「苦海浄土」ひとくぎり / 藤棚の季節の終わる前に

早めに帰ったので風呂って読んでいた「苦海浄土」にまたズッポリとやられる。奥歯を噛み締めたくなるような悔しさと、涙が出そうになるような気持ちをぢっと耐えつつ、その静謐な怒りや悲しみ、諦観のような文体に身を任せる。聴いてるプレイリストが Jeremy Summerly のミサ曲なせいもあるのだろうけど。受難とか救いとか。


そういう気持ちを振り払うかのように一区切り読み終わったところでガールズ百景したり。きょうの百景はストックのなかからそれでもおとなしめなものをいまの気分にあわせて選んだつもりだったけど

やはり作りおきなものなのでピンポイントな感じでもない。


「こういうものをしたくなるのは俗なきもち・世界に戻ることで浸った気持ちを相対化しようとしてる・精進落としみたいなものなのだろうか?」とか内省しつつ、とくにそこまでナイーヴなものでもないのだろうとピンとこなかった気持ちをInstagramからのコラージュで埋めようとする。

さすがにガールズよりは気持ちの代弁的表現・カタルシスにはなっているけれど「まあまあ」な感じ。



「苦海浄土」について。読み終わったり、あるいはぜんぶ読む前でも一区切りことになんかいいたい気持ちになるのだけど、これを生なかな言葉で感想するのもどうかなとおもったり。あるいは、批評的な視点や言葉で斜めに見るのも違和感がある。

単に味わい、自らのなかに沈殿させていけば良いのかもしれない。貧乏臭くいちいちアウトプットしなくても。特に「伝えなきゃ」でもなくこれほどの本なら知ってるひとは知ってるのだろうし、知らない人・関心がない人はそのままだろう。


全体的にヒロシマの被爆体験の話をみるような懐かしい温度、空気感がある。

外部から見るとフィクションにおもえるような想像を絶する悲惨。そういう言葉でさえ通り一遍等の形式的なもの、上っ面なものに思えてしまうような。そういう重い事実と生と死。

だからなかなか言葉に表しにくい。


フィクションに思えるといえばこの本自体がフィクション、SFにおもえるような構成もしている。「アルジャーノンに花束を」の「けーかほうこく(経過報告)」を想わせるような水俣病に関する医学的な、あるいは裁判資料的な記述。それが各被害者・罹患者のひとりがたり的な語りのルポルタージュの間にモンタージュされる。


ちょうど写真における白黒モノトーンとカラーの使い分けのように。その2つが交じり合い、別々の文体・語り方で表されていることでメリハリとなったリズムを生み出している。彼らの生が生きながらにして神話となっているような。あるいは、もうすでにそこにない生を慈しみ、惜しむかのようなまなざしや感情が全体を覆っている。


精進落としといえばこれを一区切り的に読み終わったところでなんかもうちょっとふつーに面白いノンフィクションドキュメンタリー的なものをやはり読みたいなあとかおもったり。まあ最相葉月さんのものをまた読もうと思うのだけど、文化社会学系でまたちょっと読み進めたいと思いつつ吉見俊哉の近刊を図書館予約したほうがいいのかな人気だと予約しても時間かかるだろうしということで様子を見たら図書館には入ってなかった。

仕方がないので都市のドラマトゥルギーでも読むか読んでなかったしと見ていると「この本を買った人はこんな本も」で北田暁大さんのもの吉見俊哉さんによる都市論まとめおすすめ本なんかを見かけて次のよむよむ候補とする。

ここで、それにしても自分はなぜいまごろ都市論を読みたいと思ったのかな?、と改めて思う。


考えてみると建築・建物論からの派生で都市論もいいかなと思ったようだった。あるいは逆に、都市論的なものを理解してなかったな / 文化社会学的な都市論をちょこちょこ見ていくのも良いかもな食わず嫌いしてないで、ということから建築論なんかも見るようになったのかもしれない。

都市論というジャンルはよくわからないもので、学術的には特に基本系もなく現象を取り扱ってるだけの応用編、であり、それも「都市論と言いつつ扱ってるのは主に東京じゃん」というもので若いころ、地方在住の自分としてはイケスカナイものだったのだけど。いまはこちらに住むようになってなんとなく興味をもつようになってる。

それは自分もこちらのイケスカナイ人種になったからかもだけど都心の六本木高層ビルとかでハイパーリアルで暮らしてるわけでもないので特にそういうことでもないだろう。単に、こちらで暮らすようになって、あるいは地味に生活的な視点や意味、土地勘みたいなのが気になるようになってこの都市、東京を中心とした2000万都市圏の「意味」をもうちょっと知りたく思うようになった。そこで暮らしてきた人たちが紡ぎ受け継いできた「意味」、「意味」をともなった文脈や歴史のようなものを。


そんなこんなで都市論を読んでいく時には建築論もまた並行して読んでいくことになるだろうけど、自分的にはそのまえに鎌倉についてもうちょっと知っていきたいしそろそろ鎌倉散歩にまたいっておくべきなのだろう。

藤棚の季節が終わるまえに。






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