嫉妬、羨望、感謝感激雨あられ

ぼんやりと明日からの休日予定に合わせて返却本の順番から読書量を算定したり、返却期日の延期をしたりしていたのだけどフロムの「自由からの逃走」が予約入ってて(´・ω`・)お?てなった。予約入るなら「セラピスト」のほうが先だと思ってたけど。まあ結果的に良いのだけど「セラピスト」のエントリまだ出来てないし、フロムのはけっこうどこでもあるのでまたすぐ借りれるだろうし。


きょうは朝からなんか「羨望」とか「嫉妬」みたいなのが気になる日だった。そういうのには敏感なのでふだんから他人のそういう心理機構には敏いのだけど、きょうは朝からそういうことをついったで触れていて、そしたらバイト先でも別件でそういうのが発生してて、帰ってからも別件でそういうことをおもったりした。



※該当ついーと消えてるので引用補足

IS仏英露米が本気で戦争を始め、日本も有志連合に名を連ねる今、思考停止せずに日本の安全保障を考えねばと思い、小林よしのり氏、自衛隊を守る会の加藤氏、二等陸佐で映画監督の佐野氏の討論会を『レストレポ前哨基地』の上映後に企画した。



クラインによると羨望と嫉妬は正確には違うらしく、さらに関係する感情として貪欲がある、ということらしい。



(「精神分析の名著」より引用 一部改変)

羨望は「対象が良いものであるからこそ」それを攻撃し、侵入し、破壊する空想である。


しかし、これは他の形の攻撃や憎しみとは区別しなくてはならない。たとえば、けちくさい態度で欲求不満を引き起こす対象に憎しみを向けるとか、良い対象を独占するライバルへの攻撃性とかいうようなものではない。


「羨望は、自分以外の人がなにか望ましい物をわがものとしていて、それを楽しんでいることへの怒りの感情であり―羨望による衝動は、それを奪い取るか、損なってしまうことにある。さらに羨望は、ただ一人の人物に対する関係であって、初期の母親への独占的な関係にまで遡りうるものである」


嫉妬は「羨望に基づいているが、少なくともふたりの人物との関係を含んだものであり、主に愛情に関係していて、当然自分のものだと感じていた愛情が、競争者に奪い去られたか、奪い去られる危険があると感じることにある」


羨望が卑しい激情であり、最悪の情念を伴っているのに対して、嫉妬には、たとえそれが殺人に至ってもそこには不実な人への愛情が含まれていると感じられる。


貪欲は「その人が必要とする以上のもの、相手も与えることができ、与えようと思っている以上のものを望む、激しい、飽くことを知らぬ羨望である」


(引用終わり)


羨望は(自分にはない/望めない)他人の幸せがけまらしいという感情で、嫉妬の場合はそこにもうちょっと複数の人が関係し、たんにけまらしいというよりは愛情という正の感情の反動であるところに兆しがある。エディプス・コンプレックスもこの辺に含まれるのか。

それらの感情は判然とわけられるものではなく渾然としていて、そういった妬みやそのみのようなものが自身の内部で合理化、正当化され膨らんでいくとカオナシ化するのだろう。すなわち飽くことのない渇望ー貪欲。





26巻末の「9年描いて初めて書けるセリフがあったことに気づく」というのはこれだろう。これをメルクマールとして、あるいはその後の一乗寺下り松の決闘をつうじて、「バガボンド」の武蔵の殺気というか、我欲のようなものは相対化されて見つめられるようになり、だんだんと鎮められていった。そして、作品の雰囲気もそういったことに対する内省を含んだものになっていった。



昼にかんじたバイト先の人間関係、というか、バイト先の職場の男性たちのこの辺りの感情の統制の幼さは羨望と嫉妬に腑分けされる。具体的には「自分より楽をしている人、良い思いをしてる人がユルセナイ・キニイラナイ」的なの。他人が楽をしていようが、他人の楽を減らせようが、それによって自分の楽が増えるわけでもないのにそういう感情を持つ。もたざるを得なくなる。あるいは、それを反省することがない。そして、結果的にその感情に基づいたエゴの押し通しが、自分さえ良ければ良い、ということの積層からの共有地の悲劇を産む。

そういった心が幼いものであることへの気づきもなく自身を大人だと思っている。典型的な旧来の男性原理に基づいた幼さだなと思いつつ、こういうひとたちには触るとめんどーだからつっこまないようにしてる。それはバイト先の女性たちも似たような感じで、基本的に放っている。こういうケースはだいたいにおいて女性のほうが内省や統制が優れてるように感じるのだけど、まあ女性でもそういうのがうまくいってないひとたちはいるので安易にはわけられないか。


