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保険に入りすぎている人は、お金に振り回される

プログラマーという「ホワイトカラー」に転身してからの僕は、会社で違和感を覚えることがたくさん出てきました。

その1つに「保険」があります。

2005年に入社した大和総研には社員食堂がありました。4月になると大手生命保険会社のいわゆる生保レディたちが、昼時になると出口付近に必ず来ていました。新卒の若者を捕まえて、保険の説明をして生命保険に加入させるためです。
僕はこの時「大手企業が情弱から搾り取る」仕組みを目の当たりにしました。
22~3才なんて、“カモ”もいいところです。保険の知識は皆無でしょう。実際には、入院しないし、簡単に死にません。健康な若者にとって保険ほど期待値の低いギャンブルはありません。
これは裏を返せば、保険会社にとって新卒社員は利益率がめちゃくちゃ高く、超美味しい案件だということです。

でも、新入社員たちは、「社会人になったんだから」「若いうちに加入しとくと保険料が安くて得です」といったただの”営業トーク”を真に受けて、何
も考えず保険に入ってしまいます。さらに、言われるがまま損保だ特約だと、複数の保険に入りまくる人もいる。

そんな人は、以下の理由から“危うい”と思うのです。

物事をロジカルに考えず、リスクを取っていない

決して保険自体を批判してるわけではありません。実際に入ってた保険のおかげで助かったという人もいますし、みんなからの少額でリスク分散する仕組みはとても良いと思います。ただ、何も調べず、確率も考えずに言われるがままという人が多かったのです。
たとえば「ガンにかかると怖いですから、ガンの保証もつけておきましょう」と言われても、「20代でガンにかかる確率は何%なのか」なんて調べればその必要性くらい分かります。

「もし入院することになっても30日間保障される」と日数の長さをアピールされても、そもそも30日間も入院した経験のある20代は、おそらく1万人に1人も居ないはずです。まさに“万が一”な世界。それに保険をかけるのは、無駄だと思うのです。
しかし、万が一、事故に合ったら、ガンになったら、なんなら巨大隕石が落ちてきたら・・・。こうした「リスクはある」という主張に、「リスクはない」という主張は絶対に勝てません。未来は誰にもわからないからです。

プログラマーとしてシステム開発をしながら気づいたことがあります。それは、いくらテストを完璧にやったシステムでも、「リスクがない」とは絶対に言いきれないということです。しかし大手企業のシステム責任者は、こうしたリスクを自分がとってしまうと責任問題になるため、現場社員に「リスクはないと言い切れるのか?」と事前に詰めておくことで責任回避したり、責任転嫁のためにSlerやシステムコンサルタントに丸投げして、エクスキューズを用意します。結果、休職に追い込まれる現場の若手社員を見てきました。

ここで重要なのは、意思決定を「リスクがあるかないかでしてはいけない」ということです。他の人とも「リスクがあるかないか」を議論してはいけません。なぜなら「リスクがない」と言った側が絶対に負けるからです。
だからこそ、リスクは何にでもあるという前提からスタートし、では、どこまでリスクを許容するか、と考えることが大事なのです。

例えば「子供が2人いて、大学卒業までに1人1,000万ずつかかる。私は健康だけど、もし何かあったら家族にとってリスクが大きいので最低限2,000万の保険に入っておこう」なら理解できます。しかし健康診断の結果にまったく問題のない独身20代が、何の考えもなしに病気の保険に入るのは、意味がわかりません。

「万が一」「万が一」と言い出したら、きりがない。ある程度は、確率論として「起きない」と考え、一歩前に進まなければなりません。

過去の固定概念に疑いを持っていない

人間は一度考えを決めてしまうとなかなか覆せない生き物だと思います。

小学生ぐらいの頃、僕もなかなか覆してくれない決めつけに苦しんできました。

僕の母親は働いたことが一度もない箱入り娘だったようですが、昔から子供に対して何でも決めつけてくる人でした。友達が多く明るい兄は「優等生」、それほど友達がいない弟の僕は「ダメな子」という母親の中での構図が、なんとなく幼稚園くらいには出来上がっていました。

小学校3年生の頃、兄弟で親の財布からお金を盗んでゲーセンに行ったことがありました。バレた時、問答無用で疑われたのは僕だけでした。実際には兄弟での共犯なのですが、僕が主犯という認識は揺らぐことはなく、それ以降、家の中でなにか起こると真っ先に疑われるのは僕でした。

