あれからぼくたちは / 冬の風のにおいがした

急に寒くなった。というか、また一段寒くなって冬に近づいた。いまが秋としてはちょうどよいぐらいの気候なのかもしれない。今週が紅葉の見頃ラストチャンスと言われてるし、ラストチャンスであり最初のチャンスなのだろうし。


「去年のこの頃もこのぐらいの温度だったっけ?」と聞くと「さあ、、よく覚えてないけど」とのこと。

自分としてもよく覚えてないけどこのぐらいの時期にはまだこたつ布団を出してなかったような気がする。いや、ようやく出したところだったか。客人を迎えて一緒に入ったように思うし。そして紅葉を見に新宿御苑や鎌倉にいった。


今年も鎌倉に紅葉を見に行こうかと思うも、こないだいったしそこまですることもないかなあ、とも思う。共連れならいってもいいかもだけど。「イベント」ってかんじで。ひとりだと近場の紅葉の名所的なところにいってればそれでいいようにも思える。桜の季節と同じく。あるいはあじさいと同じく。けっきょく寺社や公園のそれがもっとも手頃できれいにできてる。

それでも近場だけでも4箇所ぐらいは見ておきたいところがあるのでけっこう忙しいのだけど。




帰属の → 貴族の



この日記だけみててはてな界隈通じてない人にはなんのこっちゃわかりにくいだろうけど(個人名関連のとこは)、面倒なのでこのままにしとく。個人的な日記だし。


てか、ブログにしても日記にしてもなるべくネット上のああいうどうでもいいいさかいに巻き込まれたくない / ネタにしても不毛だとおもってるので直リンしたり固有名書いたりして辿られないようにする。


なので、固有名書いてあるとこははずして一般化に通じるとこだけ抜き出して日記的に言語化に止めようかと思ったけど、流れ的に固有名なとこも含んでないとわかりにくかったので。。


簡単には、シロクマさんていうはてな界隈で有名な精神分析医のひとがいて、そのひとがけっこうむかしから精神分析医という立場からはてなのひとにマウントしていくのだけど、そこでマウントされた新世代のひとたちが権威化したシロクマさんをジャイアントキリングしてワッショイヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノワッショイて感じの。

てか、ジャイアントキリングのとこは彼らのネット上での付き合いにおける添え物、恋(以前の恋的なもの)のダシ的なものとして利用されてるだけぽい。

その際、シロクマさんというひとが承認欲求というバズワードを使うのだけど、その元となるモデルがマズローの欲求5段階説というわれるもので、心理学的には「それどうなの?」とされてるもの。「それどうなの?」の理由はすべてのひとが「金とか物欲とか満足したらいい人になってひとからの承認を得たいと思うようになる」わけでもないだろて感じだから。その理由は上記のツイートな感じ。つまり、そのモデルだと前提としておそらく近代的な確固たる自我が想定されていたけど、そういうものはほんとにあるのか? / 昨今は特に崩れてきてるだろそれ?、てことだから。

社会学辺りだと「コンサマトリーな消費 ← 車とか家とかのステータス的な消費から」とかで焦点される辺り。まあけっきょく「I がなくて me ばっかだね」てことに。そういう意味では特に現代的な現象でもないのだろうけど。現象自体は現代的でもないけど、速度が早まってるとか、あるいは、チャネルが多層的になってるとかはあるのかもしれない。ネット人格とか、LINE人格とか、友達とか付き合いとか場に応じて演じる違う自分。

そこでは他人の要求に応えて自分が形成されている。


それ自体は哲学的には「確固たる自己はない、<私>は<他者>によって形成されていく」て間主観性だかなんだかの話で既出ではあるんだけど。


既出案件ではあるけどいろいろ要素が加わって早くなってるのかなあ、てのはある。




配送の件は自分的には違和感 / もうちょっと詳しく語れるけど、あまりういうとあれなのでやめとく。自分的なお勉強としては「仁義なき宅配」と同著者によるAmazonに関する本読んどきたい。




「急に寒くなった」「秋めいた」のを視覚的に感じたのは風でけっこうな量の葉が飛ばされてるのをみたときだった。桜吹雪のように

そのとき「冬の風の匂いがした」という言葉が思い出された。



http://www.kasi-time.com/item-14161.html


自分的にはスガシカオより川村結花で思い出される。


先日、スガさんが出てる回のプロフェッショナル仕事の流儀みてたら「あの曲は予備校時代の曲なんですよ。ぼくの曲の殆どは実体験からできてる」って言っていた。


自分的にも「夜空ノムコウ」にはいくつか思い出される場面があって、1995年あたりがそれにあたる。


そこで感傷的に自己愛してるほどの余裕もないのでその回路は切断するのだけど、こういうわりとベタな歌詞、ベタな感情のヨスガみたいなものがけっこう胸に残るものだなあとかあらためておもったりする。この歌詞はスガシカオ的にも5分ぐらいで書き上げたとかいうものだったうろ覚え。逆にいうと、そういう歌詞のほうが一般的な心性をするっと代表したりもするのだろうけど。サザンの曲で「あまり力入れてないもののほうが売れる」みたいなアレのように。





.|m_um_u|note https://note.mu/m_um_u/n/nda037bbb06d6

(↑は「冬の風のにおいを感じた」を表したもの。Gabriel Pacheco あたりが冬の女王) 

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