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“時間の怖さ”を意識しない人は、お金に振り回される

大学を卒業した後、僕が進んだ道は「ニート」でした。

僕の父は時代に飲み込まれて倒産してしまいましたが、時代に飲みこまれたのは父だけではありませんでした。
僕が大学4年の時に山一證券が倒産。都市銀行は次々と消滅し「就職氷河期」という時代になりました。

大学時代にこれといった活動をしてこなかった僕は、この時期、一斉にスタートが切られる就職活動で他の学生に勝てるわけもなく、3社ほどまわった時点で「この勝負は勝てない」「正面突破じゃ無理だ」と早々に悟ってしまったのです。

何をするわけでもなく時間だけが過ぎ、気がつくと卒業式は過ぎてしまい、「ニート」という道を進んでいました。

就職をせず、何もしないで過ごすこと1年。

1998年、世間はサッカーのフランスワールドカップで盛り上がってました。
あまりにも暇だった僕は、家で全試合を観戦しました。
当時、スコットランド対モロッコ戦をライブでテレビ観戦していた数少ない日本人の1人だったと思います。

当時付き合っていた彼女からは「まともな仕事をしなさいよ」と呆れられていました。

「まともな仕事か……飲食業ならいけるかな?」と考えた僕は、銀座にある日本料理屋で働きはじめることにしました。

日本料理屋にはホールスタッフとして入ったのですが、人手不足ということもあり料理長から「板前をやってくれ」と声が掛かりました。
しかし、それまで料理なんてやったことがありません。「できるのかな」と思いながらも、洗い場から始まり焼き場や揚げ場、煮方、刺し場と2年半かけて一通り経験し「板前」になっていきました。

「板前をやっていた」というと驚かれるのですが、その前の学生時代は、家電量販店の配送アルバイトもしていました。

2トントラックの運転手として一日かけて杉並・練馬・中野あたりを20軒ほど回り、冷蔵庫やテレビ、洗濯機を運んで設置するという、なかなかハードな仕事でした。

板前の仕事や配送の仕事は「ガテン系」と言われ、一般的には単なる肉体労働だと思われがちですが、全くそんなことはありません。
実は、「超」がつくほどの頭脳労働なのです。

まず板前という仕事は、なにもかもが“時間勝負”です。

忙しい時になると、オーダーは同時に10品くらい来ます。
刺身だの煮物だの揚げ物だの、調理の種類もバラバラ。
さらに、オーダーされたら10分以内に出すのが鉄則。
「何をどの順番で料理していくのか」を常に頭で考えながら料理していきます。

また、刺身の“つま”や大根おろしなどは出番が多いので、あらかじめ用意しておかなければなりません。
途中で切らすと影響が大きいですから、事前に量を予測して仕込んでおかないといけないのです。

配送業も同じです。
一日に20軒前後を効率よく回らないといけませんから、しっかりとルートを決めておきます。それでも再配達などが発生してしまうと、すんなりと回ることはできなくなります。常にルートを修正しながら動いていかなければなりません。土日などは荷物も多いため、1分たりとも無駄にできない状況でした。

(ちなみに、再配達による運転手さんが受けるダメージは、おそらく普通の方が考える以上に大きいものです。できるだけ再配達の少ない世の中になってほしいなあ、と今でも願っています)

また、荷台での荷物の置きかたも、かなり頭を使います。冷蔵庫や洗濯機などの大きくて重いものや、小さくて軽い荷物もたくさん混ざっていますので、「どこに何を置いてどの順で出していくか」も重要でした。

まさに頭脳ゲーム。
昔のゲームで『倉庫番』というのがありましたが、リアルな『倉庫番』をタイムトライアルでプレイしているようで、本当に大変でした。

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倉庫番(Wikipediaより)

頭を使う、という大変さだけでなく「時間を失うことへの恐怖」も常に付きまといました。

板前の仕事では、刺し身の“つま”が切れてしまう、炭火が落ちてしまう、ドレッシングがなくなる、など営業時間中に不測の自体が発生すると、その日はアウトです。お客様から相当な数の苦情が来てしまうのです。

トラックの配送でも、14時の時点で半分の荷物をさばけていないと、その日の配送はほぼ遅延しました。そうなると、やはりお客様からすぐに苦情が来てしまいます。

しかも、これらの遅れ、トラブル対応は、経験を積んでベテランになったところで挽回できません。どんなに急いでも“つま”を切る時間は3倍にはならないし、住宅街を150kmで車を走らせることもできないのです。

一度、遅れてしまったら時間は取り戻せない。
必然的に「時間への怖さ」を知りました。

しかし、ガテン系のブルーカラーでは時間的な制約が多くて『自分の時間』が確保できないため「一生、自分の時間を切り売りしないといけないな」とも感じるようになりました。

もっと自分の時間を確保しなければいけない。
そして、その自分の時間によって成果を出していけるような仕事へ転向してみたい、と漠然と考えるようになりました。そんな時、「未経験者でもOK」という募集を出していたプログラマーの仕事に転職することにしたのです。

当時、板前の手取りは30万円でしたが、未経験のプログラマーは14万円。
収入は半分以下に落ちましたが、その差額の16万円を僕は“授業料”だと捉えることにしました。
プログラムはおろかパソコンすらほとんど触ったことのない人間に、初月から14万円もいきなり払ってくれるという事実のほうが「すごいことだ」と思ったのです。

そうしてホワイトカラーとして働きはじめたのですが、職場ではすぐに大きな違和感を覚えました。

「“時間の怖さ”を考えてない人が多すぎる」のです。

みんなのんびりしていてノロい。
やれ「稟議書にハンコをもらわなきゃいけない」だの、やれ「部長が見つからなくて探している」だの、「下のフロアに行ったけど部長がいないのでまたハンコもらいに行きますね」だの…

本当に“時間の無駄使いが多すぎる”と感じました。

オフィスで働く人たちは、もっと、“時間の大切さ”や“時間を失うことの怖さ”を意識しなければいけないと思います。

その先にはお客様がいるのです。
無駄な時間を使うほど、お客様からの信用はなくなり、お金を失うことにも繋がっていくのですから。

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