彼ノ花

所用で川崎駅まで行ったので予定通り、帰りにあの事件の場所に行ってみた。



川崎駅併設のショッピングセンター(SC)ラゾーナ川崎から向かうと府中街道沿いにイトーヨーカドーとヤマダ電機を目印とするそこは典型的な郊外のちょっとしたSCな雰囲気。川崎大師と川崎駅の中間に位置するので府中街道のロードサイドといった印象がある。あるいは川崎競馬場のそば。

「ラゾーナが近くにあるのにこんなところにSC的なものを建てなくても…」的な、そういう場所。つまりラゾーナ側が川崎駅の光-祝祭ならこちらは闇、、というかふつーの生活という感じ。


目的地に向かいながら「自分は以前ここに来たことがある」と気づいた。自転車で海まで行きたくてけっこうな距離をこいで、最終的にこのあたりで川を見ているおっさんに海はまであとどのくらいか?と聞いたら「まだけっこうある。川崎大師なら近いよ」と答えられたのでけっきょく川崎大師を詣でて帰った。そしてかなまらまつりで有名な神社までも近い。


ヤマダ電機と小学校の間の路地を目的地に進むと公園があって、その様子にニュースでよくみた公園はこれなんだなと気づいた。ヤマダ電機の裏の公園というかんじ。

そこから目的地を目指す路地には生コン業者だか土砂の回収業者だかが路地の両脇を占めている。

事件の印象という結果論もあるだろうけどコンクリで囲まれた殺風景な道は刑が定まった囚人が歩くグリーンマイル的な印象がある。

「あのコは、ここを連れられていくときにどういったことを思っていただろうか」と少し想う。


それとは反対に「それはこういった悲惨な事件から逆算した感傷と印象であり、ふだんの生活ではたんに『殺風景な道』というだけだったのかもしれない。あのコもここをとおるときに自分の結末を知っていたわけではないし。。だいいちこういうことを連想されること自体がこの会社を含めて地元に生きる人達にとって失礼だろう」とか。


そんなことを想いつつ目的地と思われるところまで着くとまずはじめに大きな水門が見えた。「ああ、、これがあの水門かあ、、」と思いしばし見上げる。ここはあの事件の前はそういう場所だったので。


この港町駅、その昔レコード会社「日本コロムビア川崎工場」があった土地で、その名残りとして美空ひばりの「港町十三番地」をテーマにしたオブジェや歌碑があったり、ホームの壁には音符が描かれていたりする。
大正末期から昭和初期に掛けて、工業化の一途を辿る当時の川崎市が運河を開削する計画を立て、運河と多摩川を仕切る水門として昭和3(1928)年に竣工したというのが経緯である。
しかし運河の計画は戦時中の戦況悪化を理由に、昭和18(1943)年に計画がストップ、部分的に出来ていた運河も、この付近の河口部の船溜まりを除いて埋め立てられてしまった。だが現在まで砂利運搬船の出入りの為に水門はきちんと稼働中。

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自分の印象としては「鉄腕ダッシュでよく見る干潟みたいだ」という感じだった。

事件のあった河川敷はその左側に出島のように、あるいは岬のようにすこし川に向かって飛び出して在る。

茶色いのはネコ。


おそらくはただの野っ原だったそこにまだ鮮やかな花束と枯れた花束のインスタレーションが異様する。

花束、バスケットボール、お焼香は知っていたけど地蔵や風車もある。

地蔵と遺影はもうひとつある。

キティちゃんほかのぬいぐるみが飾られた塔は卒塔婆のようなものになっている。キッチュな卒塔婆。

いくつか手紙のようなものも見られる。故人にあてて「わたしたち大人が守ってあげれなくてごめんね。悪い奴はわたしたちがぜったい裁くから」というもの。ここで一期一会した人に向かっての手紙のようなもの。手紙はさすがに野次馬的なので直接は撮らなかった。


場所の印象としては「思ったより海が近い。海を感じる」というもの。心なしか潮の香りもするし、斜め右の対岸は羽田ということで世界への出口的な印象もある。狭いグリーンマイルを通って来たあとに開けた出口という感じ。


