見出し画像

『不倫』批判の構図

背景にあること

最近、テレビなどでしばしば芸能人の不倫が話題になるが、個人的にはその反応がかなり病的に感じられるのが気になった。

思えば不倫自体は昔からあった。しょうがねぇなあ、ということはあっても、近年のようにバッシングに至るまでになることはそんなにはなかったと記憶している。

どうしてこうなるかなあ、と考えていたところにこんな記事が目に留まった。

もともとの意味はどうなのかな、ということでWikipediaを調べてみたが、『不倫』、『浮気』というトピックはなく、『姦通』という言葉の中で一緒に説明されていた。『姦通」という言葉はその意味するところはわかりやすいけど、ちょっと言葉としては美しくないかな(笑)

東洋経済の記事にある『② 「〜すべきだ」「普通は〜だ」』がまさにこれだなあ、とおじさんは思った。つまり自己肯定感の低い人が他人には「~すべきだ」と迫っているのが昨今の様子だ、と。

更にこの状況のルーツをたどると、だいぶ前から言われている「失われた30年」とも無縁ではないように思えてくる。バブル以降、日本社会はそれまでの自信を喪失して混迷の時期を迎えた。その結果、(自分は無理だけど)他人にはこうあるべきだと説く集合意識が形成されていったのではないか。

不倫と浮気

不倫という言葉がメジャーになる前はおそらく浮気、という言葉がたぶん一般的な言われ方だった。

不倫という言葉が一躍メジャーな存在に躍り出たのは、おそらくドラマの影響だっただろう。若い人は知らないかもしれないけど、『金曜日の妻たちへ』というドラマがその発端だったと記憶している。

しかしながら、それでも『不倫』と『浮気』という言葉は意外としっかりと使い分けられているような感じである。簡単に言うと『浮気』は身近なもので、『不倫』はどっか他人事のような雰囲気がある。

Googleさんで調べてみた。

画像1

こうしてみると全体的に不倫、という言葉で検索される割合のほうが浮気より上回っている感じだが、検索ワードをみてみると浮気と一緒に検索されているワードは、『旦那』とか『彼氏』というのが多いのに対して、不倫は芸能人の名前だったり、職場、や議員といった、自分とはちょっと離れた関係にあるワードを使用しているものが上位に来ている。

つまり、『不倫』は自分とは遠い出来事だから批判しても自分が巻き込まれるというものではない。なので批判する言葉はきつくなるし、かくあるべきという理想が強調されるという結果となる。

その更に深いところにあるものは・・・と考えていくと、この文章の冒頭に戻る(笑)

結論として『不倫』記事は身近じゃない、どちらかといえば絵空事に近いどこか遠い世界の出来事について、言いたい人が言いたいようにあーだこーだ言っているもの、という認識が現実的な着地点かなぁ、とおじさんは思うのだった。

以上

#あ 、これを踏まえた上で占い記事もあとで書くかもしれない(汗)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?