彼らのリアリティは「事件性」のマトリックスに回収される

リー・ウーファンの「余白の芸術」を読んでいて、ゲージツ家のエッセイだからとたいして期待してなかったのに反して思ったよりおもしろくてそのうちエントリしよかなとか想いつつ、それを越えて詩としてやる気を喚起されるところがあるのでちょっと欲しいなと思いAmazonマケプレの値段をみるに定価より高かったので諦め(´・ω・`)。


文脈としてはミニマルアート-モノ派の提唱実践者ということであり抽象芸術の一環になるわけだけど、ミニマルなものが思ったより自分の趣味とか感性みたいなのと似てるのだな(侘び寂び)と思ってもの派のウィキペディアみてみたら思ったより良さそうだったので借りて読んでみたらよかった。


そのなかで最近思ったことについて端的に表してる部分があったので軽く引用しとく。「視覚について」から。


美術は視覚と不可分の領域である。
ところで身体的な視覚の軽視や無視による近代自我中心の視覚主義は、必然的に作品の同一性と概念化を招く。そしてついに作品は、世界との関係的な存在性が否定されて、言語学や哲学の説明体に成り下がり、アイディアや概念の確認以外、なんら視覚の力を呼び起こさないものとなる。従ってそこでは、作品が感性的であったり曖昧で不透明である時、それは軽蔑の対象であるしかない。
もはや作品が理性と世界の同一性を表す対象である時代は過ぎた。外部性を否定する、排除と差別下の、自己の内面の再現化で世界を覆い被す帝国主義的な視覚は、解体されなければならない。私と外界が相互関係によって世界する、という立場からすれば、作品もまた差異性と非同一性の一種の関係項である。

昨日の日記で「みなさんきれいに写真を撮ることにご執心だけど、なんだかハイパーリアルみたいだ」みたいなこといったけど上記な感じ。

「きれいな桜の写真」「ただしくきれいな」「絶景」というマトリックスに囚われて、それそのものをほんとに味わってるのかな?て疑問になる。あるいはそういったマトリックスを参照しコピー→リプレゼントされる感性というか。。まあ再帰性なんだけど。

たぶん、あの写真は写真として編集してるのであそこまで絶景なかんじになってる、のだけどそれと現場で感じる空気やにおい、それらを通じた「桜を」「見る」感覚、リアリティはまた別なのだと思う。

そのリアリティはそれほどの絶景を撮ることのできない人と変わらない、あるいは、そういった絶景を撮ってなくても別の幻想や思考にtuneしてるひとのほうが濃い情報を桜に転嫁してるかもなんだけど。ああいった絶景の写真のマトリクスの中では全てがその絶景に回収されてしまう。

そして、鈍感な人たちはそれをリアルと思う。

「見てる(対象に没入し身体を通じて同化している)」のではなく「見てる(対象を通じてリンケージされる情報にtune、リンクし、その情報を参照してる)」かんじ。そういうのはグルメサイトでも同じだけど(それらを直接味わってる、のではなく、それらに対する高評価を味わい自分もその評価が「わかってる」ものとして振る舞う)。


そういったリアリズム-リアリティというのは近代における「ただしい」「客観」を通じて生み出されていったフィクションであり近代理性的である。


リー・ウーファンいうところのゲージツ、あるいは、現代美術はそれらを身体を通じて超える。身体という他者-世界-異物と自己の中間的なメディアを通じて、自らと他者の間のもの、異物を提示し、それを理性以前の感性に直接感受させ擬制に覆われていないリアリティの回路を呼び起こそうとする。


文字化するとめんどくさい話なんだけど要はクリシェ的な表現ではない「ずにゅっとしたかんじ」とか「トーンとしたかんじ」なんかを抽象を通じて表すということ。具象だとどうしても既存の形式にとらわれやすいので。


高い山や大きな波は、理性による美的構成要素である前に、直接的に身体に浸透してくる外部性であり、その規定性を越えた力が、東洋的に言えば心琴を鳴らすのである。

なので桜の舞うのを見たり、海を、波を見に行くわけだけど。


モチベが高鳴るなとおもったのはその後の絵画についての文章(コンピュータで自動化できるし写実性からいえば自動化したもののほうが高いという時代に手で絵画を描くということはどういうことか?)だけど、今回の日記には直接関係しないので割愛。


直接関係しないけどついったでも土屋さんがこんなこといってたなあ、とか


というか、別件のこちらのほうがだいじょうぶかなとおもうんだけど、ふし日記なんか見てるとこういうのぢみに気にするタイプだったようだし。

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抽象と感情移入、あるいは「美とはなにか?」について: muse-A-muse 2nd http://muse-a-muse.seesaa.net/article/414340379.html


逆遠近法 - Wikipedia http://bit.ly/1yKrgBQ

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