そういった場所なので、ここはおそらく子供達のちょっとしたお気に入りの場所になりえていたのかもしれない。小学校からも近いし。学校帰りに川を眺めながら遊ぶような。公園の人工的に作られたザラザラの地面よりもこっちのほうが心地よいと想う。すくなくとも自分には。

お気に入りの快適な場所、ということでいつの間にかいわゆる不良グループたちのたまり場的なものにもなっていたのかもしれない。

いずれにしても、あんな事件があったいま、ここは以前のような場所ではなく聖化されてしまった。慰霊の場所として。

あのコのことを想った文章で「せめて、あのコのたましいが海までたどり着けますように」と祈った。それについてはこの場所ならば十分に果たせるのではないかと思えた。死者のたましいが存在するかどうかわからないし、あったとしても場所にしばられるものなのかなとも思うけど。


季節がら草原には草原らしい花がよく咲いていた。自分にはそれで十分ではないかと思えたけど、大衆的な思いというか、遺された人たちの思い、彼-あの事件を通して自分のなかのなにかを想うことはわりとふつーのことなのだろうし。自分もこうやってこの場所に来てるわけだし。

フジテレビのドキュメンタリー番組「ザ・ノンフィクション」でそういう回があってそれを見た影響も少しあったのかもしれない。あの事件について直接追うのではなく、あの事件をみてこの場所に花束を持ってくる人たちの多さから、悼む人々がなにを思い、彼らがこの事件を通して自身の物語―人生のドラマをどのように賭けていっているのかを追うもの。

特に印象的だったのはメーカーのエリートサラリーマンだったけど商品トラブルでお詫び行脚をしているうちに心が削られてしまって妻ともども自閉し、生活保護を受けながら暮らしている男性。エリートサラリーマン時代だったころの華やかで美男美女な様子から生活の困窮によってこのように人の容貌は変わっていくものなのだなと印象した。おそらく自律神経とかもやられてしまっていて話し方もたどたどしくなっていた。対人恐怖的なものもあったのかもしれない。

それでもこの男性は電車を乗り継いでこの場所にきてこの少年に対してあらたな一歩を踏み出すことを約束していた。

「あんなに無念で、なにもできなくて死んだコ、無残に殺されたコがいるのに、自分がいつまでもこんな状態では申し訳ないから」

そういったことを言っていたようにおもう。


あるいは自分もそういった物語に少し自分を重ねたのかもしれない。



すこし彼のために踊りたくなった / 以前だったら踊っていただろうけどさすがに人がけっこういたのでやめた。人目が恥ずかしいから、というよりは、彼らの心情を害することになるかもなと思って。特にダンサーでもないと分かるような自分がよくわからない踊りをいきなり踊り出したら、彼らが感情移入してる物語の雰囲気を壊すだろうし。田中泯ならやってたかもだけど。というか、そういうのは上流でもう済ませていたし。



詣でるひとたちによって「ここが花束の場所 - 慰霊の場所」と半ば決められる以前に置かれたと思われる枯れた花束を見て。彼らの思いの欺瞞やフィクションをすこしおもったけど、さっきの理由でソレハソレとしつつ風を感じて川の波打ち音を聞き、海のほうを見る。ここからのほうがこの場所の草っ原感はわかりやすい。

こうやって見ると自分の生まれ育った川の水門と野っ原も思わせる。




何年かすればこの場所の聖化/異化も解かれてふつーの遊び場所としてまた解放されるのだろうか。そのときにはこの場所の物語は忘れられているのか、あるいは、ふだんは忘れてるけど言われれば思い出すぐらいのものとなっているのか。


1,2年したらまたこの場所を訪れてみよう。








「感傷に浸って事件の真実、あるいはこの場所やこの場所をめぐる人々の真実から目を背けるのは却って失礼なことだ」

そんなことを想いつつもこの場所を離れるときになんどか泣きそうになって、そのたびに奥歯を噛み締めてこらえた。


気分をそらすのも兼ねて秦基博なんかにtuneしてたのが却っていけなかったのかもしれない。


















彼ノ花|m_um_u|note https://note.mu/m_um_u/n/n26c03566f403


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