ゲージツ的なものに触れ続けることとミラーニューロン

昨日の寒波の影響が未だ残っていて寒い朝、今日中に返すDVDの残りを見つつぶくまとたんぶらのチェック。noteで書き残してたことがあったなあ、と。

昨日の日記関連で、自分は写真というものにそれほど重きをおいてない、というかそのテクニカルな部分は疑問だし、そもそもテクニックがないのでそういう部分を磨かなくて良い理由付けをしてるのかもだけど、ともかく、自分の写真をそんなにうまいもの/ヒトサマに発表するもの/作品みたいに思っていないし、それもあって「自分が気持ちよければいいかなあ」程度で表してる。

それでもけっこうこの写真を気に入ってくれてる人たちがいるみたいで、それは自分の切り出した風景とその瞬間のTPOというか気分が重なるからかな後も思うんだけど、こないだ内藤礼さんからもRTされてて(´・ω`・)お?てなった。

よく見れば加工されてる、明度とか色味をiPhoneのカメラ→写真編集ですこし演出してるというのはわかると思うんだけど、でも、上述の理由かなんかでなんとなく(・∀・)イイネ!!それてことなのかな。作品としてでもなく。


そういう写真だけどそれなりにいいと思われるのはたぶんTumblrでよさ気な写真を眺めてるうちによさ気な写真の構図がインストされたからだと思う。ミラーニューロン的なあれで。文章なんかもそういうところあるし。

そうかんがえるとTumblrも無駄ではないのかなあ。毎日地味に写真とかゲージツとかの勉強してるようなものなのだろうし。まあおっぱいとか肌色とかけっこう多いわけだけど。そういうのももう慣れて飽きてしまって、そのつぎのターンに移ってるので相対化されてるし。器なんかもたんぶらを通じてでは在っても良いものを眺めてると良いものの傾向がわかってきて惹かれてく、選べる、自分もそのようにつくろうってなるところはあるのかもしれない。

最近、自然的なものへの感性が変わった、落ち着く/写真の素材になる/他人様の自然写真をたんぶらでけっこうりぶろぐする、のもそういうところかもしれない。


自然うんたらというと「波の音を聞きにたまにビーチに行ってみるのもいいかもしれない」と先日言ったのだけれど、昨日行った渓谷のせせらぎもなかなかよかった。竹林と背の高い木に囲まれた渓谷のせせらぎ。雨の日に室内から眺めたり聞いたりする雨音も良い。

そういうものに良さを感じるようになったのも上述してきたことの影響なのかもしれない。


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