「家父長制と資本制」雑感

読みつつびみょーに残尿感がありつつ、まあだいたいわかったようにおもったのでエントリ、、っていうか、エントリするほどでもないけどメモっとこうとおもったので。てか、きちんとエントリするほどでもなく、ついったでつぶやいた内容を反映させるのはnoteのほうがやりやすいのでこっちに。noteは検索性はないのであとでblogにまとめることにする。






下は本書の内容とは直接関係せずTLの「子育て基本女性の情況がよくなるには男性の労働環境の改善が必要」という話を受けて。





本書をそれなりに通読しつつずーっと気になってたのは資本制の内容・特徴がはっきりと示されず、それがために家父長制とどのように必然的結びつきになるのかがわかりにくい、ということだった。

なんとなく提示されていたのは、「資本制は、ゲマインシャフトの労働者から私有財産を奪い都市化・近代化したことによって階級分化がはっきりとし、その中での専門分化の影響が私領域である家庭にも及び、女性は家庭に閉じ込められ『産む機械』的な再生産装置にされてしまった」、ぐらい。

「性別役割分担がはっきりしていなかった近代以前は女性も子供も働いていた(家内制労働だった)、のに、近代化によって『男は外に稼ぎに行き、女は産み・育て・料理し、家庭を守る』という性別役割分担がはっきりとしてしまった」というのはわかるのだけど、それが資本制とどのように関係するのかワカラナイ。。というか、マルクス主義的フェミニズムにおいてはそれは自明の問題として話が流れていってる印象だった。すなわち、「資本制は分業・専門職化を進ませ無産階級化させた労働者をつかった労働集約によって個々の労働者の労働の実感や私有財産への希望を希薄化させ、階級分化をすすめる」→「その影響が家庭にも(なので『女性』という階級は『労働者』という階級の更にしたに設定されていった)」、みたいなの。



それはたぶん資本制の問題というか、、都市化とか近代化の問題といったほうがいいととこと資本制ていうのがないまぜになってるんじゃまいかとおもったのだけど。。たとえば、資本主義経済以外の近代社会・経済においても労働集約とか、性別役割分業はあっただろうし。


なので、「資本制がどうして家父長制と必然的に結合し(性別役割分業を)強化していくの?」、というのを主として見ていたのだけどこの本が最初にまとめられた時の第一論文ではその部分は曖昧に流されていた。


その後にこの本(論文)に対する批判に応えるという形で上記してきたような近代化と無産労働者 → 労働者階級が誕生 → その下にさらに『女性』という階層が、みたいなのが説明されていたのだけど、ここも『近代化』の説明であって資本制の説明ではないように思った。


あと、家族型の類型も一つしか念頭にないみたい。



まあ、昔の本だから仕方ないのだろうし、当時のインパクトと意義で考えるべきなのだろうけど。


そうすると「近代化によって労働者階級が生まれ、さらにそのしたに『女性』という階層がうまれていった(性別役割分業が生まれていった)」当たりを表した・まとめたものとして意義があった、として見るのが妥当だろうか。



あとはフェミニズム界隈の学説のまとめぽかったけど、正直ソレはあまり興味ないので読み飛ばした。



上記のなかで唯物的というか、地味に歴史的事実として有用なのは、「近代化によって労働者階級が生まれ、さらにそのしたに『女性』という階層がうまれていった(性別役割分業が生まれていった)」、の当たりなのだろうし、それは女性の問題というか階級、あるいは労働問題と繋がるもののように思う。

なので、就労既婚女性の問題も労働制度の改善が地味に関わってくるし。

社会における女性への意識改革、あるいは、女性自身の意識の変化、もけっきょくは高度成長の流れで女性が社会進出していったことで変わっていったわけだし。


そういうのを考えると、フェミニズムの問題で女性固有の問題としてうんたら言うよりも労働問題としてやっていったほうが雑味がなくていいのかなあとか思ったりする。フェミニズム-女性固有の問題としてやっていくと自己言及的になってけっきょくは「女性以外の人にはわからないんですよ!」みたいな結論になりがちなので。事態の進展は労働・就労条件の改善によって進んでるわけだし。



そういうわけで自分としてはこの部分の地味なギロンのお勉強としては労働、あるいは、家族に関わる歴史・制度などについて学んでいくことかなあとか思ってる。




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