今回のテロリストたちの感情の一端がこういうものに基づいているとしたら、彼らの普段の生活の貧困からの資本主義国の人々のお気楽な娯楽・消費・楽しみに対する嫉妬・けまらしさが主なものなのだろう。

それらが貪欲に膨れ上がっていった時、破壊の衝動と癒着・正当化されて歯止めが効かなくなる。



自分が少し触れただけのムスリムの心というのはそれとは対極なもので、なのでムスリムのひとたちもISのアレは「ムスリム的にはアリエナイ」としていた。


彼らの攻撃や破壊への衝動はほかにもフロイトの「快原理の彼岸」にあるエス - タナトスな破壊衝動との関連もあるのかもしれない。ライヒなんかも絡めた破壊・戦争への意志とリビドーと。


でも、そんな人間存在のどうしようもない宿痾的なものというよりは単に精神的に幼いだけではないかと想ったりもする。




精神分析のこういった考えですべてが判別できるわけではなく、あくまで「こういうパースで見ると物事がこういう切り取られ方をされて一面的にはわかりやすくなるよ」程度のもののひとつだとおもうし、精神分析の各学派の見方・考え方もTPOとか、あるいは読む人・解釈する人によって向き不向きがあるようなのだけど、


自分的にはクラインのこのあたりは合いそうなのでそのうち掘っていきたい。


感覚としては小説なんかで自分の掘れてない・言語化←内省の行き届いてない心理の機微をうまく言い表されて得心するような。そういうもの。


なので、こういうのは小説とか文学と通じる、あるいは小説とか文学のほうがある面優れているように思っていたのだけど、逆もまた真的なところもあるのかもしれない。


あるいは、それはクライン派とかが職人技的な内省を含むからなのかも。



セラピストになるひとのタイプにもいろいろあるみたいで、



というのだけど、


自分的には共感性の高い部類になるのかなとおもう。あるいは感情移入が優れてる / 他人の心が読める、的な。そして、そういう系の人は心理学的にはクライン派みたいな職人技系に属していくと良いのかなあとか。


そういう能力は小説家には必須みたいなことは言うのだけど、それも小説の種類によって違うのかな、とも。



まあ自分的には小説家でもないしセラピストでもなくどっちも特に目指そうとも思わないのだけど、彼らのつかう道具立てが自分の持って生まれた者に合う - 伸ばせるようなものならば、そのあたりを読み進めインストールを進めていくのも良いのだろう。


まあそもそも、未だ概説読んだ程度でなにゆってんの?、てレベルだけど(*ノω・*)テヘ


















金曜の夜、あなたたちは私にとってかけがえのない存在であり、人生の最愛の人である、私の息子の母親の命を奪ったが、あなたたちは私の憎しみを得ることはできない。あなたたちが誰なのかは知らないし、知りたくもないが、あなたたちの魂が死んでいることはわかる。あなたたちが盲信的にその名の下に殺戮を行っている神が、人間をその姿に似せて作ったのだとしたら、私の妻の体の中の銃弾のひとつひとつが彼の心の傷となるだろう。
だから、私はあなたたちに憎しみという贈り物をしない。もっともあなたたちはそのことを望んだのだろうが、憎しみに対して怒りで応えることは、今のあなたたちを作り上げた無知に屈することを意味する。あなたたちは私が恐怖におののき、同じ街に住む人々に疑いの目を向け、安全のために自由を差し出すことを望んでいるのだろう。あなたたちの負けだ。何度やっても同じだ。
私は今朝、彼女に会った。ようやく、何日も幾夜も待った後に。彼女はその金曜の夜に家を出た時と同じように美しかった。12年以上も前に狂うように恋に落ちた時と同じように美しかった。もちろん、私は悲しみに打ちひしがれている。あなたたちのこの小さな勝利は認めるが、それも長くは続かない。彼女はこれからも毎日私たちと一緒にいるし、私たちはあなたたちが永遠に入ることのできない自由な魂の楽園で再会するだろう。
私と息子はたった二人になったが、それでも世界の全ての軍隊よりも強い。それに私はこれ以上、あなたたちに費やす時間はない。そろそろ昼寝から起きてくるメルヴィルのところに行かないといけない。彼はまだ17ヶ月で、これからいつものようにおやつを食べて、いつものように一緒に遊びに行く。この小さな男の子はこれからの一生の間、自らが幸せで自由でいることによって、あなたたちに立ち向かうだろう。なぜなら、そう、あなたたちは彼の憎しみを得ることもできないからだ。


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