旅立ちの朝

暗闇のなか目が覚めてしばらくまどろみつつ「(三時半ぐらいかな?)」と思って腹(胸)の上のねこを手探る。またねことの思い出とか思う間もなくよく寝てしまったようだけど。

「(旅立ちまでの時間にそれなりに気持ちの整理をつけないといけない /  このコが完全にいなくなったあとにも、空っぽの部屋に帰ってもだいじょうぶなように。時間がないのだろ?)」

聲にしたがって時計をたしかめたら4時半でたしかに時間がない。できるだけ暗がりのうちにでないと人に会うとめんどくさそうだし。スコップもってどこいくの?って。あるいは、変な?ひとだったらあとで役所になんかいわれてひどいことされても困るし。。


しばらくねこを撫でつつ特になにも浮かんでこない。やはり毛並みがまだ気持ち良いなあ、とか、暗がりだと瞳がこわくなってるのもみえないのでふつうに腹の上で寝てるみたいだなあ、とか。まあこういう体勢で腹の上に横になると内蔵圧迫かなんかで窮屈みたいだからほんとはこの体勢はあり得ないのだろうけど。


お腹や腹の毛並みは気持ち良い / 自分の体温がうつったのか冷たくもない、のでまだだいじょうぶなんじゃないかなあと錯覚する。そして手や足の肉球を触るとつめたい。



ねこを腹の上に載せてるとすぐに寝てしまうのは毛皮があったかいからかなあ。。毛皮として残す、とか阿呆なことを想う。

阿呆なことを思ってるよりももっと別れに有意義なことを想わないと、と思考の方向を変えようとする。でも、思い出を想おうとしても日記でしっかり表したのでけっこうマンゾクぽい。同じことが繰り返される。

そういえば朝にこうやって起きたのに気づくとニャーニャーいってくるのだったな。それまでは起こさないようにじっとして気を使っていて、とかいまからまた思い出す。このコはわがまま娘ではあったけどそういう気をつかうコだったので。

なにかでしょげてるときにしずかに顔を舐めてくれたり。たんにタイミングが合ってただけなのかもしれないけど。


深呼吸をする。それにともなって腹に載ったねこの体重も染み込んでくるように感じる。このままねこをとりこんでいけないかと想う。こうやって深呼吸をするたびに。肉体ではなくなにかたましいとか肉体の外側にあるようなものとか。

そう想って深呼吸をなんかいもする。



それなりに満足した / そろそろ5時で出発しないと、ということで明かりを灯す。起き上がるので隣に横たえたねこの顔を見る。

硬直の関係で自分の身体に接していたほうの顔の眼はちいさくつぶれているのだけどそれが昨日よりもこわく感じられない。なんだかすこし微笑んでるように見える。諦めつつ微笑んでるような。まあこちらの勝手な思いなのだろうけど。



着替えて出かける。きょうも野崎良太をかけつつ。スコップとランタンと線香とハンドライターと、パタパタももっていってやろう。あからさまかもしれないけど、そしてあの場所だと川の氾濫とかで流されるかもだけどこのぐらいは良いのではないか?


スコップを携えてまだ薄暗がりの朝に旅立つ。


横道にまだ夜の灯りが残っていて提灯行列のような…。あるいはイーハトーヴォ - イバラードの夜の商店街のような。トワイライトの世界にこれからうちのねこも入れてもらえるのだろうか?と少し想う。


川の道を歩き始める。だんだんと日が昇ってきていてアフリカの夜

これから少しずつ日本の方に朝がやってくる。


目的の場所までしばらく歩く。いつもは走って行く場所だからすぐだけど歩くとそれなりに時間がかかる。さっきまで背中に感じていたように想っていたねこの体温のようなものがだんだんと感じられないぐらいに自分の体温が上がっていく。道行くひとたちのいつも様子、ジョギングやウォーキングのひとびとを傍目にゆっくりと歩く。一歩一歩、すこしずつ。


20分かけて昨日定めていた目的の場所にたどり着いた。5時20分。急がないと夜が明ける。


木のそばだと根が張っていて掘れないかな?とおもっていたけど案外に掘れる。スコップに足をかけてどんどん掘り進む。「1mぐらい掘ると良いんだけど。。」と言われていたけど、、土もやわらかいのでけっこう行けそう。それでもしんどい。がんばって掘り進む。急がないと朝が来る前に。

