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宿命と運命(1)

間をあけながらこれまでも似たようなタイトルでこんな内容を書いたりしていた。

俗にいう『占い』を勉強し始めてかれこれ20年以上になる。といってもその間にいろんなものに目移りもしてきたから、ずっとかかりきりだったわけでもない。

それでもその間、ずっと外せない自分の枠組みというのがあったと思う。それがここでいう『宿命』に近いものだと今では思っているが、そう思えるようになったのはそんなに昔のことではない。

世の中にはいろんな出来事で溢れかえっている。今だったら、東京オリンピックとか、コロナウイルスの流行とか、芸能ネタが好きな人なら芸能人の不倫騒動なんかもホットな話題かもしれない。

占いを語る上でよく言われるのが、「その出来事が起きるのはあらかじめ決まったことだったのか」ということだと思う。人により意見は様々だと思うが、個人的にはそういうものもあるが、そうでないのもあると思っている。あらかじめその人の一挙手一投足が決まっているとは思っていない。

これまでもよく使ってきた例えだが、個人的には宿命とは車のスペック表みたいなものだと思っている。この車は街乗りに向いている、あの車はレース用、その車はオフロード向き、そんな感じで決まっているイメージだ。ただ車自体はどんなところでも走れるから、レース用の車でオフロードを走ってもいい。ただ乗りこなすにはちょっと慣れが必要になるかもしれないけどね、と言ったところだ。

なので、本来の仕様と違う環境でやっていこうとするとなかなかチャレンジな毎日が待っている、ということになる。日本の社会は多少変わってきているとはいえ、かくあるべきが強い社会だから、スペック的にその枠組みと異なった者にはなんともしんどい世界だったりする。そういうところで苦労している人は少なくないと思う。

こういった自分の宿命(スペック)を知る占いは専門用語では『命』の占いと言い、自分の生年月日から知ることが出来る。生年月日の占いというと、昔から同じ生年月日の人は同じ運命をたどるのか、という議論がなされるが、残念でした、おじさんはまだ運命の話はしていません!

同じスペックの車だってだけで同じ場所を走るわけでも、同じ目的で車に乗るわけではありませんからね。

というわけで長くなったので次に続きます。

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