成人式?なにそれ美味しいの?

1998年4月~99年3月生まれの大半の人が日曜日か月曜日に成人式を迎える。と思う。積雪量の多い地域を除いて。

去年二十歳になった僕の元にも案内がきたんだけど

成人式には出ないことにした。

理由は2つ。

1つめは友達と呼べる人が地元にはいないから。

成人式は出身地の自治体の式典に出席するのが一般的。僕が出身地の市っていう狭義の「地元」にいたのは中学まで。高校は自宅から30キロほど離れた市まで通っていたから中学の同級生はほとんどいなかった。

ここで少しこれまでの人生における「友達」の歴史を簡単に振り替えってみる。

小学校の頃の友達で、今も連絡をとるような間柄の人はいない。共通の趣味を持つ少数の友達とつるんでたけど、彼らが僕以外の友達を多く持つ中、僕は新規開拓に積極的ではなかったから、人脈は広くない。そんなことで、この頃から絶対数が少なかった。

中学の頃は部活が人生の中で大きなウエイトを占めて、学校には部活をやりに行っていたようなもの。勉強した記憶なんてほとんどない。部活は週に1回休みがあったからそこで遊ぶなりすれば良かったんだけど、練習で疲れていてほとんど家に籠っていた。だから友達がいなかった。陸上を通じて多くの仲間ができたから、それを友達と誤解してて、それ以外の友達にはあまり興味がなかったのかもしれない。

「地元」から脱した高校時代は、友達がいるのかと言われると、誰一人いなかった。

どれくらいいないかというと、陸上部以外のクラスメートを思い出せないくらい。
朝5時に起きて6時の電車に乗って7時過ぎから朝練して6コマ授業受けて16時間から放課後の練習をこなして18時半に終わったら下校して20時に帰宅。これがルーティーン。1時間以上かかる通学がとにかくキツかった。この生活がルーティーン化していたから、学校帰りにどこかに寄ったこともほぼなかった。

疲労困憊で1週間を終えて、週に1度あった日曜日のオフは中学の頃と同様、家で1日中寝ていた。これもルーティーン。遊びに行くのは年に数回ってレベル。外出もたまに親と買い物や食事に行く程度。
そんなクローズドな生活で友達などできるわけもない。

そんなことで僕には友達がいない。
上京して大学生になった今は、大学という自由さによって様々な人と出会って多少改善してきたけど、当然のことながら狭義の「地元」が同じ友達はいない。大学の友達は各々の地元の成人式に出席するわけだから、実質的に友達はいない。

中学では部活を通じて多くの出会いがあったけど、陸上を通じて出会った仲間はあくまでも「仲間」。
「友達」になれたのはごく少数。
「仲間」と思っていても、競技成績が落ちれば会話すらしてもらえなくなった奴もいた。
そもそも、陸上というツールがなければ接点がなくなるわけだから、これを「友達」と呼ぶのはあまりに無理がある。

2つめは今が充実してるから。

「充実」と言えば聞こえはいいけど、春休みを控えた学期末の今、レポートと試験が大量に待ち受けている。成人式の翌々日は試験が1つ行われる。そしてレポートの締め切り日でもある。更にそこから月末まで試験が続く。教職過程を履修しているから通常よりコマ数が増えていて周りより多くのレポート、試験がある。

それを処理しなくてはいけないから半日潰している場合でもない。

それに加えて陸上長距離選手にとって1~3月はロードシーズンで直近に試合が組み込まれている。生活とトレーニングの流れを壊したくない。

あとサブ問題として。

陸上の長距離種目というトレーニングにある程度の継続性が求められる競技特性上、2日以上の連続した休暇を与えられるのは年に2回か3回しかない。

世間的には「ブラック部活」なのかもしれないけど、業界ではこれが当たり前だし、年1回のチームもあると思う。もし仮に休暇が与えられても、あまりに長いオフだと選手は不安になって練習するから休養不足という視点から大学チームにブラック部活問題を当てはめるのはあまり意味をなさないと思う。

遠方から上京している学生のことを考慮して今回与えられたオフは3日。ちなみにこのオフは当初の年間計画には組み込まれていなかった。そんな貴重な休みを成人式に使うのは非常にもっないない。試合が迫っていて流れを壊したくないと前述したけど、3日間のうち1日はオフの予定だから、羽を伸ばすつもりでいる。

そんなわけで、成人式には出ないことにした。

まあ、こんな「おかしい」と思われている意思決定がすんなり通るほど世の中は甘くなかった。僕の意思決定に何一つ口出ししたことのない両親でさえも苦言を呈した。ほぼ100%の人々が何かに取りつかれたかのように

「成人式出ないとかどうかしてる!」

と価値観を押し付けてきた。

ひとつ問いたい。

その「正しい」価値観は誰が「正しい」と決めたのだ?

と。

ある種の通過儀礼のわけだから成人式に出ないことが「おかしい」ということを論理的に説明できる人はおそらく日本中どこを探してもいないだろう。

ひとつの「正しい」が暴走することの方が成人式に出ない「おかしさ」よりよっぽど「おかしい」はずだ。

僕みたいなしょーもない理由ならともかく、いじめだったり思い出したくない過去を抱えている人も少なからず存在するはず。どうかそういう方がいたら深入りせずそっとしておいて欲しい。

別に出ても出なくてもいいなら出ないという意思決定が尊重されても良いはず。
ひとつの「正しい」に対して、それを何の疑いもなく「正しい」と判断するような人にはなりたくない。

だからこのnoteも「成人式に出ないことが正しい」なんて主張は全くしていない。旧友と久々に再開して、昔を懐かしむことも素晴らしいことだと思う。

行きたければ出席すればいいし行きたくなければ欠席すればいい。ただそれだけの話。

いずれにしても、仕事始めの1週間が終わり、せっかくの3連休なわけだから誰しも有意義な時間を過ごしてほしい。

マイノリティであることを痛感させられたお話でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?