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自販機のペットボトルに、あなたは買い続ける価値を見出せるか

 ペットボトルのお茶を一本、朝の通勤中に自販機で買う。昼休みになって近場の定食屋で飯を食い、戻りがてらにまた一本。仕事を終えて、家に帰って過ごす。これが毎日のことならば、一日二本のペットボトルにおよそ300円払うとして、週に五日間出勤すると1,500円の支払いとなる計算だ。
 ここで考えてほしいのは、「この値段があなたにとって払う価値がある値段か?」ということだ。1,500円あればハードカバーの本が一冊買える。映画一回分には少し足りないくらいの金額。私なら少し割高だと思う。あなたならこれをどう捉えるか、という話だ。
 私がしたいのは、「ペットボトルを買うならコンビニやスーパーで買った方が安いからそうしなさい」とか、「水ならお茶より安く買えるからそうしなさい」というような話ではない。「毎日買うペットボトルには、あなたにとってそれだけの価値がありますか」という話がしたいのである。
 割高な値段で買うことを理解したうえでの行動であるならば、それこそがあなたにとっての正しいお金の使い方だ。「通り道の自販機で買うことによって無駄な時間を使わない」、「熱中症・脱水症になりかかっているので急いで水分を摂りたい」などの理由があるなら、むしろ自販機で買うことを勧める。たかだか数十円の節約のために、熱中症で倒れたらそれこそ馬鹿馬鹿しい。実質同じものである自販機のペットボトル150円とスーパーのペットボトル90円の差額60円を埋めるものは何か。それをあなたは判断した上で自販機を利用しているだろうか。

 どこかでタバコとベンツのジョークを見たことがあるだろうか。
 タバコを吸っている男に対して、別の男が「あなたが今まで吸ってきたタバコの総額があれば、そこにあるベンツも買えたんですよ」と言う。これに対してタバコの男は「あれは私の車ですが」と返す。
 塵も積もれば山となる。最近ではタバコも随分と高額になったものだが、今より安かった時代ですら買い続ければ車一台分になるわけだ。
 ジョークの笑いどころとはまるで関係のない話になるが、このジョークに出てくるタバコの男は愛煙家で、もう一人の男はそうではない。タバコを吸わない人にとっては、タバコにお金をかけることなど馬鹿馬鹿しい、もったいない。だからこそケチをつけるようなことを言ったわけだ。タバコを吸う男にしてみれば余計なお世話もいいところ。ベンツを乗り回すだけの財力がある点を置いておくとしても、タバコにそれだけのお金をつぎ込んだとしても特に気にした風もない。ここには人と人との間にある大きな価値観の差が出ている。
 つまるところ、「納得してお金を使っているかどうか」が肝心だということだ。もし「ベンツが買える」と言われてもったいないことをした、と思うのであれば、そこにある車が自分のものだろうとなかろうと、損をした気分になる。胸を張って「タバコを吸うことでベンツ一台分の満足を得ている」と感じられるのであれば、それは自身にとっての損には当たらない。これこそが正しいお金の使い方だ。

 よく言われる言葉だが、自分のお金はあの世には持っていけない。近しい人に譲ることはできても、最終的には自分のものではなくなってしまう。しかし同時に、最期の時を迎えるその瞬間まで人間の生存にはお金が掛かる。飯を食うにも病院に行くにも、介護施設に入るのだって少なくないお金が必要だ。
 だからこそ使い道を考えることが大切なのだ。毎日ペットボトルを自販機で買い続けることで満足が得られるのであれば、そうするべきだ。かく言う私も毎日は買わないものの残業の際は自販機で割高な菓子パンなどを買ったりもしている。それをもったいないと考えるなら習慣を改めるべきだ。まずは漫然とお金を使うことをやめよう。自分にとって「支払い金額と同等以上の価値があるもの」だけにお金を費やすことが、後悔しないお金の使い方への道しるべとなるだろう。

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