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友達を大切にする人は、お金に振り回される

まるで大震災にでも遭ってしまったかのような気分でした。

1986年に父の会社がなくなり、周囲の環境すべてがガラリと変わってしまったのです。

【参考】時代の流れを読めない人は、お金に振り回される

大きかった家も売り払い、狭苦しい借家住まいを余儀なくされました。夫婦喧嘩も絶えなくなり、毎週の外食もなくなりました。当然ながら、身の回りの世話をしてくれたお手伝いさんも雇えなくなってしまいました。

父宛てに届いていた500枚くらいの年賀状も、数えられる程度しか来なくなりました。当たり前のように山ほど届いていたお中元も、パッタリと誰からも届かなくなりました。

我が家を取り巻くそんな環境の変化を目の当たりにして、13歳の僕は「人間なんて、すぐに変わってしまうものなんだな」と思ったものでした。

中学校に通っていた僕には、少ないながらも友達がいました。周囲の環境すべてが変わってしまい不安定になっている僕にとって、かけがえのない「大切な友達」だと思っていました。

しかしある日を境に、僕は誰からも相手にされなくなってしまいます。

その日は朝早くに学校でサッカーをやろうと、6時に学校の近くで待ち合わせをしていたのですが、僕が10分ほど遅れてしまったところ、すでに誰もいなかったのです。遅れてしまったのは自分のせいなのでそれは仕方がないのですが、その一件以降、なぜか僕は皆から無視されるようになったのです。

サッカーの待ち合わせに10分遅れただけですが、
「なんだアイツ、遅れやがって」
「荻原なんかシカトしようぜ」
などというノリになったのだと思います。誰も話しかけてくれなくなり、誰も相手にしてくれません。そして、誰もその状況から助けだしてくれませんでした。

でも僕は、そういう対応をする他人に対して、完全に開き直っていたので平気でした。その時もまた「友達なんて、すぐにいなくなってしまうものなんだな」と思うことができたのです。

1人で休み時間を過ごすことも、
1人で自分の机で弁当を食べることも、
1人で学校にいて一言も話さないことも、
大したことではありませんでした。

考えてみれば、無視されただけで何か危害を加えられたわけではありません。むしろ、友達と費やす時間がなくなったぶん、自分の時間ができました。その時間を有意義に使えばいい、と考えたのです。

友達の気持ちなんてものは、自分ではコントロールができません。周囲の環境が変わったのであれば、それに合わせていけばいいだけのこと。無理してなんとか元に戻そうなどと考えなくても良いわけです。


それから10年が経ち、僕が23歳の時でした。会社をたたんでいた父は、祖母の住む実家の地下で、小さな蕎麦屋を営んでいたのです。

しかし、ある日のことです。誤って厨房の火をつけたまま寝てしまった父は、一酸化炭素中毒で命を落としてしまいました。自社ビルまで構えるほど事業を発展させた父でしたが、最後はあっけない幕切れでした。
57歳でした。

そんな父の葬式の日のこと。
父のお兄さん、つまり伯父さんが現れました。
伯父さんは、祖父の会社を同じように引き継いだのですが、途中で父と喧嘩別れして別事業を経営していました。おそらく10年くらいは会っていなかったと思います。

しかし、久しぶりにも関わらず「俺が今日から父親代わりになってやる」と言って、残された僕たち家族の面倒を見てくれることになりました。

父とは違って成功の道を歩んでいた伯父さんは、収入のなくなった母に小遣いを与えてくれたり、僕の保証人になってくれたり、住む場所がなくなった僕たちの引っ越しを援助してくれたりしました。

そんな伯父さんの背中を見ていて思いました。

「友達は大切にしていても、いざという時に助けてはくれない。人を助けるために必要なのは、お金だ」と。

実際、いくら友達であっても、いくらやる気があっても、「出来ること」というのは意外と少ないものです。「困った時はいつでも助けるよ」などと言っても、本当に困った時には友達でも助けられないことがあります。
逆に人を助けようと思ったら、まずは自分が何者かになって具体的に実績を残し、スキルや専門性を手にしなければいけません。

20代の若いお兄ちゃんが「俺なんでもやりますよ」と言っても、「いや、頼めることは特にないよ」ということがよくあります。
こういった“意識高い系”と呼ばれる人の多くは行動の順序が逆で、まず人と出会うことを目的にしがちです。
しかし、まだ何者でもない人間に、再び会いたいと思う人はそれほどいません。そうではなく、まずは自分に専門性を持たせてから人と繋がらないと、相手に貢献することができないのです。


僕は“お金が無くなったら人は離れていく”ということを経験しました。そんなどん底の時に手を差しのべ助けてくれたのが“何かで成功してお金を持っている人だった”ということもあり、人間関係の真理やお金の重要性みたいなものを感じることができました。

だから僕自身、「友達は大事にしなくていい」と思っています。自分が成長していくと、共に成長していない人とは5年もすると会話が合わなくなって一緒にいるのが楽しくなくなるからです。

実際、会社員になってからも、会社の同僚と飲みに行ったり同級生の友達と飲みに行ったりする機会はありましたが、行きたくもないのに2次会や3次会まで付き合ったりすることが理解できませんでした。

飲みに行って皆で他愛もない話をし、割り勘で3,000円を支払う。他愛もない話で盛り上がってしまい、終電を逃してタクシーに5,000円を支払う。友達と飲むだけで一晩で8,000円も使ってしまったりするわけです。

そんなことに8,000円を使うくらいなら、本を5冊買ったほうが良いではないですか。夜は早く家に帰って早く寝る。そして翌日の朝早く起きて、買ってきた本を読む。そうするだけで、人生はだいぶ違うものになるのではないかと思うのです。

つまり”時間の質とお金”の関係で言えば、友達というのは“人生のコスパが合わない存在”です。何でもかんでも同僚や友達に合わせていたら、時間もお金も両方失ってしまいます。

「友達100人できるかな」という童謡がありますが、実際にそんなことをしたらコストがかかって仕方ありません。

そして重要なのは、“この事実にいつ気づくか”だと思うのです。だいたい優秀な人というのは、社会人3年目くらいまでに気づいています。

「この環境はダメだ」と。
「この人間関係はダメだ」と。

「おれら最高の仲間だよな」とか言ってくるコトバを真に受けてはいけません。2次会に行かないと「付き合いが悪いな」と言ってくる同僚に合わせてもいけません。

「友達なんて、コスパが悪い」と、早く気づくことが大事なのです。

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