人間は、対象に対して特有のイメージを抱いてしまうと、それ以降の新たな事象は、すべて植え付けられたイメージを補強するように解釈する傾向があります。

このレッテルは何十年も貼られ続け、大人になってからも母親に会うと「あなたは友達が少ないからねぇ」と残念そうに言われるほどですから、人間は思い込むと考えが変わらないのだなとつくづく思います。


つまり保険も同じです。日本では「社会人になったら保険に入って一人前」みたいな固定概念が昔からありました。だからこそ、疑いを持たずに入ってしまう人も多いのではないでしょうか。

少なくとも月に1万円以上は払い続けるわけですから、契約書を前にして「これは本当に必要なのか」と疑わなければいけないと思います。

くだらない「メンツ」を守ろうとしている

よく大企業を退職しようとすると、「会社を辞めるなんて、何を馬鹿なことを」と言ってくる親がいますが、僕の親もまさにそういう人でした。大和総研を辞めてDeNAに転職する、と言ったときの母親のガッカリした顔は今でも覚えています。

それは結局、子供を心配しているのではなくて、「知り合いや近所の人にどう思われるか」の方が優先されているのです。

保険に関しても、「社会人になったんだ。保険くらい入っておけ」「保険には入ったの?」と聞いてくる親や親戚へのメンツや、「俺は掛け捨て保険なんて入らない。」とよくわからない自慢をして、バカみたいに外資系生保に月4万円とか払っている人、いないでしょうか。

くだらない「メンツ」を守ってお金に振り回されている場合ではないのです。

物事を深く考えていない

保険に入った人に理由を聞いてみると、「周りも入っているから」とか、「なんとなく不安だから」とか、「親に入れと言われた」とか、なんだったら「保険屋さんに入ったほうがいいと言われたから」とか、自分の頭では考えずに入っていることが多いです。

人間は、どうしたらいいかわからないとき、他人の行動を見て決める傾向があります。「他のみんなはどうしてるか」と、他人の行動に答えを求めたほうが楽だし、安心するからです。

※【参考】他人に依存する人は、お金に振り回される

でも、保険に入る時にはしっかりと自分のアタマで考えて判断するべです。もしすでに入っているなら、「今までの保険料が無駄になる」とサンクコストに引っ張られることなく、スパッと解約する選択肢も検討すべきです。

そもそも相談する人を間違えている

「自分で考える」とはいえ、経験がなければ周りに相談したりもするでしょう。ただ、相談相手を間違えている人が多いと思います。

たとえば社会に出た経験のない学生同士が集まって「どの会社に就職するか、将来何をするか」と議論するのは意味がありません。なぜなら、そもそも選択肢が見えていないからです。
それは、転職した経験のない会社の先輩に、転職の相談をしても意味がないのも同じです。「バカかお前。ここまで一緒にこの会社で頑張ってきただろう」「お前のやりたいことは、うちでも出来るぞ」などと全力で説得され、留まってしまう人を何人も見てきました。

投資家のウォーレン・バフェットも言ってますが、「散髪が必要かどうかを床屋に聞いてはいけない。」のです。保険に入るかどうかを保険屋に聞く、車を買うかどうかをディーラーに聞く、ジムに入るかどうかをインストラクターに聞く・・・。返ってくる答えは100%「Yes」」です。

同じように、仕事や職場の悩みを親に相談するのも意味がありません。親の世代は終身雇用あたりまえ、大企業バンザイな人たちです。スマホのこともよく分かっていない人だったり、そもそも価値観が全然違う人の意見は全く意味がありません。

たとえば多くの親は子供に、「スマホなんかやってないで勉強しろ」と言いそうです。でも、現代はスマホが「勉強道具」です。以前、甥っ子にiPhoneをプレゼントしたのですが、ものすごく使いこなしています。めちゃくちゃ理解力もあるし、習得が早い。「荒野行動」のやり方は、甥っ子に教えてもらいました。

「誰に相談する」のはよく考えないといけない。相談する相手を間違えてはいけない。でも、みんな都合のいい人に相談してしまう。耳が痛い人の意見など面白くないからです。

あくまでここでは、保険を例にましたが、考えず、他人の意見を鵜呑みにして、若くして保険に入っている人や、保険に入りすぎている人は、お金に振り回される可能性があります。

ちなみに、僕は、保険には一切入っていません。
“保険自体が悪い”という意味ではなく、私は独身なので、私になにかあっても明日から生活できなくなる人がいなくなるわけではないから、必要ないのです。

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