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宿命と運命(2)

前の記事で宿命は車のスペック表のようなものだ、と書いた。

では運命はどうなのかというと、個人的にはカーナビみたいなものだと思っている。つまり、行先は自分で決めることができるが、何も指定しなければカーナビにプリセットされた行先に勝手に向かっていく、そんな性質のものが運命だという感じだ。

この視点に立てば、(人生の)行先は自分で変えることができるが、なにもしなければ勝手に車(宿命)がカーナビで行先を決めてそこに向かうということだ。運命に翻弄されるというのはこういうことではないかとおじさんは考えている。

道なき道を向かう。前に行って懲りたはずのコースをいつの間にまた選んで進んでいく。これらは自らの人生の方向を自分で選ばずに自分の中のプリセットされたカーナビのナビゲーションに任せた結果だ。世の中にはどうしてこんな道を選んだのか、と首を傾げたくなるような言動をとる人が少なからずいたりするものだが、彼らは単にカーナビのプリセットされた設定にただ従っただけに過ぎなかったりするかもしれないのだ。最近はその向かう方向がおいおいと言いたくなるような向きだったりすることもままあるようではあるが。

例えば最近では、某男性俳優の不倫騒ぎとか。(大事なことだから二度言いました)

あれなんか本当に「あーあ」なんだけど、四柱推命の命式を出して読んでみるとなるべくしてなっていることがわかる。これはまさにカーナビのプリセットにやられたクチだ。彼がもし自分の車のスペック表と、カーナビのプリセットを事前にわかっていたら、こんなコースは選ばなかったかもしれない。もちろん、結果論でしかないわけだけど。

一方で車のスペック表の関係でどうしても叶わない、あるいは叶えることが難しいということももちろん、ある。それでもその道を選ぶ選択もあるし、大変ならそのコースを避けることもできる。

占いには(ちゃんとやれば)そんな可能性があるから、なんだかんだでやめられない。できれば自分で勉強して自分で占ってみることをお勧めする。人に頼ると時としてロクなことにならないから。

いわゆる占い師にもいろんな人がいるからだ。




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