後ろに朝を感じつつだいたい満足できる深さまで掘り進んだ。腕の長さぐらい。


さいごにねこをきれいに拭って、もう一度お別れ的に顔をくっつける。おでこの焦げたひだまりのにおいはもうしないけど、お腹の毛の気持ちよさ。なんだかよいにおいもするような気持ちよさ。耳の端や鼻、顎や首などこのコのきもちよがるところをまた撫でたりもんだりする。


さあ、もういかないと

ヲクサンにもらった舟にくるんでねこを旅立たせる


五色の舟


土をかけるのがためらわれてスコップをくるんでいた大きめのビニール袋を上からかけようとするも「(それだとこの木や、これからお仲間になろうとするこのコにも悪い影響が出るかも)」ということでやめておく。意を決してさいしょの土をかけた後はどんどんかけれた。

そして、予定していたようにパタパタと線香でかんたんなお墓。なにかよくわからない実が落ちていたのでそれと、掘り進んだときに出てきたなにかわからない芋?も。

芋とよくわからないキウィみたいな実はせめてものよすがにとおもって連れて帰ったのだけど。ここだとあとからいくらでも成るだろうし。


振り向くとちょうど旅立ちの日にふさわしい朝陽だった

ここからなら見晴らしも良いように想う。風も良いし。

荒らされなければ良いけど。


陸にもどってもう一度朝陽をみる。いつもの、この公園の風景。


帰り道はなんだか走りたくなって走る。このぐらいのジョギングだとジョギングの型ができてると走れる。ママチャリよりちょっと遅い程度で。

帰り道はなにも考えたくないのか歩数を数えていた。


道の端にいつものラジコン老人たちの広場。そこで木にタコ糸?をつるしてる老人たちの様子をみて内藤礼さんの作品のようにねこの眠る木の枝に糸を吊るすのも良いかなとおもう。たまに。



部屋に帰ってドアを開けるときにすこしためらい意を決して開ける。

とくに、なにもない。

だいじょうぶみたい。



遺体になってから、あるいは半寝たきりになってからずっとそういう感じだったからか(玄関をあけたらソトダセーとお迎えに来るねこはもうだいぶまえにいなくなっていた)

あるいは、もがりの儀式がそれなりに効いたのだろうか。




そのあとシャワーを浴びて軽く片付け。洗濯物なんかも取り込みつつ、いつもと同じ、あるいはいつもよりてきぱきと動けてる自分に気づく。

「(ちゃんとやらなくちゃ)」となんとなく想う。

いつもより部屋を片付けたくなったり。いつもより貯まってるタスクを済ませてしまいたくなったり。

空元気とかいうやつなのだろうかともちょっと想う。



取り込んだ洗濯物の中からすずめの襦袢を羽織る。ルルの襦袢。




日記を書いて昇華する




















(おら、おかないふしてらべ)
何といふあきらめたやうな悲痛なわらひやうをしながら
またわたくしのどんなちいさな表情も
けっして見遁さないやうにしながら
おまへはけなげに母に訊きくのだ
(うんにゃ ずゐぶん立派だぢゃい
   けふはほんとに立派だぢゃい)

ほんたうにさうだ
髪だっていっさうくろいし
まるでこどもの苹果の頬だ
どうかきれいな頬をして
あたらしく天にうまれてくれ


(それでもからだがくさえがべ?)
  (うんにゃ いっかう)
ほんたうにそんなことはない
かへってここはなつののはらの
ちいさな白い花の匂でいっぱいだから
ただわたくしはそれをいま言へないのだ
   (わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)



わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは
わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ
ああそんなに
かなしく眼をそらしてはいけない






あの人は  確かにいた




ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから




今は   もういない




このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ




あんたが

もういないってことが

ゆっくりと重くなってく




おまへがたべるこのふたわんのゆきに





その重さがずっと願わせる


わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって





あんたのような人も

おまへと



その周りの人たちも

みんなとに




どうか やさしい自分でいられるように

聖い資糧をもたらすやうに







          










          わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ





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