている。

全ての苦痛や弱さに打ち克つことは無理でも

真摯にそれらと向き合うことができたならば、

過去よりも、ほんの少しだけ綺麗な未来が待ってるかもしれない。

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