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ざっくりと僕の経歴

普通経歴というと社会人として就職してからのことを言うのだと思いますが、15歳でアルバイトを始めた時から料理人の修行開始と思って社員のごとく働いていました。
そこには僕なりの考えがあって、実際にそれが料理人として働きだしてから役立っているのでざっくりまとめようと思います。

いつかこれが、料理人を目指す中学生や高校生に読んでもらえると嬉しいな笑

高校時代

中学まで野球をやっていたが、高校で部活に入るつもりは入学する前から1ミリもなかった。
小学5年生から料理人になると決めていた僕は、アルバイトが解禁になる高校生活が待ち遠しくて仕方無かった。

・Bar West End
僕のホスピタリティは全てここで覚えたと言っても過言ではない。父が経営していたバーが僕の初アルバイト先だった。
15歳の僕から見ても父は素晴らしいバーテンダーで、カクテルの味(僕は飲んだことないけれど)距離感・間の取り方・気配り、、、書ききれない沢山のことを父から学んだ。
そして何より1m先には40〜50歳のお客様がいるというプレッシャー。15歳の僕はビクビクしながらカウンターに立っていた笑
ここで徹底的にお客様に見られるという度胸と老若男女誰でも親しくなる話術を身につけた。

・アルカサール
次はステーキレストランでホールのアルバイトを始めた。友達が働いていたこと、お洒落なお店だったこと、賄いが絶対にお肉だったこと笑
などなどそんな強い想いを持って決めたわけではなかったが、ここでは非常に多くのことを学んだ。
商業施設の中にあったため、土日になればファミリーやカップルで満席。休む間も無くハンバーグやステーキを運ぶ運ぶ。
その間にも入店・注文・会計などが様々な角度から飛んでくる。頭の中で、料理を熱々で提供しながらお客様を待たせない最適解を毎日考える。働きながら思考する力をここで身につけた。

・ピッツェリアドォーロローマ
2年半みっちりとサービスのアルバイトを経験したので、そろそろキッチンのアルバイトがしたくなり友達と応募したイタリアン。
家の近くの二子玉川店に応募したのだが、時給の良さにつられてお台場店で働くことに。
ここでは仕事はもちろんだが、かけがえのない先輩・友達・後輩に恵まれた。今でも大好きなピッツェリアメンバー😍
最初はサラダちぎりやマッシュルーム・トマトのカットなど補助的な仕事をこなしながら「どうやったらピザ場にいけるかなぁ」と毎日チャンスを伺っていた。
ある日料理長が「ピザ生地の分割と成形を12分以内で終わらせたらピザ教えてあげるよ〜」と。待ちに待ったチャンス!超気合の入った僕は10分で終わらせ、無事にピザ場に入ることができた。
最初は生地を丸くのばすこともできず、焼いたら丸焦げで、悔しくて泣きそうになっていたけれど、夏休みシーズンで毎日満席、1日ピザが400〜500枚出る日々は僕を強制的に成長させた。2週間ほどで1人でピザを焼けるようになり、1ヶ月経った頃には満席の注文を1人でこなせるようになっていた
(上のピザが1ヶ月で下のピザに成長した)
ここでは責任を持って料理を作るということを学んだ。初めて自分が作った料理がお客様に届く経験、幸せだった。

専門時代

フランス料理を学ぶべく専門学校に入学した僕は、アルバイトもフレンチ以外ではするつもりはなく、さらに学生の2年間はとにかく無茶して働こうと決めていたので、2年間で12軒ほどのレストランでバイトを掛け持った。
その中でも今の僕の核になる部分を学んだ2つのレストランを。

・ヌキテパ
五反田にある老舗フレンチ、料理に肉は一切出てくることはなく魚介のみのフレンチ。とにかく食材の活かし方が抜群で、初めて働く高級フレンチは僕にとって夢のような時間だった。
ここで魚介類の扱い、野菜の扱い、料理人としての心構えなどを学んだ。
スペシャリテであるハマグリの炭火焼を営業で任せて頂けたことは僕の料理人人生の中で自慢です!
また特徴的な土を使ったフルコースがヌキテパにはあり、僕は日本でも数少ない土を食材として扱える料理人に成長した。
田辺シェフは料理に対してただただ真っ直ぐに向き合っているシェフで、僕のことも非常によく可愛がってくださった。今でも尊敬してやまない偉大なシェフです。

・フルヤオーガストロノム
赤坂にあるフレンチレストラン。超クラシックな料理なのだが、酸味の使い方が非常に上手く軽やかなフランス料理。僕は日本一美味しいフレンチだと思っている。
ここでフランス料理の基礎技術を叩き込んでもらった。フルヤの厨房はシェフ1人でマンツーマンで料理をしていた僕はとにかく濃密にフレンチを学ぶことができた。
既製品は全く使っておらず、パンも毎朝焼いていたのでパンに関するスキルも上げることができたのは後々すごく役立った。
フォンの取り方、肉・魚の焼き方、ソース、デザート、パン、、、学生の1年間でフレンチの基礎を学べたことは恵まれていたとしか言いようがない。
今West Endでスペシャリテとしてお出ししているフォアグラどら焼きのフォアグラもフルヤで学んだもので、このレストランに出会わなければフォアグラどら焼きは生まれなかった。

社会人

専門学校を卒業し夢だった料理人になった僕だったが、色々とありまさかのフレンチには就職しなかった。夢は変わるけれど学んできたことは無駄にはならない。今はフレンチに就職しなくてよかったと思っている。

・Maruta
2018年3月にオープンした薪火レストラン。深大寺ガーデンを併設していて野菜やハーブなどを自家栽培している。ローカルファーストを掲げるこのレストランには西東京の野菜、伊豆七島から空輸される新鮮な魚介など様々な素晴らしい食材が揃っていた。ウォークインセラーの中では様々な発酵食品や保存食が並んでおり、発行や熟成などの技術を学ぶことができた。
摘みたてのハーブを料理に使う、間引きされた野菜たちをピクルスにしたり、肉の端材を生ハムにしたり、僕が今まで見たことないような食材の扱い方がいたるところに転がっているようなレストランだった。自然に寄り添った料理の素晴らしさ、自分が作りたい料理の方向性はMarutaにいたから見つけることができた。
そして何より、心の底から尊敬することができる料理人に出会うことができた。Marutaのスーシェフから学んだことはどれもキラキラとしていて、料理はこんなにも自由なのかと心躍った。
いつかスーシェフと一緒に料理を作りたい。僕の目標です。
(こんな風に営業前にハーブ摘んでいました)


ざっくりのつもりが、ものすごく長くなってしまいました、、、笑
こんな感じの経歴で今の僕が出来上がっています。高校生活でサービスのバイトをみっちりとやったからこそ、就職してからもサービスが難なくできるし、専門生活の2年間死ぬ気で働いたからこそ、就職してすぐに現場で通用する技術を身につけることができました。死ぬ気って結構大切だと思います。

ただ、僕はそれが辛かったことは一度もなくてずっと楽しんで働いていました。
合わないな、この人嫌いだな、と思ったレストランはすぐに辞めちゃったけれど、今もちゃんと料理人やっています。
とにかく”楽しく”これからもそれだけは曲げずに、料理作っていきたいと思います。

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